チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

ハティヴァXàtiva

ハティヴァ Xàtiva

ハティヴァ駅。

鉄道で、
ヴァレンシアから約40分。
街のメインストリートであるアルベルダ・ハウメ1世通り(Alberda Jaume I)に観光案内所があり、そこで地図の載った簡単なガイドブックをもらえる。英語版あり。
街は小さく徒歩で回れるが、ハティヴァ城まで歩くのはちょっと大変。バスが出ているが本数は異様に少ない。

  • Turismo de Xàtiva
    ハティヴァ市内にあるボルジア所縁の名所を紹介してあります。
    地図が添付されわかりやすいのですが、フラッシュを使って作成されているせいか、文章が翻訳されません。コピペもできないので、辞書片手に読むしかありません・・・。
  • Tourist Info
    Calle Alameda Jaume I 50
    46800
    Xàtiva (Valencia)

「Xàtiva」はスペイン語で、「シャティヴァ」と発音する。
「ハティヴァ」はヴァレンシア方言で「Játiva」と綴る。
(日本では「Xàtiva」という綴りと「ハティヴァ」という音が通っているようなので、ページタイトルはそのようにしました。
正確には「シャティヴァ Xàtiva」もしくは「ハティヴァ Játiva」です。)

ローマ時代から絹織物の生産地として有名だった。また12世紀には高い製紙技術を誇った。

1238年、アラゴン王ハイメ1世(Jaime I de Aragón)はイスラムの支配下にあったハティヴァを征服、1240年配下のエステバン・ボルハにこの地を封土する。
以来ボルハ家はハティヴァを拠点として繁栄していく。

教皇アレクサンデル6世ことロドリーゴ・ボルジアの生まれた地。

  • ハティヴァ駅 -
  • サン・フランシスコ教会 -
  • サンタ・クララ修道院 -
  • アレクサンデル6世生家 -
  • サン・ペドロ教会 -
  • サンタ・マリア教会 -
  • ボティカ・セントラル - 薬局
  • ボルジア宮 -
  • ハティヴァ城 -
  • アルムディン美術館 - アルモディ美術館

※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。

アレクサンデル6世生家(Casa natal de Alejandro VI)

アレクサンデル6世生家。普通に人が住んでいます。

アレクサンデル6世広場(Plaça d'Alexandre VI)に建つ。この広場は以前はアルドマ広場(Plaça d'Aldomar)と呼ばれていたよう。

1378年にはすでにボルジア一族の住居として使われていた。
残されている記録によると、1432年1月1日、ロドリーゴ・ボルジア(アレクサンデル6世)はこの館の左手、中2階部分で生まれた、らしい。

もともとは横に長いひと続きの建物だったが、現在は中央で区切られた2つの建物になっている。
その形だけは当時の姿を保存しているようだが、外壁などは綺麗に塗りなおされていて、歴史を感じさせられる雰囲気はなくなっている。
広場中央にある噴水も17世紀のもの。

アレクサンデル6世生誕地記念プレート。







向かって右手にアレクサンデル6世生誕地であることを記念するプレートが掛けられている。
1992年、ロドリーゴの教皇選出500周年を記念して作られたもの。

「CAESARE MAGNA FUIT ROMA
NUNC EST MAXIMA
SEXTUS REGNAT ALEXANDER
ILLE VIR, ISTE DEUS」

「カエサルとともにローマは栄え
今それは頂点を極めた
神の代理人である
偉大なるアレクサンデル6世の下で」


さすが陶磁器で有名なヴァレンシア州?ロドリーゴも歩いたでしょう。ハティヴァには噴水が多いです。
広場のプレート左サイドの路地広場中央の噴水




サン・ペドロ教会(Iglesia de San Pedro)

開いている時間は月ごとに変わるようです・・・。

アレクサンデル6世ことロドリーゴ・ボルジアが洗礼を受けた教会。

14世紀、ハティヴァの商業地区に托鉢修道会によって建てられた。ゴシック・ムデハル様式。
内部の、3つの仕切りアーチと木製の格子天井、色鮮やかな梁、幾何学模様などが特徴的。
主祭壇前の2つの彫刻、サン・ペドロとサン・パウロはもともとはファサード前に置かれていたもの。
両壁際にはたくさんのハティヴァとヴァレンシア王の紋章が飾られている。




サンタ・マリア教会(Iglesia Colegial Basílica de Santa María)

