2009-05-29-フォルリ、カステル・ボロネーゼ
旅行日記 2009-05-29 フォルリ、カステル・ボロネーゼ
えーワタクシ、またやらかしました。
今度は、電車のチケットを買おうとして、クレジットカードを入れてはいけない所へ挿入し、カードが出て来なくなりました。
ありえないね。
それまでふつうにカードで切符を買ってたので、
(現金を受け付けない機械が多い。受け付けてもおつりが出なかったりする。)、
ふつうにカード入れるところへ差し込んだら、
「銀行カードとクレジットカードを、入れるな」
書いてありました。よく見ると。
(たぶんSUICAのようなものを入れるところだったのでしょう。)
なーんで、こんな視野がせまいんでしょう。視野狭窄?病気?
今、チェーザレしか見えてないのは、そういうことか・・・。
駅員さんを呼ぶと、
「僕じゃわかんないねー、業者呼ぶわ!」
的なことを言われたので、
うわー待たされるんだろうなー、でも時間あるからいいか、今から飛行機!とかじゃなくてよかったー、前向きだなー私、こんなふうに考えっから、アホなことくり返し続けんだろーなー、
とおかしくなって、一人笑いしてたら、業者に対応の仕方を聞いたらしい駅員さんが、すぐに出してくれました。
よかった!!
すごーく感じのいい素敵な駅員さんでした。LOVE!!
閑話休題。
さて。
ボローニャから
イモラ、
カステル・ボロネーゼ、
ファエンツァ、
フォルリ、
チェゼーナ、
と同じ路線上にあって、まずどこに行こうか迷ったんですけど、
(チェーザレの進軍したとおりまずイモラ、次にフォルリ、ファエンツァ、と周ろうかと考えた。)
時間がなくなってしまう可能性を考慮して、行きたいところから行くことにしました。
よって、今日はフォルリ。時間があれば、イモラ。
ボローニャとフェラーラで英語が通じず、往生したので、使いそうな簡単イタリア語をノートにメモし、準備万端。
8時38分アンコーナ行きに乗りました。
フォルリはガイドブックに載ってないので、ちょっと心配&不安。
でも行けばなんとかなるさ!!
9時30分、フォルリ到着。
駅前から街の中央へ行こうとするも、やはりどのバスに乗っていいのかわかんない。
(おおまかな地図は持ってた。駅から街までけっこう距離があるようだった。)(が、その地図は本当におおまかで、大きな道しか載っていない。)
バスの運ちゃんに聞くも、やはり英語は通じない。
メモってきたイタリア語が役立つぜ!
でも市街地、にあたる言葉がメモにない!それに類する、使えそうな言葉がなにも!ばか〜
いったい何を言いたいんだ、という顔をし、苛立ちをあらわにする運転手。焦る私。
辞書なんか出してる暇はない。えーと、なんだっけ、そうだ!
ヴィテロッツォ・ヴィテッリ(傭兵隊長。マジョーネの反乱の首謀者の一人。チェーザレにシニガリアで処刑される)の所領地、チタ・ディ・カステッロのチタは街って意味だったはず!
「チッタ! this bus go to the citta ? チッタ?チッタ?」
と繰り返すと、
「ああ〜citta centorale ?行くよ!」
ああ、そっかチェントラーレでセントラルか!
というわけで、無事にバスに乗れました。
ありがとうヴィテロッツォ!!
ちゃんとした地図がないと、周りようがないので、まずは観光案内所を探すことに。
んでもわからない!
英語ができる人に教えてもらったのに、見つけられない!
もう、こんなことに時間を使いたくなくて、その辺のホテルに入り、ダメもとで、
「Puis je avoir un plan ? (地図をもらえますか?)」と言ってみる。(英語よりフランス語のほうが通じます。なぜだろう。)
そしたら、あっさりもらえました!
ありがとう!
しかしこの地図、レストランとホテルしか載っていない。
役立たず!
