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チェーザレの剣

「la regina delle spade」(剣の女王)と称えられた、チェーザレの剣。ルネサンス工芸の最高傑作であるらしい。素晴らしい!
「チンクエデア(cinquedea)」と呼ばれる種類の剣で、この名称は刀身の根元部分の幅が「5本の指の幅分」(およそ12cm前後)に相当することに由来する。
(イタリア語で5本指を意味する「チンクエディタ Cinque dita」が変化した名称。)
イタリアでは、15世紀最後の15年間から16世紀初頭にかけてよく制作された。

チェーザレのチンクエデアは、戦闘用ではなく式典・儀礼用の剣で、剣も鞘も細かく装飾されている。
そして現在、剣と鞘は別々に保存されている。
本来ひとつになっているはずのものが、なぜ別々になっているのかについては不明。


ローマのカエターニ財団(Fondazione Camillo Caetani)所蔵。
19世紀にシャルル・イリアルトに紹介され、レアルコ・アンダローやダニエーレ・ディ・オタッレーヴィの研究によって、一般によく知られるようになった。

カエターニ家が所有していることについては、チェーザレが奪取したカエターニ城に剣が置かれていたので、ボルジア没落後に城を取り戻したカエターニがそのまま頂戴した、とも言われている。しかしこの説は根拠不明。

2016年のフランチェスコ・レオネッリ(Francesco Leonelli)の論文「Onorato VI Caetani e la cultura romana di fine Settecento」に「Spada di Cesare Borgia, acquistata da Onorato Caetani nel 1787 」とあり、
「1787年にオノラート・カエターニが購入」と明記されている。
また、カエターニ財団(Roffredo Caetani)の2022年公式リリースも「剣は18世紀末にカエターニ家のコレクションに入った」としている。
一般紙の報道や地域メディアでも「1700年代末にカエターニ家の所蔵になった」としているので、剣は1787年にオノラート・カエターニが購入し同家の所蔵となったが正解。




画像は
※ 「Biblioteca Borja 8 Els Borja i l'art: sis estudis i una addenda」© Marià Carbonell i Buades
※ spada cesare borgia 2 foto archivio fondazione roffredo caetani -2-2
からお借りしています。

「Biblioteca Borja 8 Els Borja i l'art: sis estudis i una addenda」© Marià Carbonell i Buades

中程が黒く見えるのは、そこには装飾がなく、実際黒い鉄剣部分だから。照り返しでより黒く写っている。
装飾が一部だけなのは、未完成なのではなく、装飾されたチンクエデアの特徴のようで、他の同類の剣もこのようになっている。

全長約102.5センチ、幅8.3センチ(柄に接する1番長いところ)。
剣身全体に2筋の浅い縦溝が入っている。これは重量を軽減しつつ剣身を強くする構造的役割を果たしている。
円形の柄頭と柄は銀製で、鍍金されフィリグリー装飾(金や銀を糸のように細く伸ばし、手作業で巻いたり編んだりして繊細な模様を作る宝飾技法)されていて、非常に華やかである。
柄の一部は赤い革で覆われていた。(今ははげていてよくわからない。)
先端には円型の飾りが付いている。これも星の図案などで、美しく装飾されている。

spada cesare borgia 2 foto archivio fondazione roffredo caetani -2-2

鍔の真上の両面に刻まれた銘文「opus/herc」(下図 A)により、制作者はフェラーラの金工職人エルコレ・デイ・フェデーリ(Ercole dei Fedeli)とされている。
(opusは「〜の作」という意味で、hercは「エルコレ」のこと。)
彼は改宗したユダヤ人で、本名はサロモーネ・ダ・セッソ(Salomone da Sesso)と言った。
フェデーリはエルコレ・ベンテヴォーリオ(ジョヴァンニ2世の伯父)の剣なども作っていて、ウィーン美術史美術館やフィレンツェのスティッベルト博物館に、いくつかの作品が所蔵されている。
また彼は、マントヴァ侯妃イザベッラ・デステやフェラーラ公爵夫人となったルクレツィアのためにも、多くの宝飾品を作成している

構図はまた別人が手がけていて、それはピントリッキオであるという説が有力。



チェーザレの剣、装飾略図

鍔の中央に赤と青のシールドがあり、「CES. BORG / CAR. VALEN.」と刻まれている。(上図 B)(色ははげていてほとんどわからない。)
これはCESARE BIRGIA / CARDINAL VALENTINO のことで、チェーザレの枢機卿時代に作られたことを示している。

画像の説明

Aを拡大して上下逆にした図。
この裏側はボルジア家の紋章になっている。

制作時期については、

・1497年、教皇の使節としてナポリへ派遣された際、
(チェーザレは、新ナポリ王の正式な叙任と戴冠に、教皇に代わって赴く教皇使節に任命されたが、これは枢機卿団における彼の地位をはるかに超える栄誉だった。その式で使用するための剣であったという説。)

・または、1498年8月17日の枢機卿位放棄の直前、
(剣身と鞘に描かれる内容が還俗後のチェーザレの未来像のようであることから、枢機卿位放棄直前であるだろうと推定する説。)

という説がある。1498年枢機卿位放棄直前の方がやや有力で、わりと定説になっている。
いずれにしても、チェーザレの未来像を視覚的に表したものであり、彼の大望を表現するイメージの一部であった

しかし近年新たに、完成したのは1500年という説が登場している。




剣身の両面3分の1ほどが鍍金されていて、エッチングが施されている。
エッチングは片面4つ、両面合わせて8つに区切られており、それぞれ寓意的な構図が描かれている。

チェーザレの剣、表、装飾、牡牛の犠牲

① 牡牛の犠牲
(右は拡大図です)

制作者エルコレ・フェデリの銘「opus/herc」の上に、
ヴェルギリウスの「アエネイス」から引用された「Cum numine Caesaris omen(カエサルへの、神のご意志による吉兆)」と彫られている。

中央には「D.O.M. Hostia(全能の神への犠牲)」と書かれた祭壇に、ボルジアの牡牛が捧げられている。
前景には裸体の女性が横たわり、香炉と水差しが置かれている。
左右にも複数の裸体の女性はおり、1人は火に入ろうとしている。

ボルジアは犠牲の牡牛として神に捧げられ、チェーザレの野心とそこから生まれる行為は「神意にかなった吉兆」であるという強いイデオロギーが感じられる。
キリスト教的象徴は存在せず、異教的でもある。


チェーザレの剣、表、装飾、モノグラム

② 多層的に絡み合った文字で「CESAR」のモノグラムになっている。

モノグラムは円の中に収められ、唐草模様に飾られている。両側に翼のある牡牛が描かれている。
このデザインは、チェーザレがミラノに滞在していた時期にレオナルド・ダ・ヴィンチが手がけたという説がある。本当かな!?


