イモラImola
イモラ Imola
鉄道で、ボローニャから約25分。
(ボローニャまで、
ミラノから約1時間20分〜1時間50分。
フィレンツェから約1時間。
ローマから約2時間半。)
駅から街の中心まで、徒歩で約10分。
やや街外れにある城塞ロッカ・スフォルツェスカまで、徒歩で約20分。
歩いてまわれます。
- イモラ Imola
- ロッカ・スフォルツェスカ(Rocca Sforzesca)
- タッデオ・デッラ・ヴォルペ生家(Casa della Volpe)
- デッラ・ヴォルペ家(Palazzo della Volpe)
- 大聖堂(Cattedrale di San Cassiano Martire)
- 司教邸(Palazzo Vescivile)
- サン・ドメニコ教会(Chiesa e Convento dei Santi Nicolo e Domeico)
- マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)と市庁舎(Palazzo Vecchio del Comune)
- セルサンティ館(Palazzo Sersanti)
- エミーリア街道(Via Emilia)
- ロッカ・スフォルツェスカ - イモラの城塞
- タッデオ・デッラ・ヴォルペ生家 -
- デッラ・ヴォルペ家 -
- 大聖堂 -
- 司教邸 -
- サン・ドメニコ教会 -
- 市庁舎 -
- セルサンティ館 - 旧リアーリオ・スフォルツァ館
- エミーリア街道 -
※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。
ロッカ・スフォルツェスカ(Rocca Sforzesca)
1499年11月9日、チェーザレはイモラ、フォルリ攻略に向けてミラノを発つ。
ルイ12世に援助を受けた軍勢は、総勢1万6千。
ピアチェンツァ、パルマ、レッジョ、モデナと行軍し、11月25日、イモラへ入城する。
その時に、まずはじめに見えたのは、イモラの北西、エミーリア街道のわきにある、この城塞(の背中)だったはず。
カテリーナ・スフォルツァのの恐怖政治を憎んでいた民衆は、抵抗することなく、チェーザレを迎える。
12月13日、一滴の血も流すことなく、イモラはチェーザレの手に落ちる。
イモラは、後にチェーザレの公国の首都として、定められようとするが、「城塞が堅固である」ということが、その理由の一つであった。
- 開館時間
土曜=15:00 - 19:00
日曜=10:00 - 13:00 / 15:00 - 19:00
団体での来場は要予約。
予約問い合わせ受付:火曜〜金曜。
TEL.010-39-542-602609
(010は国際電話識別番号、39は国番号)
(マイラインに登録していない場合、010の前に通信各社の番号が必要。
(例えばKDDIの001番))
タッデオ・デッラ・ヴォルペ生家(Casa della Volpe)
傭兵隊長タッデオ・デッラ・ヴォルペの生家。
彼はチェーザレのファエンツァ進攻時から、チェーザレの腹心となる。
1503年、彼はミゲル・ダ・コレッラとともにジャンパオロ・バリオーニ率いるフィレンツェ軍に捕らわれるが、彼もミゲル同様、チェーザレを裏切ることなく、捕囚となることを選んだ。
最初の3行に、「傭兵隊長タッデオ・デッラ・ヴォルペの生家」とあります。 ↑
プレートの英訳
This house which has witnessed the birth of Taddeo della Volpe chief and (that) knew the compassion of Sacro Monte the association for the historic artistic Imola patron benefactor (and of) Imola Cassa di Risparmio (this house) has been honored of its first renovation (in) the year 1938 (the) 16th (year) of the Fascist Era
デッラ・ヴォルペ家(Palazzo della Volpe)
上の「タッデオ・デッラ・ヴォルペの生家」とは別の場所にある、これもヴォルペ家。
もともとは「cappello」(帽子の意味)という名の旅館であったもの。
1480年から1484年にかけて、メロッツォ・ダ・フォルリによって設計された。1534年と18世紀に修復。
(メロッツォ・ダ・フォルリは、ヴァティカン美術館にある「シクストゥス4世と甥たち」などを描いた画家。)
大聖堂(Cattedrale di San Cassiano Martire)
1187年〜1271年にかけて建設。鐘楼は15世紀になってから。
1763年〜1782年に大改築が行われているが、チェーザレの時代には存在した大聖堂。
司教邸(Palazzo Vescivile)
大聖堂の向かい側、タッデオ・デッラ・ヴォルペ生家の向かって左隣にある司教邸。
1187年に建設。
18世紀に改築されているが、チェーザレの時代には存在した司教邸。
サン・ドメニコ教会(Chiesa e Convento dei Santi Nicolo e Domeico)
13世紀に建てられた教会と修道院。
1702年から5年をかけて改修されている。が、チェーザレの時代には存在した教会。
右隣にはVia Sacchiに面して絵画館がある。
マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)
と市庁舎(Palazzo Vecchio del Comune)
イモラの中心地である広場。15世紀後半に作られ、当時から街の中心地となっていた。
市庁舎は11213年に建築。1745年〜1771年、1805年〜1810年と2度にわたって改修されている。
セルサンティ館(Palazzo Sersanti)
マッテオッティ広場、市庁舎の向かい側にある15世紀初頭に建てられた、領主の館。
チェーザレの時代には、リアーリオ・スフォルツァ館(Palazzo Riario Sforza)と呼ばれていた。
エミーリア街道(Via Emilia)
ミラノからリミニへつづく、ローマ時代からの街道。
イモラの街の北西から、城塞の左脇を通り、街の中心を横切り、東へ抜けている。
チェーザレ軍が南下して行った通り。
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