ヴァティカン美術館MuseiVaticani
ヴァティカン美術館(Musei Vaticani)
※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。
歴代ローマ教皇の収集した、古代から現代までの多くの美術品を所蔵、展示する世界有数の美術館。
いくつもの美術館、博物館、図書館で構成され、展示コースは7キロにもおよぶ。
(1作品に1分かけるとすると、全部見終わるのに12年!!かかるらしい。)
が、見学は一方通行となっているので、そう混乱はしない。
美術館への入り口は、ヴァティカンの国境の北端、サン・ピエトロ広場からは徒歩で5分強、城壁を逆時計回りにぐるりとまわったところにある。
(サン・ピエトロ広場を3時とすると、ヴァティカン入り口は12時にあたる部分。)
最寄り地下鉄はチプロ・ヴァティカン博物館(Cipro-Musei Vaticani)。
見学コースは、基本下階と上階に分かれている。
- 下階
エジプト博物館、
ピオ・クレメンティーノ美術館、
キアラモンティ美術館、
ボルジアの間、
システィーナ礼拝堂、
グレゴリウス世俗美術館、
絵画館、・・・など。
- 上階
グレゴリウス・エトルリア美術館、
地図のギャラリー、
ラファエロの間、・・・など。
ボルジアの間(Appartamento Borgia)
ラファエロの間(Stanze di Raffaello)
教皇宮殿の3階、ボルジアの間の真上にある4つの部屋。
1507年、教皇ユリウス2世(ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ)は、「常にボルジア家を足蹴にしてやる」意図をもって、ボルジアの間の上階へと移り住んだという。
彼はこの部屋部屋を、ラファエロによって装飾させた。
ラファエロは多くの弟子たちを使い、1508年から1524年にかけて、教会と教皇を称える壁画を描いた。
(ラファエロの死(1520年)後、作業は弟子たちによって引き継がれ、続けられた。)
1503年8月、病に伏したチェーザレのベッドが置かれていたのは、ラファエロに装飾される前の、この続き部屋だった。
ラファエロの間 第1室 コンスタンティヌスの間
1517年~1524年にかけて装飾された部屋。
公的な催し物が行われていたところ。
ラファエロの下絵に基づいてはいるが、ほとんどを彼の死後、弟子たちの手によって制作された。
左は「コンスタンティヌス帝の洗礼」(Battesimo di Costantino )の部分。「チェーザレ」7巻、Virtu 56に描かれている。
教皇シルウェステル1世は、レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)の従弟、クレメンス7世(ジュリオ・デ・メディチ)をモデルに描かれている。
右は「ローマの献上」の部分。この教皇シルウェステルも、クレメンス7世がモデル。
「チェーザレ」7巻、Virtu 60で言及されている「コンスタンティヌスの寄進状」の場面を描いている。
ラファエロの間 第2室 ヘリオドロスの間
1511年~1514年にかけて装飾された部屋。
教皇のプライヴェートルームであったところ。
左は「大教皇レオとアッティラの会見」(Incontro di Leone Magno con Attila )の部分。
レオ1世は、教皇レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)をモデルに描かれている。
右は「ボルセーナの奇跡」(Messa di Bolsena )。
中央の祭壇、右に跪いているのは、ユリウス2世。
(拡大したものを見る → 肖像画)
その後ろに控えている枢機卿の2人(緋色の衣装)は、レオナルド・デッラ・ローヴェレ(ユリウス2世の従姉マリアの子。)とラファエーレ・リアーリオ。
ラファエーレの方が若く描かれているが、実際はレオナルド1464年生まれ、ラファエーレ1461年生まれ。
ラファエロの間 第3室 署名の間
1508年~1511年にかけて装飾された部屋。ヴァティカンにおけるラファエロの最初の仕事。そのせいか彼の手が最も多く入っている。
ユリウス2世の書斎であったところ。
下は「聖体の論議」(Disputa del Sacramento )。クリックすると拡大して説明が出ます。
右は「教令集の公布」の部分。
中央の教皇グレゴリウス9世は、ユリウス2世がモデルとなっている。