チェーザレの剣、表、装飾、ルビコン河渡河

③ ルビコン河渡河。

「IACTA EST ALEA(賽は投げられた)」と彫られている。
スエトニウスの「ローマ皇帝伝」の記述に基づいた描写がされている。

構図は両岸に分かれ、裸の騎兵が槍やチェーザレの頭文字「C」の書かれた旗を持つ兵士たちが密に描かれている。
左下には月桂冠をかぶった子ども(河の精)が笛を吹いている。右岸には布をまとった裸体の人物。
下部には両側に牡牛の頭部。


チェーザレの剣、表、装飾、愛の寓意像

④ 愛の寓意像。

背景の建物に「AMOR」と彫られている。
目隠しされたキューピッドが台座に立ち、台座には「T.Q.I.S.A.G.」と書かれている。
これが何を指すのかはっきりとはわかっていない。
「Tibi Quem Ille Sextus Alexander Genuit(アレクサンデル6世が生んだ汝へ)」と解釈する説がある。

 




チェーザレの剣、裏、装飾、カエサルの凱旋

① カエサル(=皇帝=チェーザレ)の凱旋。

制作者エルコレ・フェデリの銘「opus/herc」の上に、「BENEMERENTI(功績を立てた者に)」と彫られている。

カエサルは月桂冠をかぶり、オリーブ(または棕櫚)の枝を持って戦車に座っている。玉(地球または世界を象徴する球体)をひざの上に置いている。 

戦車には「D.CES.」と彫られている。これは「Divus Caesar(神格化されたカエサル)」という意味だが、スペイン風の呼び方 「Don Cesar」や、「Duc Cesar(チェーザレ公)」ともかけている。

旗には「SPQRCS」と書かれている。これは、「Senatus Populusque Romanus Caesar(元老院とローマ市民とカエサル)」という意味だとされている。

背景には丸い塔はピサ大聖堂の鐘楼(ピサの斜塔)という説もある。 
尖塔は、ローマ中で見られる古代エジプト由来のオベリスク。 

左右にボルジア家の紋章。 


チェーザレの剣、裏、装飾、平和の寓意

② 平和の寓意。

2人のプットー(putto ルネサンス美術によく登場する裸の幼児像)がフロンス(葉飾り)を手に持ち、中央にメルクリウス(ヘルメス)のカドゥケウスが描かれている。
カドゥケウスとは、メルクリウスの持っている杖のことで、羽のついた杖に絡む2匹の蛇として描かれる。ケーリュケイオン、カードゥーケウスとも。
これは平和・商業・富と繁栄・調和を象徴する。


チェーザレの剣、裏、装飾、信仰への崇拝

③ 信仰への崇拝

下部に「FIDES PRÆVALET ARMIS(信仰は武力に勝る)」と彫られている。
塩野七生「チェーザレ」では「信仰」ではなく「信頼」とされているが、これは「信仰」の方が正しいよう。

壁龕に座る女性像が信仰を表している。
彼女の周囲には裸体の男女が集い、敬意を示している。
下部の左右にボルジアの牡牛。

チェーザレの剣、裏、装飾、「信仰は武力に勝る」

→ 銘部分の拡大図。


チェーザレの剣、裏、装飾、ローマの平和

④ ローマの平和

崩れた円柱の上に地球儀が置かれ、その上で大鷲が翼を広げている。
地には犬が座り(鹿という説もある。鹿は「再生・平和」の象徴なので、この場面では鹿の方がしっくりくるかも。塩野七生は「鹿」と書いている。)、両側に楽士たちと、祝い踊る人々が描かれる。


一般に広く公開はされていないが、時々展示会に貸し出されてはいる。いつかどこかで、拝める機会はある!




ロンドン、ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵。
現在は同美術館の、
room 62 「Medieval and Renaissance」のコーナーに展示されている。

1868年、サウス・ケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート博物館)の初代館長ヘンリー・コール(Henry Cole)がイタリアを訪れた際に、イギリス人美術商ウィリアム・ブランデル・スペンスを介して、100ポンドで購入された。
ヘンリー・コールはこの鞘を、「革製美術の最高傑作」と評した。
元の持ち主は、おそらくカエターニ家。
なぜ鞘のみを手放したのかは、謎。

現在は同美術館の、
room 62、「Medieval and Renaissance」のコーナーに展示されている。

チェーザレの剣(鞘)表

チェーザレの剣(鞘裏)

長さ 83.5 cm
幅 8.5 cm
厚み 0.5 cm
重さ 0.34 kg
子牛の皮(カーフレザー)でできている。作者は不明。

剣身と同様に、1498年の制作と推定されている。
しかしこちらも剣身と同様に、制作されたのは1500年頃という説が登場している。

サイズが剣身にぴったりで、鞘にも剣身と同じモノグラムが存在することから、この鞘が上記の剣のために作られたことは明らかである。


チェーザレの剣・鞘、表

上部に盛り上がった革のラインがあり、「MATERIAM SVPERABIT OPVS」と刻まれている。
これはオウィディウスの「変身物語」に登場する言葉で、「作品は素材を凌駕する」という意味である。
(金や銀、象牙などで作られていた太陽神の宮殿の扉に、鍛冶の神ウルカヌスによってが施されたレリーフがあった。その卓越した意匠に向けられた言葉。)

その下は、愛の勝利の場面である。
バレルヴォールトの中にうっすらと三日月が見える。
中央やや左の柱に立つのはヴィーナスで、8人の裸体の男女がとり囲み敬意を表している。
その中の1人は跪き、牡羊を犠牲として捧げる準備をしている。
右端の1人は、蓋付きの器を持っており、それはおそらく犠牲のワインを入れるためのものである。

ヴィーナスは裸体の女性として描かれ、女神の象徴であるマートルの枝を持っている。

ヴィーナスは黄道十二宮の牡牛座と結びつけられる。ヴィーナス=牡牛座=牡牛=ボルジアの紋章である。

背景の旗には「SI」と刻まれている。
これは「Sacrum Imperium」(神聖帝国)を表していると言われている。

さらにその下には、花文様の台の上に翼を広げた鷲が立っている。
両脇には上向きに反った角の意匠が炎を噴き出している。
これはコルヌコピア(豊饒の角、アマルテイアの角などとも呼ばれる、食物と豊かさの象徴である角のイメージ)であるとされる。
二つの渦巻いた蔓が、図案を美しく完成させている。


これより下は未完成で、うっすらと下書きの線が見える。
皮革に不備があったためではないか、と言われている。

 チェーザレの剣・鞘、裏

最上部に2つのアーチがあり、鞘に剣身を収めた時剣の鍔の曲線に沿うようにデザインされている。

そのすぐ下には、剣身にも見られるチェーザレの名前のモノグラムがある。
このモノグラムは下部にもさらに2つ登場する。

モノグラムの両わきの、縦長長方形とその下の横長長方形、その下中央部の小さめ縦長長方形は、剣帯(剣を腰に吊るすためのベルト)を取り付けるためのベルト通しである。

横長ベルト通しの下にあるのは、13世紀にボルジア家の紋章に加えられるようになった(カリストゥス3世の紋章に見られる)、下向きの揺れる炎である。
この炎のモチーフは、これより下部に繰り返し表れ、鞘裏を装飾している。

最後のベルト通しの下には、再び2つのアーチが表れ、「Y」の文字のように中央の縦線が下に長く伸びている。

長く伸びた縦線は、装飾的な囲みを作り、囲みの中には2人のプットー(putto ルネサンス美術によく登場する裸の幼児像)が紋章の盾を抱えている。
盾部分は縦に亀裂が入っていて、ボルジア家のものなのかどうかもよくわからなくなっている。
2人のプットーは、剣身の方にも描かれている。

