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マラテスタ

マラテスタ家(Malatesta)

アドリア海沿岸の都市リミニ(Rimini)出身、本拠地とする貴族・領主一族。
13世紀から16世紀にかけてロマーニャ地方で大きな勢力を持った。

一族の始祖は13世紀のマラテスタ・デッラ・ペンナ(Malatesta della Penna)とされ、以後、ロマーニャ各地に勢力を拡大した。

主な支配地:
リミニ(Rimini) – 本拠地であり「シニョーリア(領主制都市)」として繁栄。
チェゼーナ(Cesena)
ベルティノーロ(Bertinoro)
ファノ(Fano)
ペーザロ(Pesaro)



パンドルフォ4世・マラテスタ(Pandolfo IV Malatesta)

(1475年7月5日 - 1534年6月)
リミニ生まれ。チェーザレと同い年。意外、もっと年上なイメージ。

リミニの前領主ロベルト・マラテスタと、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの娘エリザベッタの息子。
ロベルトの死後(1482年)、ヴェネツィア共和国のCapitano generale(大将)に任命される。
1486年、ナポリ王アルフォンソ2世によって騎士に任命される。

1495年、フォルノーヴォの戦いに参加。

1497年、チェーザレのロマーニャ攻略に際して、アレクサンデル6世により破門される。
頼りのヴェネツィアから見放されたパンドルフォは、チェーザレ軍と交戦することなくリミニを明け渡し、ヴェネツィアに逃亡する。対価として2900ドゥカートを受け取ったよう。

1503年、アレクサンデル6世の死後、リミニ奪回に向けて動くが不守備に終わる。リミニはヴェネツィアの支配下に入った。

1509年、アグナデッロの戦いに参加。
ヴェネチアの敗北後、鞍替えして神聖ローマ皇帝に下った。しかしすぐにヴェネツィアに戻る。

1522年、息子のシジスモンドとともにリミニ奪還に成功する。
しかし1527年、ローマ劫略時、教皇の傭兵によって再び追放される。

1534年、ローマで死去。トラステヴェレのサンタ・マリア教会に埋葬された。





ヴィオランテ・ベンティヴォーリオ(Violante Bentivoglio)

パンドルフォの妻。




ロベルト・マラテスタ(Roberto Malatesta)

(1440年 - 1482年9月10日)
パンドルフォの父。
シジスモンドの息子。




シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ(Sigismondo Pandolfo Malatesta)

(1417年6月19日 - 1468年10月9日)
ウルビーノの名君フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのライバル的ポジションの人。
フェデリーコ同様に傭兵隊長として名を成し、芸術を保護しリミニの文化を豊かにした。自身も詩作したりした。

建築家レオン・バッティスタ・アルベルティによる人文主義建築の名作、マラテスティアーノ(Tempio Malatestiano)を築いたことで知られる。

また、シジスモンド城も彼の作らせたもの。





ドメニコ(マラテスタ・ノヴェッロ)

(1418–1465)
チェゼーナおよびベルティノーロを支配し、マラテスタ図書館(Biblioteca Malatestiana)を創設した文化人領主。






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