エステ
エステ家 (Este)
フェラーラの支配者一族。
1208年、アッツォ・デステ4世がフェラーラの永久統治権を授与され、その後教皇代理(ヴィカーリオ)の称号を与えられる。
善政により独立国家の体制を確立していた。
ニッコロ3世
(1383〜1441)
嫡出、庶出合わせて30人ちかくの子どもがいたらしい。
妻パリジーナ・マラテスタと庶出の息子ウーゴの姦淫を知り、2人を斬首したことで有名。
エルコレ1世
(1431〜1505)
イザベッラ、ベアトリーチェ、アルフォンソ、イッポーリトらの父。政治的手腕に優れたたいした領主だったよう。しかし、ものすごく金に汚く細かかったらしい。ルクレツィアの持参金もものすごくふっかけているし。
1503年、チェーザレがユリウス2世の捕囚になった時、ローマ駐在大使ベルトランド・コスタビリだけでなくジョヴァン・ルカ・ポッツィ(Giovan Luca Pozzi)に依頼し、チェーザレの成り行きを見守っている。フェラーラに呼び保護下(監視下?)に置く可能性を探っていたよう。
アルフォンソ・デステ(アルフォンソ1世)
(1476〜1534)
エルコレ1世の息子。イザべッラの弟でイッポーリトの兄。ルクレツィアの3度目の結婚相手。
宮廷や社交を嫌い、旅と大砲の研究を好んだ変わり者。巧みなヴァイオリン奏者でもあった。
冷静な判断力と慧眼を備え、君主としての才はあったよう。
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イッポーリト・デステ
(1479〜1520)
アルフォンソの弟。
6歳で剃髪し、8歳で大司教、15歳で枢機卿となる。(1493年9月20日、チェーザレと同時に枢機卿に任命されている。)
兄アルフォンソを支える優秀な人物であったようだが、1505年、ルクレツィア・ボルジアの従妹アンジェラをめぐり、異母兄弟のジュリオといがみ合い、彼の眼をくりぬくという暴挙を犯す。
アレクサンデル6世の死後、チェーザレはミゲル・ダ・コレッラの確保した教皇庁の財宝30万ドゥカート相当を、イッポーリト宛てに託している。(イッポーリト宛てを装ってルクレツィアに託した。)
イザベッラ・デステ
1474年5月18日 - 1539年2月13日)
フェラーラ生まれ。
エルコレ・デステの娘。ベアトリーチェ(ミラノ公イル・モーロの妻)、アルフォンソ(ルクレツィアの3度目の結婚相手)の姉。
マントヴァのフランチェスコ・ゴンザーガの妻。
ルネサンス芸術のパトロンであり、辣腕の政治家であったと評価される。が、それは妹への対抗心と息子への溺愛の結果にしかすぎないように思えてしまう。頭の良い女性ではあったんだろうけど、傲岸で見栄っ張りな感じが否めない。
美術品の収集に血眼になり、チェーザレのウルビーノ攻略時、ウルビーノ公のコレクションであったミケランジェロのキューピッド像を譲ってくれないかと、弟イッポーリト経由でチェーザレに頼んだりしている。その時ウルビーノ公は彼女の宮殿に亡命中だったというのに・・・。
弟アルフォンソとルクレツィアの結婚には猛反対したらしい。
結局押し切られ、息子フェデリーコをチェーザレの娘ルイーズと婚約までさせられている。(チェーザレが没収するのでこれは履行されない。)
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ベアトリーチェ・デステ
(1475〜1497)
イザベッラの妹。ミラノのルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)の妻。
姉イザッベラにも、夫の甥ジャンガレアッツォ(ミラノ公)の妻イザベッラにも強い対抗意識を持っていたよう。
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便宜上、異母兄弟姉妹であっても、並べて表示しています。また重要でない人物は省いています。
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