2009-06-07-シエナ、フィレンツェ
旅行日記 2009-06-07 シエナ、フィレンツェ
モーニングコールをお願いせずに、寝ました。
(アラームシステムがないホテルばっかなんだけど・・・なんで?)
でも7時には目覚め、7時半には起きました。
おりこうさん。
ま、昨日、23時には寝たからね。
シエナに行きます!
いっぱい寝たので、元気!復活!
いつまでも、落ちてはいられんよ!
9時10分、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅近くから、バスが出ています。
(シエナへの電車は、遠回りする上、駅が市街地から遠いので、バスの方が便がよいようです。)
チケットも往復をスムーズに買えて(旅慣れてきた?うふふ!)、
席も確保し(すごく人が多かった。座れなかった人は、下ろされてた!次に乗れってことか・・・)、
さあ、出発進行〜、ナスのお新香〜(BY クレヨンしんちゃん)。
シエナ。
7月と8月に行われる、パリオ(裸馬に乗って、広場で行うレース)が有名な所です。
まあ、私は塩野版「チェーザレ」読むまで、知らんかったけど。
みんな、そうだよね?ちがう?
この行事は、深く歴史に根づき、生活と結びついた、シエナ人の誇りであるもの、だそうです。
博多の山笠みたいなもんですかね?
教皇を2人も輩出した(ピウス2世とピウス3世)、ピッコローミニ家のお膝元です。
共和国でありましたが、チェーザレの時代には、僭主パンドルフォ・ペトゥルッチが、権力を握っていました。
強力な皇帝派だった街です。
バスの中で、雨が降り出す。
ギャー!傘持ってきてない!
窓の外が見えないくらい、じゃんじゃん降りに。
「いや、シエナまで1時間以上かかるんだ、今、ここが降ってるだけで、シエナは降ってないよ!」
と思いこむ。
・・・降ってなかったよ。
すごい!
と、思ったら、30分後には降りだした。
かなり降ってたので、仕方なく、傘買う・・・。4ユーロ。
が、1時間半後、からりと晴れる。
なんなの。
神さん・・・私を振り回しすぎですよ・・・。
- カンポ広場
パリオが行われる広場です。扇形に作られた、円形劇場のような広場です。
ここでパリオが行われるにしては・・・せまくない?
でも、そんな広大な所でやるんじゃないから、より熱狂するのか。
1347年に完成だというので、チェーザレがシエナに移動したら、登場するのでしょう!
わくわくわく。
9つの小扇形に、ラインで分けられていて、これは9人の市民代表が市政を担っていた「9人体制」を表している、んだって。
なんかうまく撮れなかった・・・。
- プブリコ宮殿
- 市立美術館
- マンジャの塔
扇の要部分にある、尖塔を持つ建物がプブリコ宮殿。
13世紀の建物です。現在も1階が市庁舎として使われているそうです。
すごいなー。
一部が市立美術館となっています。
なんか美術館を見すぎたのか、特に感想が持てません・・・。
シエナ派の作品が鑑賞できます。
って言われても、シエナ派ってどんなんだ!?って感じですわ。
(ビザンツの影響を受けた・・・とか、どっかで見たような・・・。
でも違うかも。信じないでくさい。)
(しかもそれが正解であっても、よくわからないことに、変わりはない。)
屋上に出られて、気持ちよかったです。
尖塔が、マンジャの塔。
登りたかったけど、500段だって・・・。
いや!登るよ!せっかく来たんだもん!
と、張りきって行ったら、あまりに行列していて、やめました・・・。
(登れる人数が限られているので、少しずつしか上げられないんだって。)
- ドゥオーモ
12世紀に建設が始められ(13世紀の説も)、1339年、拡張工事に踏みきり、14世紀半ば、その計画が頓挫した大聖堂。
まぬけな話だけど、その拡張工事というのが、
十字架の形の教会の、長い部分(つまり正面のファサードのある部分)を短い所にして、短い部分を拡張し、こっちを十字架の長い部分にしようとした、計画だったそうで。
すごいこと考えるなー。
フィレンツェの大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)を追い越したかったらしい。
どんだけ、対抗心持ってんだ!