もうしょうがないので、そこらの新聞屋でフォルリマップを買いました。フォルリの地図、持っててもいいや、と思って。6ユーロ。
- オルデラフィ広場
カテリーナ・スフォルツァの夫、リアーリオ・デッラ・ローヴェレ(ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレの従兄弟。シクストゥス4世の甥。)の死体が捨てられたところです。
マーケットでにぎわっていて、広場が見えないよ・・・。
- サン・メルクリアーレ教会
12世紀に着工、13世紀に完成した教会。
カテリーナやチェーザレも入ったかも!?
- G.モンテフェルトロ広場
なんでモンテフェルトロ(ウルビーノの公爵。チェーザレや弟のホアンに翻弄された可哀相な人)?フォルリに?
近くの美術館のお姉さんに聞いたら、
「彼はソルジャーで、教皇軍とここで戦ったのよ。」
だって。
教皇と、って、ユリウス2世?レオ10世?どっちだ?(聞けばよかった)
ウルビーノが教皇領に返るのは何年だっけ?
わかんない。帰って調べないと〜。
※ グイドバルドは「教皇軍と戦った」のではなく、「教皇軍として、戦った」のが正しいようです。
大体、彼はユリウス2世とは縁戚関係にあり、ユリウスの甥を養子にまでしているので、そこと戦うわけがない。
そして、レオ10世が即位する頃には、もう死んでます。
この時の私・・・頭どうかしてたとしか思えん・・・。
- サン・ドメニコ美術館
行きたい美術館(市立美術館)とは違う場所(上記のモンテフェルトロ広場)にありましたが、きれいで観光客がいっぱいいたので、入ってみました。
そうしたら!!
市立美術館にあると思ってた、
カテリーナ・スフォルツァ、と言われてる肖像と、
チェーザレ、と言われてる肖像、が、どちらもある!!
なんで?移転したの?
受付けのお姉さんに聞くと(彼女がモンテフェルトロについても教えてくれた)(ちなみにここらの会話はほとんどフランス語)(でも2人ともカタコト。でも通じるもんだ!)、
この美術館は4年前にオープンで、でも移転ではないらしい。(市立美術館は別にちゃんとある。)
ふーん、なんかわかんないけど、この2つが見られたから、もう市美はいいや!
というわけで、カテリーナ・スフォルツァ通りを歩いて、今日の目玉、
ラバルディーノの城塞へ!!(チェーザレがフォルリを攻めた時に、カテリーナが立てこもった城塞ですよ!テンション上がる!)
カテリーナ・スフォルツァが亡くなって、ちょうど500年なんですね。
ふっと地図を見ると、
城塞近くの通り名に!
なんと!
「D.VALENTINO」とある!!!!
これ、絶対、デュカ・ヴァレンティーノでしょう!?
ヴァレンティーノ公爵ですよ!!!!(チェーザレはヴァランスの公爵、ヴァレンティーノ公爵です。)
行きますよ、当然。
ああ心拍数上がる。
ほんの100メートルほどのしょっぼい通りですが、まちがいなく、チェーザレゆかりの通りでした!!
うれしいね!
でもなんでこの通りにその名が冠されたんだろうね!?
もっと大きな立派な通りでもよかったんじゃない?
住所にvalentoinoとつくであろう、羨ましいお家の方々。
もしかして、この辺に陣を張っていたのかしら〜??
いや〜、城塞に近すぎるやろ!
ここを過ぎれば、もう城塞が見えます。
喜び勇んで入ったら!
ら!!!
修復中・・・・・・。
まじですか。
なんで?
私、そんな日ごろの行い悪いですか?
でも、城塞の周りの堀だったところが、芝生の散歩道?のようになっていて、そこはぐるりと歩けるので、とりあえず一周することに。
ここでチェーザレとカテリーナの攻防が・・・
本当にあったんだなあ・・・・・・(感無量)
閉じられている正面入り口(ここが跳ね橋のあった所!!??)から中をのぞくと、「Ufficio なんとか」と見えたので、きっとインフォメーションかなんかあるんでしょう。
くそ〜入りたい!!
せめて城塞のパンフかなんかくれ!!
しかし無人のインフォに叫んでも、せんないことですので、再びぐるりと歩きます。
あ〜あ。
もう、せめて、と思って写真を撮りまくりました。
もし、写真を撮られた所の色が変わるとしたら、城塞全体の色が変化してるやろう、ってくらい。
んでも、ぐるりとまわったおかげで、裏側にあったチェーザレの紋章を発見!!!!
