ヴィスコンティ
ヴィスコンティ家 (Visconti)
イタリア、ロンバルディア地方の貴族。
12世紀、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に対抗して設立されたロンバルディア同盟において、指導力を発揮。
1176年、レニャーノの戦いで皇帝軍を破り、ミラノの覇権を握った。
13世紀には、教皇グレゴリウス10世を輩出。
1395年、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティがミラノ公となるも、15世紀に後継者が絶え、フィリッポ・マリア・ヴィスコンティの娘ビアンカ・マリア・ヴィスコンティの夫であった、フランチェスコ・スフォルツァに、その支配権は移った。
テオバルド・ヴィスコンティ
(1210年〜1276年)(在位1271年〜1276年)
ローマ教皇グレゴリウス10世となる。
ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ
(1351年?〜1402年)
ピサ、シエナ、ボローニャをも支配したやり手の軍人。
文芸保護にも熱心であり、1386年、ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)の建設に着手。
1395年、神聖ローマ帝国皇帝ヴェンツェルに巨額を献上し、初代ミラノ公の爵位を得る。
ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ
(1388年〜1412年)
ジャン・ガレアッツォの息子。2代ミラノ公。
フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ
(1392年〜1447年)
ジョヴァンニ・マリーアの弟。
1412年兄が暗殺され、3代ミラノ公となる。
ヴァレンティーナ・ヴィスコンティ
オルレアン公ルイと結婚。
ルイ12世は、彼女の孫にあたる。この血縁によって、ルイ12世は、ミラノの継承権を主張した。
ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ
(1425年〜1468年)
フィリッポ・マリーアの娘。
フランチェスコ・スフォルツァと結婚。