ヴィテッリ
ヴィテッリ家(Vitelli)
祖先は11世紀のヴィテッリオ(Vitellio)に遡る。
ウンブリアの小村で、家畜の取引で巨万の富を築いた。
14世紀末に隣接するチタ・ディ・カステッロへ移住し、街の主導権争いに関与した。
15世紀半ばにヴィテロッツォ1世が台頭し、1440年に教皇エウゲニウス4世から、チタ・ディ・カステッロの広範な自治権を持つ教皇代理(ヴィカーリオ)に任命された。
ヴィテロッツォ1世の甥であるニッコロ1世(1414-1496)は教皇によって騎士に叙され、サビーナの総督を務めた。
一族は戦争に従事し、傭兵隊長(コンドッティエーレ)として名を馳せた。
主に教皇庁に仕え続け、しばしばローマで軍務に従事した。
16世紀には枢機卿も輩出した。
カミッロ・ヴィテッリ
ニッコロ・ヴィテッリ(Niccolò I Vitelli)
(1414 - 1496)
ヴィテロッツォ・ヴィテッリ(Vitellozzo Ⅱ Vitelli)
(1458年頃~1502年12月31日(翌1月1日午前2時頃なので、1503年とされることも多い))
本名はニッコロ・ヴィテッリ。ヴィテロッツォの名で知られる。
チッタ・ディ・カステッロ出身。チッタ・ディ・カステッロ、モンテルチ、アンギアーリの領主。
ニッコロ・ヴィテッリの息子で、
パオロ・ヴィテッリ、ジュリオ・ヴィテッリ、ジョバンニ・ヴィテッリ、カミッロ・ヴィテッリの兄。
オリベロット・ダ・フェルモの義兄。
パオロ・オルシーニの娘婿。
アレクサンデル6世とチェーザレに仕えたものの、最終的にチェーザレの命によりミゲル・ダ・コレッラに絞殺された。
ジュリオ・ヴィテッリ
パオロ・ヴィテッリ(Paolo Vitelli)
(1461年 - 1499年10月)
モントーネの領主。
ニコロ・ヴィテッリの息子で、ヴィテロッツォ・ヴィテッリの弟。
アレッサンドロ・ヴィテッリとニッコロ・ヴィテッリの父。
ジョヴァンニ・ヴィテッリ
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