ミラノMilano
ミラノ Milano
鉄道で、ローマから約4時間半。
フィレンツェから約3時間弱。
どちらも、中央駅(Milano Centrale)に到着。
※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。
スフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)
1355年、ガレアッツォ2世によって建てられた、ヴィスコンティ家の居城ポルタ・ジョビアを、1450年、フランチェスコ・スフォルツァが改築、1466年に完成した城。
(ヴィスコンティの城は、1447年、フィリッポ・マリア・ヴィスコンティの死後、民衆によって破壊され、廃墟となっていた。)
1467年からは、ガレアッツォ・マリア・スフォルツァが、ドゥオーモ脇の王宮から、移り住むことにし、城塞を私邸に変えるための改築に着手した。
現在は内部を市立博物館として公開、ミケランジェロの遺作「ロンダニーニのピエタ」をはじめ、多くの絵画、楽器、エジプトの遺物などが展示されている。
広々とした中庭(右上の写真)には、ダ・ヴィンチの8メートルを超える大きさの騎馬像が置かれるはずだった。1493年に粘土で作られた原型が展示されたが、1499年ルイ12世のミラノ侵攻時、フランス軍によって破壊された。
8室「板張の間」は1498年頃、ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)の依頼を受けたレオナルド・ダ・ヴィンチによって装飾されている。
この天井画は1894年になって、ようやく発見されたもので、1902年になって一般公開された。
←とてもわかりにくいが、森のように木々が天井を覆っている。
絡まりあう植物は、太く堂々とした立派な幹で支えられており、これはミラノを支配するスフォルツァ家への賛歌となっている、らしい。
9室とつづく10室「黒の小室」は、ルドヴィーコ・スフォルツァが、妻ベアトリーチェ・デステの死後、15日間閉じこもり、喪に服したという小部屋。
1499年、ルイ12世がミラノを掌握した時、ナポリ王フェデリーコを除いた、多くのイタリア諸君主たちがここに伺候している。
フェラーラのエルコレ・デステ、
マントヴァのフランチェスコ・ゴンザーガ、
ボローニャのジョヴァンニ・ベンティヴォーリオの名代で、息子のアンニーバレ・ベンティヴォーリオ、
サヴォイアのフィリベルト2世・・・。
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレやホアン・ボルジア枢機卿(サヴィオ)、そしてもちろんチェーザレも!!
※写真撮影OK!
アンブロジアーナ絵画館(Pinacoteca Ambrosiana)
ダ・ヴィンチの「音楽家」やラファエロ「アテネの学堂」の下絵のあることで有名な絵画館。
ルクレツィアがピエトロ・ベンボに贈ったという髪が展示されている。
第8室、左手の階段を下りたところにあるガラスケースの右側、下から2段目。
アンブロジアーナには図書館もあり、そちらにはルクレツィアの手紙、イタリア語のもの7通、スペイン語のもの2通、が所蔵されている。こちらは一般公開はされていない。
ちなみに、
- ダ・ヴィンチ「音楽家」は、第2室。
- ラファエロ「アテネの学堂」下絵は、第5室。
- カラヴァッジョ「果物籠」は、第6室。
※写真撮影は中庭のみOK。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Santa Maria delle Grazie)
1466年、ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(イル・モーロ(ルドヴィーコ・スフォルツァ)の兄)がスフォルツァ家の菩提所とするために建築させた教会。
後にイル・モーロが、内部をルネッサンス様式に改装させている。
教会わきにある、ドメニコ会修道院の食堂であったところに、レオナルド・ダ・ヴィンチが、イル・モーロの依頼で1495年から1498年にかけて描いた「最後の晩餐」(Cenacolo Vinciano)がある。
1497年、イル・モーロの妻ベアトリーチェ・デステが死去、この教会に埋葬される。イル・モーロは以来毎週ここを訪れ、制作中の「最後の晩餐」を見ながら昼食を摂った。
見学は1度に25人まで、15分となっている。予約は必須。
- 電話
010-39-2-89421146 (英語可)
(010は国際電話識別番号
39は国番号
2は市外局番)
- 予約できるサイト
- Cenacolo Vinciano Milano (公式サイト)
- Weekend in Milan
- Goporta Italian Adventures
下ふたつのサイトは、電話予約や公式サイトでの予約よりも手数料が高い。
が、公式で空きのない場合でも、購入できる可能性がある。(ただしイタリア語のツアーだったりする。が、日本語のオーディオガイドの有料貸し出し(要パスポート)があるので、そう問題はないと思う。)
電話予約はブッキングナンバーをメモしておくこと、サイトでの予約は、ブッキングバウチャーをプリントアウトして持参のこと。
※写真撮影不可(教会内はOKのよう)
ドゥオーモ(Duomo)
1386年、ミラノの大司教アントニオ・ダ・サルッツォの発願で、ジャン・ガレアッツォ・マリーアによって着工された大聖堂。古くから存在していたサンタ・マリア・デッレ・マッジョーレ大聖堂のあったところに建てられた。
完成までに500年を費やされている、イタリア最大のゴシック建築。
尖塔は135本、彫像は2245体。
1482年、中央塔設置の建築総責任者を決めるためのコンペティションに、レオナルド・ダ・ヴィンチも参加しているが、彼の案は採用されなかった。
ルイ12世がミラノに進攻した時、ここで爵位授与の儀が行われている。
フランスからルイに随行していたチェーザレは、間違いなく参加していただろう!