その下のレリーフも、損傷が著しい。革が裂け、皮を巻き付けた木の芯が露出している箇所がある。
縦線の両側に、翼を持つメデューサの頭部が1ずつあり、そこから武具や戦利品の意匠が垂れ下がっている。

右側には、小さな長方形のリボンがぶら下がっていて、「PAR」と刻まれている。
「Pax Augusta Romana アウグストゥスのローマの平和」ではないかと推測されている。
が、「A」はアレクサンデル6世を表している可能性も否定できない。

ボルジアの間「論争の間」の凱旋門にも「PACIS CVLTORI 平和の崇拝者」と描かれており、またサンタンジェロ城の工事(おそらくは堀の掘削)完成を記念して作らせたメダルにも「ALEXANDER.VI.PONT. IVST.PACIS.Q.CVLTOR 教皇アレクサンデル6世 ー 正義と平和の守護者」と刻まれている。
つまり、アレクサンデルは平和の担い手であることを望んでいたようで、ここに刻まれていてもおかしくはない。

その下2つ目の飾り囲いも損傷している。が、枝を手にした裸体のヴィーナスの像が描かれているのはわかる。
このヴィーナスで鞘裏の図像装飾は終わり、残りは炎の図象が繰り返されている。




剣の来歴

  • 制作時期

剣の制作時期は、柄に刻まれた銘文「CAR. VALEN (CARDINAL VALENTINO)」により、チェーザレの枢機卿時代であるとされてきた。
装飾が極めて世俗的・軍事的であることから、初期のものではなく、還俗を具体的に視野に入れていた1498年の作であるとも推定されている。
しかしこの推定は絶対ではなく、剣本体の制作はその時期であっても、装飾のエッチングは後から、つまりチェーザレの還俗後1500年頃に加えられた可能性も存在する
この説は2007年、フロリダ大学のエリザベス・べミス(Elizabeth Bemis)によって提唱されている。

(以下は彼女の論文の要約ではなく、私がこの説をアリかも?と思いまとめたものです。)



チェーザレの剣の剣身は、8つに区切られエッチングが施されているが、中心をなすのは、6つの図像である。

・雄牛の犠牲
・ルビコン河渡河
・愛の崇拝
・カエサルの凱旋
・信仰の崇拝
・ローマの平和

ルビコン河と凱旋は確実にユリウス・カエサルの生涯に基づいた場面であり、他の場面も宗教的と言うより世俗的・軍事的な、チェーザレの大願を象徴するモチーフである。

牡牛を捧げて神意を得、
ルビコン河を渡って進撃し、
ローマへ凱旋し、
国に平和をもたらす。
そこにあるのは、愛と信仰。

1500年当時のチェーザレの功績を称え、未来を祝福していると断言されても全く違和感がない。
チェーザレの進軍と剣の図像との一致は、剣が1500年以降に制作されたということを示唆していると言っても過言ではない。


1500年3月、チェーザレはアレクサンデル6世から「金のバラ」と「祝福の剣」(教皇が世俗君主に毎年贈呈する剣)を、授与されている。
この「祝福の剣」が、カエターニとV&Aが所蔵している「チェーザレの剣」であるのではないだろうか。

「祝福の剣」は、チェーザレに与えられた記述はあっても、その後どうなったのかについては全く記録がない。
ので、「チェーザレの剣」が、この「祝福の剣」であってもおかしくはない。「枢機卿ヴァレンティーノ」という刻印を除けば

しかし1498年に枢機卿ヴァレンティーノのために制作を開始された剣に、1500年、新たな装飾を加えて「祝福の剣」とした、のであれば、この矛盾は解消する

アレクサンデル6世は、チェーザレが還俗してからも手紙の宛名に「枢機卿ヴァレンティーノ」と書いている。ブルカルドも日記にそう書いている。チェーザレ自身さえ書いている。
意外と呼び名にこだわってなかった?
(これはでも、手紙や日記に書いたものと、剣に刻印したものを、同列に語ってよいものか?と思うけど…)


ただ!チェーザレがそんな新品でない過去の剣で満足するかぁ?という疑問がどうしても出来する。
でもだからこそ、チェーザレはこの剣について、手紙にも何にも記していないのでは?
大事にしてた記述もないし、携行してた記述もない。
枢機卿時代の剣を使いまわされて、あんまり嬉しくなかったからでは!?

一方、アレクサンデル6世は、意外と倹約家だったことで知られている。
チェーザレのフランス行きで莫大な金額が使われた後である。彼が「祝福の剣…ちょうど作りかけのいいのがあるじゃん」と考え、それを流用したとしても不思議ではない…かも?


また、鞘についてもドイツの美術史家ギュンター・ガル(Günther Gall)は著書「Leder im Europäischen Kunsthandwerk ヨーロッパ工芸における革」で、16世紀初頭の作であると比定している。
このことも、「チェーザレの剣」1500年制作説を裏付けている。


「チェーザレの剣」、「枢機卿ヴァレンティーノ」がなかったら確実に1500年以降の作とされていただろうから、この説に納得できる方も多いのではないだろうか。

しかし私は、「まだ還俗してもいないチェーザレが、これから自分が歩むであろう道を思い描き、先走って作らせた剣」でも、大いにありそうだと思う。
自らをカエサルになぞらえた図案を、逐一説明して作らせるチェーザレ…笑えるしちょっとかわいいし、いかにもやりそう。




  • チェーザレの死後

チェーザレの死後、剣はスペインに渡ったのではないかと言われている。
チェーザレの妻シャルロット・ダルブレの遺産目録に、チェーザレの剣と思われる記述があるのだ。

(1878年、エドモン・ボナファ(Edmond Bonnaffé)によって公刊された「ヴァレンティーノ公爵夫人シャルロット・ダルブレの遺産目録 Inventaire de la Duchesse de Valentinois Charlotte d’Albret」。
1514年、シャルロットの死去に伴い、その所有物の登録がなされた。そこには亡夫チェーザレにかつて属した品々がいくつも見出された。
ボナファはその中から、「黄金のエナメルで装飾されたローマの剣」を参照している。これがチェーザレの剣であると推察されている。)



その後、剣はスペイン人ホアキン・デ・モンタッレグロ(Joaquín de Montallegro)、サラスの侯爵(Marqués de Salas)で、スペイン・ボルボン家のカルロ王子(Carlos III)の国務・戦争卿兼顧問官だった人物)の所有となった。
どういう経緯で彼が手にしたのかは不明。
1734年、このモンタッレグロ侯爵が、剣をスペインからナポリへ移した

(これは現在の所有者カエターニ家に剣を売却した、ナポリ出身のイタリア人修道士フェルディナンド・ガリアーニ(Ferdinando Galiani, 1728–1787)の文書をまとめたフランチェスコ・アデモッロ (Francesco Ademollo, 1807–1882)により公刊された「修道士ガリアーニの家族と遺産 La famiglia e l’eredità dell’abate Galiani」に記されている。
以降も、このアデモッロによる記録に拠っている。)



1759年になっても、モンタレッグロ家が依然として剣を所有していたことが確認されている。が、その後不明の人物に贈られた

この不明人物から剣を購入したのが、修道士ガリアーニである。
1773年10月2日、マダム・デピネー (Madame d’Épinay, 1726–1783 18世紀フランス啓蒙時代のパリ社交界で活躍した女性)に宛てた手紙の中で、彼は自分が剣を入手したことを述べている。