教皇の左に立つのはジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿、
右に立つのは、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿、らしい。
下は「アテネの学堂」(Scuola di Atene )。クリックすると拡大して説明が出ます。
アリストテレスが左手にたずさえる書物は「チェーザレ」2巻 Virtu 13や7巻 Virtu 61に登場する「ニコマコス倫理学」。
またVirtu 34に描かれる「古代復興だと----」の場面は、この絵が下敷きになっている。
階段中央下に頬杖をついてうずくまるヘラクレイトス(ミケランジェロ)は、下絵の段階では描かれていなかった。
が、制作中のシスティーナ礼拝堂を垣間見たラファエロは、その素晴らしさに感銘を受け、ミケランジェロの姿を模したヘラクレイトスを新たに描き加えた。
(ミラノ、アンブロジアーナ絵画館で、そのヘラクレイトスなしの下絵が見られる。)
下は「パルナッソ」。クリックすると拡大して説明が出ます。
中央で楽器(リラ)を弾いているのはアポロン。
彼の左右にかたまっている9人の女性はミューズ(詩や音楽の女神たち)。
その周囲に著名な詩人たちが集う。
ラファエロの間 第4室 ボルゴの火災の間
1514年~1517年にかけて装飾された部屋。実際に手がけたのはラファエロの弟子たち。
レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)の食堂であったところ。(ユリウス2世は1513年に崩御し、次代教皇はレオ10世であった。)
レオ10世の威光を称えるために、レオと名のつく2人の教皇、レオ3世(在位795年~816年)とレオ4世(在位847年~855年)を登場人物とし、彼らの時代の有名なできごとを描いている。
下は「シャルル・マーニュの戴冠」(Incoronazione di Carlo Magno)。
800年のクリスマス、サン・ピエトロ大聖堂で行われた戴冠式を描いている。
教皇レオ3世はレオ10世がモデル。
シャルル・マーニュ(カール大帝)はルイ12世の後のフランス王、フランソワ1世がモデル。
1515年、ボローニャで行われた教皇庁とフランスの協定を記念して描かれた。
下は「ボルゴの火災」(Incendio di Borgo )。
847年、サン・ピエトロ大聖堂そばのサン・スピリト地区で起きた火災を、レオ4世は十字を切って鎮めたと言われている。
中央右上に、開廊で手を上げている教皇が描かれている。彼のいる建物はコンスタンティヌス帝の建てた旧サン・ピエトロ大聖堂。「チェーザレ」1巻 Virtu 9に描かれている聖堂とは、少し違っている。
下は「オスティアの戦い」(Battaglia di Ostia )。
849年、オスティア沖でサラセン軍を打ち破った教皇レオ4世を描く。
左端に描かれるレオ4世のモデルはレオ10世。
その背後の緋色の帽子の2人は、ベルナルド・ドヴィーツィ・ダ・ビッビエーナ(枢機卿、喜劇作家)とジュリオ・デ・メディチ(レオ10世の従弟、後の教皇クレメンス7世)。
絵画館
11世紀から19世紀の絵画、タペストリーが展示される。全18室。
ラファエロ「キリストの変容」(第8室)、
レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖ヒエロニムス」(第9室)、
などが有名。
- 第4室
メロッツォ・ダ・フォルリによる「シクストゥス4世と甥たち(Sisto Ⅳ e il Platina)」。
クリックすると拡大して説明が出ます。
教皇シクストゥス4世の改築したヴァティカン図書館に描かれていた壁画。1821年にカンヴァスに移された。
古典学者プラティナを、図書館長に任命しているところを描いている。(1477年に描かれた1455年のできごと。)
プラティナはシクストゥスの偉業を称える銘文を指差している。
建物に描かれている文様は、デッラ・ローヴェレ家の紋である樫(オーク。イタリア語でローヴェレ。)の装飾。
- 第5室
インノケンティウス8世の紋章。
ベルヴェデーレ宮殿の扉にはめ込まれていたもの。
- 第9室
15世紀に描かれたアレクサンデル6世の肖像。
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