※写真撮影OK!
ブレラ絵画館(Pinacoteca di Brera)
17世紀に建てられたイエズス会の施設だった建物。1階は美術学校になっている。(ゆえに入り口が見つけにくい。中庭を抜け、普通の階段を上った奥にチケット売り場がある。)
マリア・テレジアのコレクションを、ナポレオン政権下で整備し、美術館として公開した。
15〜18世紀のロンバルディア派、ヴェネツィア派の作品を多く収集。
小ぢんまりした美術館で、鑑賞しやすい。
- ボニファーチオ・ベンボ「フランチェスコ・スフォルツァ」
- ピエロ・デッラ・フランチェスカ「モンテフェルトロの祭壇画」
(フェデリーゴ・モンテフェルトロが描かれている)(第24室) - 作者不明「スフォルツァ家の祭壇画」
(ルドヴィーコ・スフォルツァとその妻ベアトリーチェ・デステの描かれている)(第15室)
他に有名どころは、
- マンテーニャ「死せるキリスト」(第6室)
- ラファエロ「聖母マリアの結婚」(第24室)
- フランチェスコ・ヘイズ「口づけ」(第37室)
など。
※写真撮影不可
スカラ広場(Piazza della Scala)
スカラ座の前のスカラ広場に立つ、ダ・ヴィンチ像。
周りをマルコ・ドッジョーノら、4人の弟子たちに囲まれている。
(フランチェスコ・メルツィ(ダ・ヴィンチが遺産を残した愛弟子)がいないのはなぜだ。)
※写真撮り放題
サンタンブロージョ教会(Sant' Ambrogio)
ミラノの守護聖人、大司教アンブロージョを祭る教会。
386年、アンブロージョ自身によって着工された、ミラノ最古のロンバルディア・ロマネスク様式。
惣領版「チェーザレ」7巻(virtu 58)で、ダンテとハインリヒ7世の出会う場がここ。
外観など、変わってないように見える。
王宮(Palazzo Reale)
14世紀、ヴィスコンティ家の居城だったところ。
その後はスペイン政府に使用され、18世紀に改築された。
現在はエキシヴィションホールとして利用されている。
旧マッジョーレ病院(ex-Ospedale Maggiore)
1456年、各地に点在していた医療施設を、ひとつの病院としてまとめるために、フランチェスコ・スフォルツァによって建築された。
(ミラノは人口密度が高く、疫病の蔓延に苦しめられることの多い街であったので、このような施設は多くの人から希求されていた。)
柱廊と二連窓が続く壮大な建物で、ゴシックからルネッサンスへ移行する建築様式となっている、らしい。スフォルツェスコ城と同じ建築家、アヴェルリーノの設計。
カ・グランダ(CA'Granda 大きな家)とも呼ばれ、現在はミラノ大学が置かれている。
その他
- Feltrinelli フェルトリネッリ
惣領版「チェーザレ」の置いてあるブックショップ。
ドゥオーモから「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア」に入っていくと、すぐ右手にあります。
入り口が小さいので、やや気づきにくいかも。
- Messaggerie Musicali メッサジェリエ・ムジカーリ
惣領版「チェーザレ」の置いてあるブックショップ。
ドゥオーモを右手に見ながら、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りをサン・バビラ駅の方へ歩いていくと、左手にマックス・マーラがあり、その向かい側にあります。
CD、DVDも豊富。
地下にカフェとトイレ(無料)があって、便利です。
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