チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

フェラーラFerrara

フェラーラ Ferrara

フェラーラ駅.jpg

鉄道で、ボローニャから約30分。
(ボローニャまで、
ミラノから約1時間20分〜1時間50分。
フィレンツェから約1時間。
ローマから約2時間半。)
ヴェネツィアから約1時間40分。

フェラーラ駅から、観光の中心であるエステ城まで徒歩15分。駅前にはバス停もあります。



※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。

エステンセ城(Castello Estense)

エステンセ城 エステンセ城

エステンセ城

1385年、ニッコロ2世によって着工されたエステ家の居城。
改修が繰り返され、完成したのは16世紀。
アルフォンソやイザベッラ、ベアトリーチェらの生まれたところ。
アルフォンソの部屋が残っている。
ニッコロ2世の2度目の妻パリジーナ・マラテスタと、ニッコロの庶子ウーゴの投獄された牢、アルフォンソの弟ジュリオの投獄された牢も見られる。(下の写真)
ルクレツィアはフェラーラに嫁ぎ、この城で暮らした。

エステンセ城牢 エステンセ城牢

4つの塔とそれをつなぐ回廊によって、内庭を囲むように作られた城。周囲には濠がめぐらされ、今も水を湛えている。




大聖堂(Cattedrale)

完成までに3世紀かかっているそう。

フェラーラの守護聖人サン・ジョルジョに捧げられた教会。
11世紀の着工当時は飾り気のないロマネスク様式であったが、次第にエレガンスなゴシック様式に移行し、結果、混合様式となっている。

大聖堂内部。



ルクレツィアとアルフォンソの結婚祝典の4日目(日曜日)、ここで盛式ミサが行われている。
イザベッラ・デステや、フランス大使、一般の民衆もこれに参加した。




サヴォナローラ像(Statua di Savonarola)

サヴォナローラ像。怖い顔をしています・・・。

ドメニコ会修道士、ジローラモ・サヴォナローラの像。
エステンセ城の前にある。
彼は1452年、フェッラーラで生まれた。
祖父は当時のフェラーラの当主ボルソ・デステに仕える医師であった。




コルプス・ドミニ修道院(Monstero Corpus Domini)

まずこのドアから入り、修道女の方に見学を申し出ます。 正面側。ドアを入るとまず礼拝堂(下の写真)があり、その奥に墓所があります

修道院内の礼拝堂。写真は改築途中にあります。

エステ家の墓所のある修道院。
ルクレツィア、その夫のアルフォンソ1世、2人の孫であるアルフォンソ2世もここに眠る。
他にエレオノーラ・ダラゴーナ(アルフォンソ1世の父エルコレ1世の妻。この修道院の設立者。)、
ルクレツィア・デ・メディチ(アルフォンソ2世の妻)、
などが眠る。
ルクレツィアは1502年の死産後、ここで静養しているし、かなり頻繁に訪れていたよう。
彼女の葬儀もここで行われている。




スキファノイア宮(Palazzo Schifanoia)

スキファノイア宮 ルクレツィア、アルフォンソコイン.jpg,左はアルフォンソ・デステ、右はルクレツィア
エステ家の別荘であったところ。スキファノイアとはうさばらし、退屈しのぎという意味。
現在内部はギリシャ時代の彫像などの置かれる美術館となっている。
1469年から1470年にかけてフランチェスコ・デル・コッサによって描かれたフレスコ画「12ヶ月」が有名。
エステ家ゆかりのものは、ボルソ・デステ(ルクレツィアの夫アルフォンソ1世の父エルコレの異母兄。エルコレの前のフェラーラ侯爵)関係のものが多い。
ブックショップは、フェラーラで最もルクレツィアおよびボルジア関連のものが、揃っていると思う。
↑ この、ルクレツィアの彫られたコインは、マリーア・ベロンチ著「ルクレツィア・ボルジア」の巻頭資料に、「スフォルツァ城、ミラノ」にあると書かれているが、スフォルツァ城では見つけられず、ここスキファノイア宮にあった。



カーサ・ロメイ(Casa Romi)

この館の前の通りはサヴォナローラ通りです。

典型的な15世紀貴族の館。
ルクレツィアとピエトロ・ベンボの仲をとりもった、詩人エルコレ・ストロッツィが、1508年6月6日、この館のそばで殺害されている。
彼の体には22ヶ所もの刺し傷がああり、傍らには松葉杖が転がっていた(ストロッツィは生まれつき脚が悪かった)と言う。
犯人は未だ不明のまま。

ルクレツィアはかなりストロッツィと親しかったようだが、この殺人事件に、彼女の名前が引き合いに出されることは、なかったよう。



コスタピーリ宮(ルドヴィーコ・イル・モーロ宮殿)
(Palazzo Costabili di Ludovico il Moro)

ルネサンス様式。奥には美しく整えられた中庭がある。

1495年、イタリアの現状を憂い、疲れたミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァが、心穏やかに過ごすための別荘として、妻ベアトリーチェの実家であるフェラーラに建てようとした宮殿。
(ベアトリーチェはエルコレ・デステの娘。アルフォンソ、イザベッラの妹。)
建築はビアージオ・ロセッティに依頼されたが、ルドヴィーコが没落しフランスに追放されると、1504年、工事は中断され、エステ家の外交官であったアントニオ・コスタビリの所有するものとなった。(ゆえにパラッツォ・コスタビリ(Palazzo Costabili)とも呼ばれる。)
(ガイドブックや一部サイトは、異なる内容説明がなされているが、フェラーラで購入したガイドブックには、このように紹介されていた。ので、それを採用した。)
現在内部は国立考古学博物館(Museo Archeologico Nazionale)になっていて、ギリシャ時代の出土品などが展示されている。



サン・タントニオ・イン・ポレージネ修道院(Monsteo di S'Antonio in Polesine)

カスタビーリ宮から少し歩いた、街の南にあります

ベアトリーチェ・デステゆかりの修道院。
近くにはベアトリーチェ・デステ通り(Via Beatrice D'este)もある。
しかし、このベアトリーチェは、13世紀の人で、エルコレ1世の娘ベアトリーチェではありませんでした!
ルクレツァアがよく訪れた修道院のひとつとして、挙げられてはいる。
きれいに手入れされた中庭が気持ちのいい修道院。




ディアマンテ宮(Palazzo dei Diamanti)

マンテーニャなどフェラーラ出身の画家の作品が充実、だそうです。

1万4千個もの四角錐に刻まれた、大理石に覆われた宮殿。その外観からディアマンテ(ダイヤモンド)の名前がついたという1493年に建設されたエステ家の宮殿。
現在内部は、国立絵画館(Pinacoteca Nazionale)と挿し絵美術館(Museo dell'Illustrazione)となっている。







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