サンタ・マリア教会。

カリストゥス3世広場に立つ教会。
ラ・スー(La Seu de Xàtiva)とも呼ばれる。

1244年、アラゴン王ハイメ1世がイスラムからこの地を奪還した後、モスクの跡に建てられた教会。
1413年、対立教皇ベネディクトゥス13世によって、聖堂参事会教会(Colegiata)に昇格された。
1596年から再建が始められ、幾度もの中断を経て20世紀まで続いた。

ロマネスク様式とビザンツ様式の混合するファサードには、ボルジア家の2人の教皇、カリストゥス3世とアレクサンデル6世のブロンズ像が置かれる。
これは1961年、ヴァレンシアの彫刻家オッタヴィオ・ヴィセント(Octavio Vicent )によって作られたもの。向かって右側がアレクサンデル6世。
ハティヴァ出身の2人の教皇は、この教会に多くの寄進を行い、その一部は今でも教会内を彩っている。


カリストゥス3世像。
アレクサンデル6世像。

教会ファサードに建つ、
カリストゥス3世像(左)と
アレクサンデル6世像(右)。

上の写真の右下部にも小さく見える。
このハガキが教会内で販売されている。


左端にアレクサンデル6世の肖像画が見えます。
主祭壇。





主祭壇(左)
と周歩廊(右)。

周歩廊のパイプオルガン前には2人のボルジア教皇の肖像画(ヴァレンシア大聖堂にあるものの模写)が飾られる。

右下の部分が「聖イルデフォンソの前に跪く枢機卿アロンソ・ボルハ(後のカリストゥス3世)」。



周歩廊の放射状祭室のひとつは、2008年、カリストゥス3世の死後550年を記念して作られた礼拝堂である。礼拝堂と言ってもただのくぼんだスペースだが(上の写真、右から2番目のアーチ下部分。)、1452年に描かれた、「聖イルデフォンソの前に跪く枢機卿アロンソ・ボルハ(後のカリストゥス3世)」(Pere reixach, Sant'Idelfonso con il cardinale Alonso Borja.)を含む祭壇画が飾られている。
もともとはアルムディン美術館所蔵のものだが、2008年にこちらに移されたよう。

← クリックすると拡大します。

付設の教会美術館には、カリストゥス3世所縁の宗教美術品、教書が展示されている。
左の写真は十字架(銀。1458年。)と聖杯(銀とエナメル。1455年 - 1458年。)
右は聖遺物とともに送られた教皇の教書。

ガラスケースに手前のものが写って見にくいです。すみません。 「聖遺物」が何なのか不明。

  • 開館時間
    月曜 - 日曜 09:30 - 13:00
    • 教会美術館
      火曜 - 土曜 10:30 - 13:00
      日曜・祝日 11:30 - 13:00

※ ミサの時間はまた別です。




ボルジア宮(Palacio de los Borja)(El Palau)

小路沿いにあるアーチ型の入口扉。 扉上の紋章。

もともとは、サンタ・マリア教会がイスラムのモスクであった頃、イスラム修道僧の住居として建てられたもの。
13世紀、サンタ・マリア教会が建てられると同時に、助祭長の住まいとして改築された。ゆえに助祭長館(Palacio del Arcediano)とも呼ばれる。
いくつかの家屋から成る複合邸宅で、その一部がボルハ一族傍系の住居であったと言われる。ゆえにボルジア宮の名でも呼ばれる。

小路沿いにあるアーチ型の入口扉上には、ボルジア一族の紋章が飾られている。
中央に教皇カリストゥス3世、両脇の枢機卿の紋章は、ヴァレンシア大司教であった、ロドリーゴ・ボルジア、もしくはチェーザレ・ボルジアの紋章と言われている。

ボルジア宮。改修して~。

ボルジアの屋敷であった建物は、アーチ型入口扉を入って、11時の場所にある。
風化してほとんど廃墟のようになっている。(左の写真)
修復中ではあるようだが、内部はがらんどう。

この敷地内は現在、ユースホステル「Albergue Turístico El Palau」として使われている。
こちらは、アーチ型入口扉を入って、3時の方向に建てられている。





市立アルムディン美術館(Museo Municipal del Almudín)

アルムディン美術館。

1918年に設立された市立美術館。18世紀に開かれたCorretgeria通りに建つ。
もともとは小麦の貯蔵および販売に利用されていた建物。1545年から1548年にかけて増築されている。
ファサードはゴシック様式。内部にはイオニア式の柱の立つルネサンス様式の回廊を持つ。


フェリペ5世の肖像。




コレクションは2部門に分かれる。
ひとつは考古学部門で、ローマ時代の碑文や彫刻、遺跡のかけら、イスラム王朝時代の水盤、陶磁器、など。
もうひとつは美術部門で、教会祭壇画からバロック時代の絵画など、幅広く所蔵している。プラド美術館からの借り出し絵画も多い。