ガリアーニは剣と制作者に関する情報を探し求めた。
彼は、剣に関する内容を含めたチェーザレの伝記を書こうとしていた。しかしこれは実現せず、1787年10月ガリアーニは没する。
後には「ヴァレンティーノ公の剣」と題されたノートが、彼の書簡や雑多な文書とともに残された。

ガリアーニは、オノラート6世・カエターニダラゴーナ(Onorato VI Caetani d’Aragona, 1742–1797)に、剣を売却することを遺言していた。
「私の遺言執行人たちは、ローマにいるカエターニダラゴーナに、ヴァレンティーノ公の有名な剣を、私がこの貴重な品について集めた記録とともに、300ナポリドゥカートの価格で譲渡することを約束したと知っている。
よって私は、遺言執行人たちに、その剣を指定の価格で当該聖職者に渡すことを願う。
しかし、もし彼がそれを望まないならば、上記の剣をロシア人の女帝に恭しく献じるよう望む。彼女の無限の恩恵に対する私の感謝の記念として。
1787年10月14日」
(Yriarte, Autour des Borgia, p.149.)

ガリアーニが言及した女帝とは、なんとロシア皇帝エカチェリーナ2世(Екатерина II Алексеевна)のことで、2人は個人的な友人だった。
エカチェリーナはこの高名な剣を、自らのコレクションに加えたいと願っており、ガリアーニの死後、直ちに大使を派遣した。
しかし先買権により、カエターニ家がガリアーニ修道士の剣、つまりチェーザレの剣を所有することになったのである。

エカチェリーナ2世も欲しがるチェーザレの剣!すごいね!



オノラート・カエターニダラゴーナは、かつてボルジアに追放されたセルモネータ公爵家の末裔であり、美術と考古学に関心を寄せる人物であった。
彼は、カエターニ家を迫害したボルジアの遺品をセルモネータ城に保管し、彼らの罪を想起させる銘文を記そうとしていた。

しかし銘文は刻まれず、剣はオノラートの弟マッシミリアーノ・カエターニダラゴーナに譲られた。マッシミリアーノも銘文を残したかったようだが、またもそれは果たされず、剣はセルモネータに運ばれることもなかった。

剣はローマに留め置かれ、今日に至るまでこのイタリア貴族の子孫によって保管され続けている

年代出来事関係人物・家系出典・備考
1514シャルロット・ダルブレの死後、遺産目録に「金のエナメル装飾を持つ剣」が記録されるチェーザレ・ボルジア、シャルロット・ダルブレエドモン・ボナファにより現存剣との同一性が示唆される
1734モンタッレグロ公爵がスペインからナポリへ剣を持ち込むモンタッレグロ家(スペイン貴族)アデモッロの記録
1759依然としてモンタッレグロ家の所有。のちに無名の人物へ贈与されるモンタッレグロ家アデモッロの記録
18世紀前後無名の人物所有不明アデモッロの記録
18世紀後半修道士ガリアーニが剣を入手ガリアーニ家1773年10月2日付マダム・デピネー宛手紙
1787年10月14日ガリアーニの遺言「剣を300ナポリドゥカートでガエターニ枢機卿に譲渡、辞退ならロシア女帝エカチェリーナ2世へ献上」ガリアーニ、ガエターニ枢機卿、エカチェリーナ2世遺言文書(ナポリ公文書館、アデモッロが発見)
1787年10月15日ガリアーニ死去、剣はカエター二家が入手オノラート・カエターニエカチェリーナ大帝の大使は到着遅れ、先買権でカエターニが取得
1787年11月17日オノラート・カエターニの書簡「セルモネータ城に置き、ボルジアの罪を記録する碑文を刻みたい」オノラート・カエターニ書簡(アデモッロの引用)
1787年以降マッシミリアーノ・カエターニが碑文草案を作成、ボルジアがセルモネータを包囲し一族を追放した事実を刻もうとしたマッシミリアーノ・カエターニ書簡(アデモッロの引用)
1868サウス・ケンジントン博物館(現在のV&A博物館)が鞘を購入美術館館長ヘンリー・コール、美術商ウィリアム・ブランデル・スペンス鞘のみイタリアからイギリスへ渡る
以後~現代セルモネータ城ではなくローマに保管、カエターニ家が代々所蔵カエターニ現存剣






チェーザレの墓

→ チェーザレの墓




チェーザレの紋章

→ 紋章




チェーザレのメダル

画像の説明

表にチェーザレの横向きの肖像(鎧をつけ上部に羽飾りの付いた軍帽を被っている)、裏にチェーザレの公爵紋が彫られている。
1553年よりは前に造られたもの。
おそらくイタリア製。
36ミリ、26.48グラム。


ロンドン、大英博物館所蔵。








チェーザレ関連のレオナルド・ダ・ヴィンチ

→ チェーザレ関連のレオナルド・ダ・ヴィンチ




ボストレンゴ(Bostrengo)

バストレンゴ(Bustrengo)、ブストレンゴ(bustrengo)、ブルレンゴ(burlengo)、ポストレンゴ(postrengo)、などとも。
表記の違いは、時代や地域による方言・発音・綴りの揺れによる。

ボストレンゴ

Photo by Cookaround
→ レシピサイト

炊いた米とふやかしたパンと小麦粉をベースに、
ドライフルーツ(いちじく、レーズンなど)を混ぜ、
レモンとオレンジの皮、はちみつで風味を付けた、ライスケーキ
米でなく押し麦や玄米を使ったり、カットしたリンゴや梨を入れたり、ナッツを入れたり、ラム酒を入れたり、レシピはさまざま。
現代ではコーヒーやココアで味付けするのが主流であるよう。

マルケ州やサン・マリノ周辺の郷土料理、とWikipediaにはあるけれど、ロマーニャの郷土料理と言っている人も見る。

1501年2月17日水曜日、ファエンツァ攻めに失敗したミゲル・ダ・コレッラは、宿営地に戻りこのボストレンゴを食べたと、当時の記録に書かれている。
その日が「ポストレンゴの木曜日(zobia postrengara)」であったから、と。

時期的に、四旬節にまつわる風習のひとつ?かもしれない。
当時のロマーニャ地方周辺の食文化が垣間見える、面白いエピソードである。
ミゲルが失敗してやけ食い?したのが、甘いものっていうのも、意外性あって面白い。




ヴァレンティーノ公爵のワイン

ヴァレンティーノ公爵ワイン

「Duca del Valentino(ヴァレンティーノ公爵)」と名付けられているワイン。
ヴァレンティーノとは、チェーザレが1498年にフランス王ルイ12世から授けられた称号。つまりチェーザレのこと!

ロマーニャ産のサンジョヴェーゼ種の赤ワイン。
「ロースト肉、ジビエ(狩猟肉)にぴったり。また、風味の濃いチーズやソースを使ったパスタ料理にもよく合う。」とある。
ファエンツァのCaviro Group(Caviro S.c.a.)という、大手ワイン協同組合が作っているワインのよう。
白やスパークリングなどもある。
価格は3,000円〜5,000円くらい。

しかし近年はどうも生産されていない?よう。現在のこの会社のワインは、レオナルド・ダ・ヴィンチワインになっている。
こちらのワインも、ロマーニャ産だけあって、「1502年、ロマーニャのダ・ヴィンチ」シリーズがあり、「イモラの地図(Mappa di Imola)」とか「ファエンツァのドゥオーモ(Duomo di Faenza)」と名付けられたワインがあり、とても良い。
また、紹介ページも、レオナルドとロマーニャの関わりが解説されていて、とても良い。
ヴァレンティーノ公爵のヴァージョンが見たかった!