作りかけで、ファサードのみ。
内部が白と濃い緑のシマシマで・・・なんかツタンカーメンみたいでした・・・。
ここにはピッコローミニ枢機卿
(後のピウス3世)
(チェーザレがシエナに行ったら、「父ちゃんに清き1票を!」とお願いされるはずの人)
が、叔父ピウス2世の蔵書を保管するために建築した、ピッコローミニ図書館があります。
まわりの壁画はピントリッキオ
(ヴァティカン、ボルジアの間にパパやルクレツィアたちの肖像を描いた人)
の作です。
傘をさしても、濡れるくらい雨足が強いので、入るつもりのなかった、ドゥオーモ付属美術館へ。
- ミュゼオ・デロペラ・メトロポリティアーナ
ドゥオーモ付属美術館のことです。
途中でやめてしまった、長くなるはずだった教会部分が利用されています。
ここ、おもしろかったです。
教会に置いてある、彫像のオリジナルをはじめ、教会関係のものが、たくさん。
司教の服とか。絵画もあります。
「チェーザレ」2巻カラーで、チェーザレが掴もうとしてる、オステンなんとか
(なんだったっけ・・・?オステンフィーリオ?ちがうな・・・わかんない、忘れました。オステンなんとか)
が、置いてありました。
屋上に登ることができて、ここから見えるマンジャの塔とカンポ広場が、素敵でした。
マンジャの塔、登んなくてもよかったや。
でも、登ってたら、きれいな扇形の広場が見られたね・・・。
地図に「ピッコローミニ宮殿」とあったので(3ヶ所もあった)、探して行ってみたけれど、なんちゃない、フツーの建物でした。
開放されてもないし、説明のプレートもない。
なんでだ。
時間があったので、サン・フランチェスコ教会へ。
ガイドには何も書いてなかったけれど、けっこう大きな教会っぽかったので。
ちょうどお昼休みの時間で、入れなかったけど、中庭を見ることができました。
ドゥオーモ周辺は、人が多く雑然としているのに、ここには誰もいない。静か。
中庭もきれいで、すごーくなごめる所でした。
行ってよかった。
やっぱ教会の中庭はいい!
シエナはあちこちに「ロムルスとレムスと雌狼」の像がありました。
シエナを建国したのが、レムスの息子たちである、とされているそうです。
だからこの像は、シエナのシンボルなんだって。
あと!
お土産屋さんにあった絵ハガキで、「チェーザレ」6巻に登場した、パリオの場面とそっくりなやつが!!
惣領さん、コレ見て描いた・・・?
そう言えば、ピサの洗礼堂の方から見た、ドゥオーモ広場も、「チェーザレ」に登場したのと、そっくりなハガキがあった。
こっちは、
「偶然?」
と思えたけど、パリオのは、偶然じゃないっしょ〜。
見せたい!!
でも、ハガキってきっと載せちゃダメよね?
残念〜。
※ 載せました → 関連アイテム
ロムルスとレムスと雌狼。
15時40分のパスでフィレンツェへ。
帰りは急行ではないので、2時間ちょっとかかります。
(バスの本数が少なくて、鈍行しかなかった。)(日曜だから。)
途中、停まった街にポッジポンジがありました。
ポッジポンジ。
チェーザレの傭兵隊長だった、ヴィテロッツォ・ヴィッテリが略奪した街じゃん!!
すごいな〜、本当にあるんだな〜、と、なんか変な実感をしました。
本当に、ここらにいたんだよ!
すごいよ!
18時前、フィレンツェ着。
まだ元気があるので、ホテルからわりと近い、ストロッツィ宮とピッティ宮を見に行くことに。
- ストロッツィ宮
ルネサンス様式を代表する宮殿だそうです。
エルコレ・ストロッツィ(フェラーラに嫁いだルクレツィアと親交を深める人文主義者)と関係あるのかしら・・・?
入り口に、宮殿の歴史説明があったけど、読む気力はありませんでした。
というか、エルコレ、という名前は見あたらなかった。
1階にはなんか、近代的なカフェがありました。
- ピッティ宮
こちらもルネサンス様式。
しかしストロッツィ宮が、従者のおうちにしか見えんくらい、でかい。豪華。
中には5つもの博物館が入っているんだって。
建築したのはピッティ家ですが、後にメディチの手に渡っています。
ピッティ家は、メディチ家のライヴァルで、ピエロ(ロレンツォの父ちゃん)暗殺を企てたりしています。
パッツィ家の陰謀とごっちゃにしがちですが(私だけ?)、ピッティ家の陰謀は、別物です。
大きくて(というか横長くて)、画面に入りきれない。
グイッチャルディーニ通りを歩き、ヴェッキオ橋を渡って、ホテルへ。
途中のレストランで、ご飯をテイクアウトしました。
1人だから、部屋で食べる方が気楽。
明日はローマへ移動です!
いよいよボルジアの本拠地!!
がんばらねば。
旅もあと1週間です。
明日はネットにつなぐぞ〜。
今日歩いた歩数:20355歩