ホセ・アモロス(José Amorós)によるフェリペ5世の肖像画は、上下逆さまに架けられていることで有名。(右の写真)
これは1707年6月6日、彼がハティヴァの街を焼き払うよう命じたことに対する強烈な非難の意味が込められている。



壁の一隅に、教皇カリストゥス3世の礼拝堂の残骸が展示されている。

天使に抱かれたアロンソの紋章。カリストゥス3世の埋葬された礼拝堂・・・ってローマのフェッブリ教会??はっきりわかりません。
枢機卿アロンソ・ボルハの紋章。カリストゥス3世の埋葬された礼拝堂の残骸。



「ハティヴァ 15世紀 - 16世紀 教皇カリストゥス3世とアレクサンデル6世の時代の街」
と題された模型。
中央やや右にサンタ・マリア教会。左端にアレクサンデル6世生家が見える。

ハティヴァ模型。

  • 開館時間
    • 9月16日 - 6月14日
      火曜 - 金曜 10:00 - 14:00 16:00 - 18:00
      土曜 / 日曜 10:00 - 14:00
      月曜 休み
    • 6月15日 - 9月15日
      火曜 - 金曜 09:30 - 14:30
      土曜 / 日曜 10:00 - 14:00
      月曜 休み

そんなに広くないので1時間もあれば回れる。




サン・フランシスコ教会(Iglesia de San Francisco)

サン・フランシスコ教会。この日は入口前でバザーが開かれていました。 サン・フランシスコ教会、扉を入ったところ。左手に売店があります。

1238年にイスラムからこの地を奪回した、ハイメ1世による建築物で唯一残っている教会。もともとは修道院であった。
当時のエントランスは、モンカーダ通りに面したアーチ型扉であった。(左上の写真右端。)
現在のサン・フランシスコ広場に面したエントランスは18世紀に付け加えられている。(左上の写真左端。)

2人のボルジア教皇、カリストゥス3世とアレクサンデル6世の両親はここに埋葬されている。
また、カリストゥス3世の妹カテリーナ・ボルハなどボルジア一族の面々もここに眠っている。

サン・フランシスコ教会。「ボルジア一族の墓」は見えるところにはありません。

14世紀、カスティーリャとの戦争で破壊され修復される。
1707年、火事で焼けてしまい、改修され拡大された。しかし1748年には地震による被害で再び荒れてしまう。
教会は売りに出され、映画館にしようとする動きもあったが、オリジナルのゴシック様式で再び改修された。

現在、外観は歴史的建造物らしい古びた様子をしているが、扉を開けたところはホテルのフロントのように近代化している。内部は普通の教会だけど。




サンタ・クララ王立修道院(Real Monasterio de Santa Clara)

サンタ・クララ修道院。 修道院扉。

もともとは街の城壁の外に建てられていた修道院。14世紀、アラゴンとカスティーリャの戦いで破壊されてしまい、城壁内に再建された。それが現在の場所である。
良家の婦女子が多く集い、その寄進によって修道院は多くの財宝を得た。しかしその多くは度重なる戦役で散逸している。
当時のゴシック・ムデハル様式の食堂とドミトリーが、17世紀に改修されて残っている。
しかし2001年、修道院は廃院となった。

16世紀初頭、ロドリーゴの姉妹である、ベアトリスが女子修道院長を務めたと言われる。




ボティカ・セントラル(Botica Central)




カフェバー・ボルジアズ・エポカ(Borgias Época)(Els Borgia)

カフェバー・ボルジア。なぜ「ボルハ」じゃないのか?

サンタ・マリア大教会の裏にある、カフェバー・レストラン。
壁面に書かれる店名は
「Borgias Época(ボルジア時代)」となっているが、
実際は「Els Borgia(ボルジア家)」であるよう。
しかし外観にも内装にもボルジアを思わせるものはない。

建物は19世紀の貴族の家を利用している。

メニューに、

  • 「Ensalade Lucrezia Borgia(ルクレツィア・ボルジアサラダ)」
     (レタス、チーズ、コーン、トマト、オリーブ、フルーツ)
  • 「Ensalada Calixto III(カリストゥス3世サラダ)」
     (レタス、トマト、チキン胸肉、玉ねぎ、ナッツ)
  • 「Ensalada Alenjandro VI(アレクサンデル6世サラダ)」
     (芽キャベツ、そら豆、ハム、アスパラ、マッシュルーム)

などがあって楽しい。チェーザレサラダはない。
他には卵をはさんだサンドイッチ「Huevo “Borja”」もある。カフェタイムとレストランタイムでメニューが異なるようなので注意。上記のものはレストランメニュー。