新たに作られてはいなくても、過去のものはまだ流通している。
Vivinoという世界最大のワインショップ(アプリ)で購入できる。
※ 現在は完売してるっぽいです。

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チェーザレの毒薬

画像の説明
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モタ城グッズ

モタ城の描かれたペーパーウェイト。

モタ城は1505年夏から翌年秋まで、チェーザレが幽閉されていたところ。
メディナ・デル・カンポのフェリアス博物館では、モタ城をモチーフとした土産物が販売されている。
写真はペーパーウェイト。同じ絵柄のマグネットとミラーもある。

絵は、19世紀のイギリス人画家トーマス・ディブディン(Thomas Robert Colman Dibdin)によって1845年に描かれた「モタ城(Castillo de la Mota)」の一部。(でも切れているところはほんの少し。)




喫茶「チェーザレ」

喫茶チェーザレ。

大阪市北区にあるチェーザレの名をもつ喫茶店。
カエサルやチェーザレ・パヴェーゼのことでなく、チェーザレ・ボルジアにちなんでつけられた店名。

しかし、現在のオーナーである女性は2代目で、
「イタリアの歴史上の人物で、チェーザレって人がいた、っていうことは知ってるけど(先代に聞いたから)、それ以上は何も知らない」とのこと。
「時々、店名の由来を聞かれるけど、なんだか難しくて、説明できないんですよ。
みんなどうしてそんな人知ってるんでしょうね?やっぱり有名な人なんですかね。」
だって(苦笑)。

日替わりランチが美味しいそうです。


  • 喫茶「チェーザレ」 - 大阪市北区西天満5-15-5 南森町駅から約5分

-営業時間
7:30 - 18:00
日祝休み(土曜は不定休)

-電話番号
06-6365-5928

※ 2023年5月現在、閉店されたようです。残念…
ストリートヴューのアーカイブ見ると、2020年11月は営業されてたようですが2022年9月にはなくなっていました。今はタイ料理のお店が入っているようです。






ボルジア家

ボルジア家の紋章

→ 紋章




スビアーコ、ボルジア城キーホルダー

スビアーコ、ボルジア城塞キーホルダー

スビアーコのボルジア城塞チケット売場に置いてある、お土産キーホルダー。
楕円形の木材に印刷してある。
裏は無地。

木の部分だけで、
縦5センチ×横3.8センチ。

左右同じ柄だけど、金具をつなぐ革の色がライトブラウンとダークブラウンと2種類ある。

値段を覚えてなくて…5ユーロくらいだったような。
ルクレツィアの鏡よりは安かったです。

(クレカで払うと、明細にひとつひとつの値段までは書かれていないので、困りますね…。)

スビアーコ、お土産

スビアーコのボルジア城塞チケット売場には、他にルクレツィアのグッズも置いてある。






リービッヒ社のボルジア城カード

ボルジア城塞カード

1872年から1976年にかけて、ドイツの食品会社リービッヒ(Liebig)が、自社製品のブイヨン缶詰めにつけた販売促進のためのコレクターズカード(Figurina)。
1800以上のシリーズがあり、大人気だったらしい。

その中のラツィオの城シリーズ。
1911年に発売された6枚セットで、その中の1枚がネピのボルジア城塞。


裏には城の略歴とボルジア家について書かれている。
「ボルジア城 – この重々しく暗い塔を備えた城は、15世紀に名高いボルジア家の豪華さとその波乱に満ちた運命を思い起こさせます。物語は、アロンソ・ボルジア(カリストゥス3世)が教皇に選ばれたことで始まりました。彼の家族はイタリア全土を支配し、ヨーロッパの政治的中心を目指す野望を抱いていました。

チェーザレ・ボルジア は 1497年 に弟ホアンを暗殺し、3度結婚したルクレツィア・ボルジアは、美しさと知性で知られていました。教皇アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア) は、その壮麗な治世のもと、ヴァティカン宮殿の「ボルジアの間」を作りました。フェラーラ公アルフォンソの宮廷では、ルクレツィアがベンボやルドヴィーコ・アリオストらの文学者や音楽家たちと過ごしました。」

また、''人気のため偽物が出回り高額取引されていたようで、
「偽造品にご注意ください。」「リービッヒのブイヨン缶詰めカードは消費者に無料配布されます。」
とも記されている。

ラツィオだけじゃなく、他にもピエモンテ州の城シリーズなどもあった。全州あったのかも。


ラツィオの城塞カード

6枚セットのカードは左上から横に、
ネピ、ボルジア城塞(Nepi、Rocca dei Borgia)
ネミ、ルスポリ宮殿(Nemi、Ruspoli Palace)
ブラッチャーノオルシーニ・オデスカルキ城(Bracciano、Castello Orsini - Odescalchi)
オスティア、ユリウス2世の城(Ostia、Castello di Giulio II)
ローマ、フザノ城(Roma、Castel Fusano)
ティヴォリ、ピア城塞(Tivoli、Rocca Pia)






ボルジアゲーム

ボルジアゲーム。箱の画像。

ボルジア時代の権謀術数をテーマにしたボードゲーム。
タイトルは「The Prince - The Struggle of House Borgia」(「君主 - ボルジア家の闘争」。)
制作 = Phalanx Games b.v. (オランダ)
プレイ人数 = 3~5人。
プレイ時間 = 約90分。
(プレイヤーが慣れてくるともっと早くなる。)
対象年齢 = 12歳以上。
言語 = 英語。(ドイツ語版もある。)


プレイヤーはルネッサンス期の有力貴族(ボルジア、メディチローヴェレオルシーニコロンナのいずれか)になって、
オークションに競り勝ち、有利となるカード(都市、他家の貴族、芸術家、傭兵など)を手に入れ、
都市(ホールディング・カード)を支配したり、芸術家(アーティスト・カード)を保護したり、傭兵(傭兵カード)を使って戦ったり、して自分の力を強めつつ相手の力を弱め、
教皇選を勝ち抜いて、
VP(ヴィクトリー・ポイント)をできるだけ多く獲得し、勝敗を競う。
ゲームは3ターン(3セット)で構成される。
カードの役割が複雑で、ボルジア時代をよく表しており、なかなか楽しめる。