右に牛さんが見えます!ブタみたいやけど!
うれしい〜!素敵じゃな〜い!!
きっと中に入っていたら、ここを歩くことはなく、紋章には気づかなかったかも、と思うと、まあいいや、という気持ちになれました。
よかった。
城塞はイモラで見るよ!
中心地まで徒歩で戻り、そこからバスで駅へ。
フォルリ終了!
14時。
イモラへ行こうと思っていましたが、電車の時間が悪いので、カステル・ボロネーゼへ行くことに!
カステル・ボロネーゼ(ボローニャの僭主ベンティヴォーリオの城塞。チェーザレが貸せっつった時に拒否ったので、ヴィテロッツォらによって荒らされた。結局チェーザレの手に落ちる。)はまったく資料がありません。
だからまったくわからない。どこにあるのか、歩いて行けるのか、それより何より、今でもあるのか。
小さい駅。乗降者は学生っぽい人たちばかり。
学校がないから通ってるのか。
駅員さんに尋ねると、
「カステル・ボロネーゼ?ここだよ!」
いや、ちがくて。
駅の名前じゃなく、カステッロですよ!城!城塞!
でもそんなのはないと言う。
「城に行きたいならここへ行け」と、地図でぜんぜん違うところを指し示される。
いや、カステル・ボロネーゼが、カステル・ボロネーゼじゃないところにあるとは思えん!
辞書を引っ張り出し(フランス語もあまり通じなかった。英語はもっとダメ)、単語を表示させつつ、聞く。
でもやっぱりない、と言う。
「チェーザレ・ボルジャ、(ここで辞書の「奪う」という単語を出す)ベンティヴォーリオ!」
とか言ってみる。
そしたら3人ほどいた駅員さんたちが、みんなで、
「イ・ボルジャ、なんとかかんとか」
「ベンティヴォーリオ、なんたらかんたら」
と話し合いだす。でも、結局、
「チェーザレ・ボルジャもベンティヴォーリオも知ってるけど、そんなのはここにはない!」
と言われる。
「でぃすとりゅっと?」
と聞くと(「チェーザレ」副題が「破壊の創造者 Il creatore che ha distrutto 」なのでそれで破壊、という意味と思った!役立つ「チェーザレ」!)、
なんかどうも、そのよう。
本当に〜?
でもせっかく来たので、一応街を歩いてみました。
なんっも、ないところだった・・・。
あ!エミーリア街道がありました。
そしてこの帰り、クレジットカード吸いこまれ事件が起きるのでした・・・。
助けてくれた駅員さんは、「チェーザレもベンティヴォーリオも知ってる」駅員さんと同じ人です。ほんとにありがとー!
まだ4時だけど、ぜんぜんわかんない場所で疲れたので、今日は打ち止め。
明日はイモラ&ファエンツァ、もしくはマントヴァへ!(ホテルで検討します)
ところでモーニングの「チェーザレ」、ダンテ話のまま、休載だそうですね。3週も。
私がいないからって、待ってくれなくてもいいのに!
- tanopino さま
教えてくれてありがとうございます!
パリの次はぜひイタリアへ!
いつも見てくださって&コメントしてくださって、うれしいっス。
感謝〜
- 黒毛のジーク さま
お金はかけてないけど、いっぱい食べてるので大丈夫!
逆に太っちゃうかも??
心配してくれてありがとうです!
- かる さま
イタリア暑いです!
長袖いっぱい持ってきて馬鹿みたいでした・・・。荷物になるのに!
「ハインリヒとダンテのやりとりに萌える」ってどういうこと!?
想像できないです!
帰って読むのが楽しみ〜
- ねこねこ さま
ジェラート、おいしいっす!
でももうすでに、日本のごはんが食いたいですわ〜
- オヤマロ さま
旅行も日記も無理せず、がんばります!
ありがとう〜
- CHU さま
「モーニング」その他、ありがとう存じます!
今日歩いた歩数:16701
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