左手のドアが入口。 ランチタイム後の休憩に入っているところなので、お客がいません。

2階席は1階よりもやや落ち着いたシックな雰囲気。建物の向こう側には中庭がありテラス席がある。





ハティヴァ城(Castillo de Xàtiva)

ハティヴァ城遠景。
向かって左手部分がメノル(Castillo Menor)、右手部分がマヨル(Castillo Mayor)。

ハティヴァの丘の上にある、ローマ時代に建てられた古い城塞。
ハティヴァは、ローマからカルタヘナを通りカディスにまで至る地中海沿いの街道アウグスタ(Via Augusta)の途中に位置することから、戦略的に重要な街であった。紀元前3世紀、第2次ポエニ戦争で、カルタゴの将軍ハンニバルやローマの将軍スキピオもこの地を要衝として重要視していたと言う。

ローマ時代の後西ゴート族によって支配され、714年、イスラムの支配下に入る。1092年、エル・シドはハティヴァの再征服に失敗するが、1238年、ハイメ1世によって達成され、アラゴン王国の所領となった。城塞が全陥落したのは1244年。

15世紀、ボルジア家の台頭によって同家の勢力基盤となる。

16世紀のハティヴァ市民によって扇動されたゲルマニアの反乱、18世紀のフェリペ5世の劫略、地震、19世紀のスペイン独立戦争、などで破壊と再生が繰り返され、現在に至る。

城塞はメノル(Castillo Menor)とマヨル(Castillo Mayor)の2つの部分から成る。メノルの方が古く、小さい。(上の写真)

ハティヴァの街は城塞の右手に。
メノル(Castillo Menor)から見た、城塞マヨル(Castillo Mayor)。

画像の説明 画像の説明

画像の説明

古代ローマの城塞を土台として、キリスト教イスラム教両方の影響が見られる多文化が融合している城。
塔や壁がイスラムの痕跡で、建物は主にキリスト教時代のものになっている。14世紀から15世紀にかけて作られた。その後数世紀に渡って繰り返し修復されている。

正面入口は「ポルタ・フェリーサ(Porta Ferrisa)」(鉄の門)と呼ばれ、現在は修復されたものになっている。橋はもともと跳ね橋だった。

サン・ジョルディ(Sant Jordi)礼拝堂は、14世紀から15世紀にかけて存在したサンタ・アナ・デル・カスティーヨ礼拝堂の跡地に建てられたもの。
1564年の刻印によると、メノル、マヨルどちらにも独自の礼拝堂があったとされている。

広い階段を上ると庭園があり、青銅製の大砲が2基残されている。

第2の門の壁端には窯の跡がある。ムーア人(イスラム教徒でアラブ語を話す人たち)の衛兵が使っていたもので、彼らの部屋だった。

2番目の扉には、ローマ時代のヘリンボーン模様の舗装「opus spicatum」の跡が残っている。
側面は塔で守られ、隣には兵士のための部屋があった。

次に、マラニャット、もしくはデベサと呼ばれる門(Puerta del Malanyat)がある。牛はここから左手に放牧されていたよう。

この門の前にローマ時代から続く4つの井戸がある。外の井戸は4つだが城内にいくつも散在していた。

聖マリア礼拝堂は、1431年から1434年にかけて、アルフォンソ5世(ロドリーゴ・ボルジアの伯父カリストゥス3世に深く関わっていたアラゴンやナポリの王)の妻であるマリア女王の命で建てられた。

塔はサンタ・ゲオルグと呼ばれ、下部は牢獄としても使用されていた。が1748年の地震と1811年から1813年のフランス占領後に破壊された。
現在はローマ時代の土台のみが残っており、ただの壁のようになっている。

さらに少し登ると、最初の庭セロキアがある。
階段は鐘のある塔まで続いており、警報、警備、さらには果樹園の農家への灌漑時間の案内に役立っていた。

この場所には監獄があり、2つの部屋からなり1つは懲罰房だった。
入口の石板に収容された囚人のリストが書かれている。
最も有名な囚人はナポリ王フェデリーコ1世の息子カラブリア公フェルディナンドである。

しかし度重なる戦争と地震で現在は残っていない。

塔はもう1つあり、そこでは街を見下ろすことができる。
城壁の外にはバセットと呼ばれる監視塔があり、これは1705年にオーストラック・バセット将軍によって要塞化されたことから来ている。

ハンニバル門と呼ばれる門は、15世紀のゴシック様式の扉を持つ。
この扉そばのメイン広場に、城の起源と変遷を説明するプレートがある。






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