◆ ゲームの構成パーツ ◆

  • ファミリー・ディスプレイ = 5枚(ゲームの最大人数分)。厚紙製のボード。
    ファミリー・ディスプレイ。
    ボルジア、メディチローヴェレオルシーニコロンナ、とあり、各プレイヤーはいずれかの家を代表してゲームを進める。
    ボードに書かれている数字のコマに、ヴィクトリー・ポイント・マーカーを置いて、獲得したVPを示す。
  • ヴィクトリー・ポイント・マーカー = 5個。木製。5色。
    各プレイヤーが1個ずつ持ち、ファミリー・ディスプレイ上に置いて、獲得したVPの数を示す。
  • ターン・インディケーター = 1個。木製。黒。ヴィクトリー・ポイント・マーカーとほとんど同じ。色が違うだけ。
    ボルジアのファミリー・ディスプレイ上にだけ、ゲーム・ターンを示す数字がある。そこに置いて、現在のゲーム・ターンを示す。
  • 教皇の印 = 1個。木製。白。ヴィクトリー・ポイント・マーカーとほとんど同じ。ちょっと大きい。
    教皇になったプレイヤーは、これをファミリー・ディスプレイ上に置いておく。
  • カード = 60枚。厚紙製。しょぼい。ちょっと乱暴に扱うとすぐ曲がる。
    • ホールディング・カード = 12枚。ボローニャ、リミニ、フェラーラなど。
      ホールディング・カード。スポレート。
      所領地のカード。
      パワー・ポイント(傭兵カードと戦うポイント)、
      収入ポイント(ポイントに応じてドゥカートを獲得できる)、
      ヴィクトリー・ポイントを持つ。
      (それぞれのカードに記されている。カードによってそのポイント数は異なる。)
      オフィス・カード、アーティスト・カード、アウトサイド・ファミリー・カードを各1枚ずつ保護することができる。(そうするとパワー・ポイントによって、敵の傭兵カードから守ることができる。敵の傭兵カードのパワー・ポイントの方が高ければ、保護下にあるカードは全て奪われてしまうんだけど。)
      所持したら、すぐにファミリー・ディスプレイ横に並べて見せる。
  • オフィス・カード = 9枚。副尚書、教皇庁軍総司令官、侍従など。
    オフィス・カード。これはその中の[[副尚書>用語解説#z5b8e250]]カード。
    収入ポイント、枢機卿のコマを得るポイントを持つ。
    ホールディング・カードによって保護することができる。
    しかし、デス・カードにはすぐさま殺される。
    所持したら、すぐにファミリー・ディスプレイ横に並べて見せる。
  • アーティスト・カード = 10枚。ブルネレスキ、ミケランジェロ、ラファエロなど。
    アーティスト・カード。これはギルランダイオ。
    ヴィクトリー・ポイントを持つ。
    このカードを所持したら、カードに印されているパトロン代をすぐに支払わねばならない。
    ダ・ヴィンチのカードだけはパワー・ポイントを持つ。
    ホールディング・カードによって保護することができる。
    しかし、デス・カード(毒OR伝染病カード)には、すぐさま殺される。
    所持したら、すぐにファミリー・ディスプレイ横に並べて見せる。
  • アウトサイド・ファミリー・カード = 6枚。エステリアーリオピッコローミニなど。
    アウトサイド・ファミリー・カード。エステ家。
    パワー・ポイントを持つ。
    ホールディング・カードによって保護することができる。
    所持したら、すぐにファミリー・ディスプレイ横に並べて見せる。
  • 傭兵カード = 8枚。
    傭兵カード。パワー4、傭兵料5ドゥカート。
    パワー・ポイントを持ち、ホールディングやオフィス、アーティストの強奪に用いる。
    使用したら、勝敗に関わらず、カードに印されている傭兵料をすぐに支払わねばならない。
    所持したら手札として、敵には見せないようにする。
  • スパイ・カード = 6枚。
    オークション時に、場のカードを1枚取ることができる。
    または、プレイヤー時に、敵の手札を1枚取ることができる。
    所持したら手札として、敵には見せないようにする。
  • デス・カード = 4枚。毒OR伝染病カード2枚、暗殺カード2枚。
    毒OR伝染病カードは、オフィスとアーティストを殺すことができる。
    ドクター・カードはこれに対抗できる。
    暗殺カードは、オフィスとサヴォナローラを殺すことができる。
    所持したら手札として、敵には見せないようにする。
  • ドクター・カード = 1枚。
    デス・カード(毒OR伝染病)を無効化できる。
    所持したら手札として、敵には見せないようにする。
  • 結婚カード = 1枚。
    他のプレイヤー1名と同盟することができる。
    同盟すると、その2プレイヤーの間では強奪や暗殺など全てできなくなる。
    デス・カードによって無効化される。
    所持したら手札として、敵には見せないようにする。
  • サヴォナローラ・カード = 1枚。
    サヴォナローラ・カード。
    プレイヤー時に、教皇の手札使用を一切禁止することができる。
    デス・カード(暗殺)によってのみ、無効化できる。
    所持したら手札として、敵には見せないようにする。
  • 聖職売買告発カード = 2枚。
    2ターン目と3ターン目の初めに、教皇に選出されたプレイヤーは、その場にある全てのオフィスを回収し、好きなように配り直す権利と、
    残っている枢機卿のコマを好きなように配り直す権利とを持つ。
    これに反対して使われる。
    教皇を支持するかの投票を行い、非支持となると教皇の手番は1回飛ばされる。支持となればそのまま何事もなく続行される。
    所持したら手札として、敵には見せないようにする。
  • 枢機卿のコマ = 30個。円形の厚紙製。カードよりだいぶ厚く丈夫。
  • ドゥカート(お金) = 120ドゥカート分。円形の厚紙製。枢機卿のコマと同じ材質。
  • 投票用紙 = 1冊。ただのメモ帳。なくていい・・・。
  • ルール・ブック = 1冊。英語。難しい・・・。
    15ページ、11.00に誤りがある。
    誤「Office」 → 正「Hording」。


◆ ゲームの進め方 ◆

ゲームの様子。VPマーカーをターン・インディケーターにしちゃってます・・・。ごめん。

プレイヤーはそれぞれのファミリー・ディスプレイを持ち、VPマーカーを「0」に置く。
枢機卿のコマを4つずつ、お金を100ドゥカートずつ、受け取る。
全てのカードをシャッフルし、5枚ずつ配る。
カードはファミリー・ディスプレイ横に並べて見せておくカードと、手札として手の内に持っておくカードとに分けられる。
(カードによって使い方が異なるので。1枚1枚に書かれているので、わかりやすい。)
場(テーブルの中央)に12枚、伏せて置く。残りのカードはもうこのターンでは使用しない。

まず「オークション」の段階から始められる。
教皇(1ターン目の教皇は最年長者が務める)から時計回りに手番は回る。
手番は、場のカードを1枚めくる。手番から時計回りに、そのカードに入札していく。何ドゥカートからでもOK。
もちろん、要らないものはパスしてよい。1度パスした者は、もうそのカードの入札には参加できない。
入札者がいないと、カードは手番のものになる。
手番の時にスパイ・カードを出すと、場のカードを伏せたまま1枚取ることができる。
場のカードがなくなるまで、「オークション」は行われる。

次に「プレイヤー」の段階になる。
手番は、
「傭兵」使って、他のプレイヤーの「ホールディング」や「アウトサイド・ファミリー」を強奪しようとしたり、
「デス」を使って、他のプレイヤーの「オフィス」や「アーティスト」を毒殺したり、
「スパイ」で、他のプレイヤーの手札を奪ったり、
「結婚」で、他のプレイヤーと同盟したり、
「サヴォナローラ」で、教皇のゲーム参加を阻止したり、
など、カードを使ってさまざまな駆け引きを行う。
全員の手札がなくなれば「プレイヤー」の段階は終わる。

最後は「教皇選」の段階になる。
プレイヤーの投票数は、所持している枢機卿のコマの数によって決定される。
1コマにつき3票の権利を持つ。
最初の投票は無記名で行い、それで決定しなければオープンにして投票する。
教皇になったプレイヤーは、10VPを獲得する。

教皇が選出されると、2ターン目に入る。無効化されたカード以外を再シャッフルし、再び「オークション」から始める。
3ターンまで行い、ゲーム終了となる。

獲得したお金は、10ドゥカートで1VPとなる。端数は切り捨て。
全てのVPを計算し、勝敗を決定する。


  • funagain Games
    こちらで購入できます。24ドル。
    ただし!!配送料が38.37ドルでした。高!!




カフェ・ボルジア

有楽町某店のカフェ・ボルジア。

コーヒーにチョコレートシロップを加えてホイップクリームを浮かべ、オレンジピールを飾った飲料。

ボルジアの名が冠されているのは、オレンジピールを使用するから。オレンジの生産で名高いヴァレンシアに所縁あるボルジア家・・・ということらしい。かなりこじつけじゃない!?
ビターなチョコレートとまろやかなクリームのコーヒーに香るオレンジは、強いインパクトで味に刺激と深みを加える。
イタリアンコーヒーとスパニッシュオレンジのマリアージュ、と言えば「おお、ボルジアの名にふさわしい!」って気もしてくる?





ボルジアカレンダー

The Borgias 2012 Wall Calendar
The Borgias: 2012 Wall Calendar

テレビドラマ「The Borgias」の2012年カレンダー。Amazonで、1,353円。

9月のチェーザレ。
11月のボルジア4兄弟

1月 ロドリーゴ
2月 ルクレツィア
3月 チェーザレとウルスラ
   (オリジナルキャラ。チェーの愛人?
   後に修道女になるよう。)
4月 ホアン
5月 ジュリア・ファルネーゼ
6月 ロドリーゴとチェーザレ
7月 ボルジア一族
   (ドラマのポスターになってるやつ。トップページにあります。)
8月 ルクレツィアとチェーザレ
9月 チェーザレ (右の画像)
10月 オルシーニ枢機卿
11月 ボルジア4兄弟(右の画像)
12月 ロドリーゴ






アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)

ロドリーゴ・ボルジアの手紙

ロドリーゴ・ボルジアの手紙




アレクサンデル6世の記念切手

Anno Santo 1500 AlessandroⅥ

1998年、ヴァティカン市国で発行された記念切手。
1300という数字は値段。(1300リラ。当時で90円ちょっと。)

2000年の大聖年を記念し、それまでの聖年時に在位していた教皇25人を対象に、1998年から2000年にかけて作られたよう。
(アレクサンデル6世は1500年の聖年時に在位。)
他にシクストゥス4世やクレメンス7世のものもある。




アレクサンデル6世グッズ

  • マグカップ
アレクサンデル6世マグカップ。

ハティヴァ城のスーベニアショップに置いてある、アレクサンデル6世のマグカップ。
1500年の降誕祭典礼書原稿に描かれた紋章と肖像が、表と裏にデザインされている。

絵柄部分は触るとひっかかりがあり、数回洗うと剥げそうな感じ。使ってないからわかんないけど・・・。

同じ柄のつまようじ立て(と思われるもの)もある。

カップの反対側。


  • 紋章プレート・1 陶磁器
アレクサンデル6世の絵皿2。

ハティヴァ城のスーベニアショップに置いてある、アレクサンデル6世の紋章プレート。
1500年の降誕祭典礼書原稿に描かれた紋章がデザインされている。
直径20センチ。

角皿で、肖像の描かれたヴァージョンもある。(マグカップと同じ柄。)

スタンドは付属品ではなく100均のもの。(笑)


  • 紋章プレート・2 すりガラス
アレクサンデル6世の絵皿。

ハティヴァ城のスーベニアショップに置いてある、アレクサンデル6世の紋章プレート。
1500年の降誕祭典礼書原稿に描かれた紋章がデザインされている。
17センチ×17センチ。

上の陶磁器ヴァージョンよりやや安価。(正確な値段は覚えてない。すみません・・・。)

スタンドは付属品ではなく100均のもの。






ルクレツィア

ルクレツィアの手紙

→ ルクレツィア・ボルジアの手紙




ルクレツィアの暗号

→ ルクレツィアの暗号手紙




ヴァティカン美術館のグッズ

  • ルクレツィアの手紙

上記のルクレツィアの手紙はヴァティカン美術館のお土産コーナーで販売されている。

ヴァティカン美術館のルクレツィアの手紙



ラミネート加工されていて、裏面に手紙の本文とイタリア語と英語での説明書きがある。
(筆者の管理が悪くて上部に変な傷が…。新品にはもちろんないです。)

封筒に入ったレプリカもどきもセットになっているようで、ラミネート手紙をレジに持って行くと一緒に包んでくれる。
(ルクレツィアの時代はこんな封筒使用されていないし、下部にサインの箔押しがあるし、レプリカではない。もどき。)

他にもミケランジェロの手紙など多くの種類がある。
8ユーロ(2009年当時)。

ルクレツィアの手紙(レプリカもどき)




  • ルクレツィアのサインしおり






スビアーコ、ボルジア城塞のグッズ

  • ルクレツィアの鏡
スビアーコ土産、ルクレツィアの鏡

ボルジア城塞キーホルダーと同じ材質(木)で作られている。
縦7.8×横5.8×幅(厚み)0.8センチ。

↓ 裏面はこんな。
スビアーコ土産、ルクレツィアの鏡




  • ルクレツィアのポストカード
画像の説明

スビアーコ、ボルジア城塞チケット売場に置いてある、お土産ポストカード。


foto - Paolo Sbraga
grafica - Francesca Spita
stampa a cura di Ethea

スビアーコのボルジア城塞チケット売場には、他に城塞のグッズも置いてある。






ヴァノッツァ・カッタネイ

ヴァノッツァの手紙

→ ヴァノッツァ・カッタネイの手紙





惣領冬実「チェーザレ」

トリヴルツィオ(Trivulziano)手稿

現在はトリヴルツィアーナ図書館(ミラノ)所蔵。

トリヴルツィオ手稿とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの残した膨大な覚え書きやスケッチをまとめたもののひとつ。1487年~1490年頃にかけて書かれたものとされている。ミラノのトリヴルツィオ侯爵が所有していたことからこう呼ばれる。

写真はその紙葉37の表。
惣領冬実著「チェーザレ」2巻、Virtu 13で、チェーザレが手にとった紙片はこれ。
(上部に描かれた図を見比べるとよくわかる。)
チェーザレは、
「衝撃に関すること、球を水に落下させた時の水の様子、透視図法について書かれていた。」
と言っているが、まさにその3点について書かれている。
例えば最初の「衝撃について」は、
「物体に対して与えられた衝撃は、衝突した時の角度と同じ角度で真反対の方向へ反発する。」とある。
(ビリヤードする時の、球の行方の考え方だよね?)

しかしこの紙片、裏にもぎっしり文字が書かれているので(透けて見えてるのがそう)、チェーザレのように裏から透かして読むのはなかなか難しいと思う。
(漫画内では裏面は白紙になっている。)




パリオのハガキ

Il Palio

シエナのお土産やさんで売られている、パリオのハガキ。
惣領冬実「チェーザレ」6巻、Virtu51に描かれているものとそっくり。

<EDIZIONI LOMBARDI, TUSCANY-ITALY>






その他

レオナルド・ダ・ヴィンチスフォルツァ騎馬像

レオナルド・ダ・ヴィンチ、幻のスフォルツァ騎馬像

名古屋国際会議場の中庭にある、レオナルド・ダ・ヴィンチの幻のスフォルツァ騎馬像。
(〒456-0036 愛知県名古屋市熱田区熱田西町1−1)

1989年に開催された、世界デザイン博覧会に出展するために作られた。
1493年にレオナルドが粘土で作った型を、強化プラスチック(FRP)で再現している。
高さ8.3m、幅3.6m、全長8.8m。

レオナルドの作ったものは、1499年にミラノに侵攻したルイ12世の軍により破壊されてしまい残っていないので、マドリッド手稿やウィンザー手稿に残されている数々のデッサンを参考に制作された。


レオナルド・ダ・ヴィンチ、騎馬像のためのスケッチ、ウィンザー城、王立図着館所蔵

1489年、レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルドヴィーコ・スフォルツァから世界最大のフランチェスコ・スフォルツァ(ルドヴィーコの父)の騎馬像制作を依頼される。
先達のドナテッロやヴェロッキオが作った騎馬像はどちらも4メートル弱であったのに対し、レオナルドの騎馬像は馬だけで7メートルを超えるものだった。
しかも、最初の構想では後ろ脚で立ち上がった馬が敵兵を踏みつけているものだった。

→ 最初の構想の騎馬像のスケッチ。



← ドナテッロ「ガッタメラータ騎馬像」。1453年。
パドヴァ、サンタントーニオ聖堂前。

ガッタメラータ(1370年 - 1443年)、フィレンツェ、教皇庁、ヴェネツィアの傭兵隊長。
ガッタメラータとはトラ猫の意味。かわいい!
ドナテッロ、騎馬像 ヴェロッキオ、騎馬像
→ ヴェロッキオ「コッレオーニ騎馬像」。1488年(1496年)。
ヴェネツィア、サン・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会前。

バルトロメーオ・コッレオーニ(1395年頃 - 1475年)、ヴェネツィアの傭兵隊長。




しかしこの構図では不安定であると判断され、最終的にはドナテッロやヴェロッキオのポーズを踏襲した、安定はしているが速足で駆けているような躍動感ある姿に決定された。

↓ ↘︎ 採用されたかたちに近い騎馬像のスケッチ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、騎馬像のためのスケッチ、ウィンザー城、王立図着館所蔵 レオナルド・ダ・ヴィンチ、騎馬像のためのスケッチ、ウィンザー城、王立図着館所蔵

レオナルド・ダ・ヴィンチ、幻のスフォルツァ騎馬像

← 再現された騎馬像。
手前に人が立っていて、その大きさがわかる。デカい!


1493年、レオナルドは実物大の粘土模型を完成させる。
その真に迫る迫力は圧倒的で、パオロ・ジョーヴィオは「馬は猛烈に興奮し、鼻を鳴らしているようだ」と書いた。

しかし1494年、フランス王シャルル8世のイタリア侵攻により、騎馬像の鋳造に使われるはずだったブロンズは、大砲にされるためフェラーラに送られてしまう。
(フェラーラ公エルコレ・デステは、このブロンズで3門の小型の大砲を作った。)

そして1499年、次代のフランス王ルイ12世の侵攻時、粕土像はフランス兵の弓の的にされ、破壊されてしまった。
(弓の的って…遊び半分で壊したってことよね。ひどい。)

名古屋市が再現した騎馬像は、まず2mの原型を粘土で制作し、これをコンピューターで拡大しして作られた。
その際、ブロンズで鋳造すると馬の脚部が重さに耐えられないと判断され、強化プラスチック(FRP)で仕上げられた。

レオナルド…騎馬像は自分のせいじゃないのに、未完の作品になってしまって気の毒…と思ってたけど、鋳造して完成した後に脚折れてたら一大事だったじゃん!
ダ・ヴィンチの評判地に落ちたでしょう。

未完で良かったね!!?




スフォルツァ騎馬像キーホルダー

幻のスフォルツァ騎馬像キーホルダー

上記の愛知県国際会議場(〒456-0036 愛知県名古屋市熱田区熱田西町1−1)の、1階売店で販売されている記念キーホルダー。

カラビナが3つ付いていているので、鍵などを付けやすそう。
裏側も平面ではなくちゃんと彫刻されている。

1個500円(税込)。(2025年1月現在。)




レオナルド・ダ・ヴィンチの潜水服グッズ

アトランティコ手稿、1069r

レオナルドは、水中で作業するための潜水服を、考案している。
左端に、水中で呼吸するための浮き付きの管が描かれている。
(→ アトランティコ手稿1069r)

革製で、上着とズボンに別れており、目の部分はガラスでできていた。
上着には空気を入れた革袋が、水圧で潰されないように鉄製のバネのような輪っかで広げられて、内蔵されていた。この革袋に、呼吸用の長いチューブが繋がれていた。
長く作業できるように、尿袋!も付けられていた。
(← アトランティコ手稿909v)

呼吸用の長いチューブは、水上に浮かぶドームに繋がっており、ドームは2つのバルブを利用して空気を送り込めるようになっていた。
チューブは二重になっており、その間に、これも水圧で潰されないようバネのような輪っかが、挿入されていた。(これは絵がわかりやすい!)
(↓ アランデル手稿24v)

また、水かきの付いた手袋や、救命胴衣のようなものも考案していた。
(→ パリ手稿B81v)

アトランティコ手稿909v アランデル手稿24v パリ手稿B81v

名古屋港水族館の潜水服展示

16世紀末〜17世紀初頭にかけてスペイン領フランドルで活躍した、スペイン人砲兵隊長ディエゴ・ウファノ(Diego Ufano)は、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿を参考にして潜水服を作製した。
この潜水服は、難破船からブロンズ製の大砲を取り出すのに使用された。
実際に利用できたってこと!すごい!

画像は名古屋港水族館に展示されている、その潜水服のレプリカ。(向かって左。右は1797年のカール・ハインリヒ・クリンゲーツ(Karl Heinrich Klingert)の潜水服。)

よく見ると、レオナルド考案の水かき手袋は、はめられていない。
距離を泳ぐのではなく作業のための潜水だから、不要だったのかな。

この、レオナルド・ダ・ヴィンチのアイディアを形にした潜水服」グッズが、名古屋港水族館で販売されている
けったいでかわいい。

← ボールチェーン付ぬいぐるみ 各 ¥1,980
→ A5クリアファイル ¥300、ボールペン ¥950
(価格は2025年11月現在)
レオナルドの潜水服グッズ レオナルドの潜水服グッズ
他に、トートバッグやTシャツ、ブックマーカーなどもある。

邪道だけど、北館のミュージアムショップは、チケットなくても入場できる。時間ない人はお土産だけ買うのもあり!


→ 名古屋港水族館
→ 通販ページ
潜水服関連のグッズは置いてないよう。残念。






その他の手紙

→ その他の手紙






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