シエナSiena
シエナ Siena
鉄道で、フィレンツェから約1時間10分〜1時間50分。
シエナ駅は街の北西のはずれにあるので、駅からはバスを利用。約15分。
バスで、フィレンツェから、直通は約1時間15分、各停は約2時間30弱。
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅を背にし、駅前広場を右に折れて、Via Masoへ入って行くと、すぐ右手にバス会社SITAのバスターミナルがあります。
奥に入っていくと左手にチケット売り場があり、時刻表が貼ってあります。わかりやすく、利用しやすいです。
ただ、土日昼間のシエナからフィレンツェの便は、数が少ないようでした。
ローマ建国の祖と言われるロムルスに、双子の弟であるレムスは殺害される。レムスの息子セニウスとアスキウスはシエナに逃れ、彼らはここに街を建設した、とされる。ゆえにシエナにはシンボルであるロムルスとレムスと雌オオカミの像が多く見られる。
12世紀から13世紀にかけて、金融業によって目覚しい発展を遂げた街。
隣接するフィレンツェと常にライヴァル関係にあり、教皇派のフィレンツェに対してシエナは強硬な皇帝派であった。1260年モンテアペルティの戦いにおいて、シエナは教皇派の大虐殺を行い、フィレンツェに勝利をおさめている。
(ちなみにダンテは、この時フィレンツェを裏切ったアバティ(Bocca degli Abati)を、「神曲」で裏切り者の地獄コキュートスへ落としている。)
13世紀後半、ピッコローミニ、サリンベーニ、トロメイなどの富裕市民の家系が頭角を現しはじめる。彼らは市民の代表として、市政を司っていく。
14世紀、ミラノの支配下に。政情は不安定となり、共同体は揺らぎ始める。
16世紀半ば、スペインの支配を受け、その後トスカーナ大公となるメディチ家に封土された。
17の地区(コントラーダ Contrade)(チェーザレの時代には23地区であった)によって競われる、伝統行事パリオ(Palio)(裸馬に乗って行われる競馬)は、12世紀初頭から行われており、800年以上の長い歴史をもつ。
塩野版「チェーザレ」において、1492年8月のパリオに、ミゲルはチェーザレの代理で出場、優勝している。
- シエナ Siena
- サリンベーニ広場(Piazza Salimbeni)
- バンキ・ディ・ソプラ通り(Via Banchi di Sopra)
- トロメイ宮(Palazzo Tolomei)
- サン・クリストフォーロ教会(Chiesa di San Cristoforo)
- 商人のロッジア(Loggia della Mercanzia)
- カンポ広場(Piazza del Campo)
- プブリコ宮(Palazzo Pubblico)
- マンジャの塔(Torre del Mangia)
- ピッコローミニ宮(Palazzo Piccolomini)
- 教皇のロッジ(Logge del Papa)
- キージ・サラチーニ宮(Palazzo Chigi Saracini)
- ピッコローミニ・パペッセ宮(Palazzo Piccolomini delle Papesse)
- ピッコローミニ・キージ宮(Palazzo Chigi Piccolomini)
- メディチ邸(Palazzo Medici)
- カピターノ宮(Palazzo del Capitano)
- ドゥオーモ(Duomo)
- ドゥオーモ付属美術館(Museo dell'Opera Metropolitana)
- 国立絵画館(Pinacoteca Nazionale)
- サン・フランチェスコ教会(Basilica di San Francesco)
- バス停 - フィレンツェからのバスはここに発着。
- バンキ・ディ・ソプラ通り - カンポ広場から北に伸びる通り。青いライン部分。サリンベーニ広場やトロメイ広場がある。
- サリンベーニ広場 - サリンベーニ宮、スパンノッキ宮、タントゥッチ宮
- トロメイ宮 - トロメイ広場。
- サン・クリストフォーロ教会 - トロメイ広場。
- 商人のロッジア -
- カンポ広場 -
- プブリコ宮 - 市立美術館、マンジャの塔。
- マンジャの塔 - プブリコ館に付属する塔。
- ピッコローミニ宮 -
- 教皇のロッジ -
- キージ・サラチーニ宮 - キジアーナ音楽院。
- ピッコローミニ・パペッセ宮 -
- ピッコローミニ・キージ宮 - ポスティエルラ広場。
- メディチ邸 -
- カピターノ宮 -
- ドゥオーモ -
- ドゥオーモ付属美術館 - オペラ・メトロポリターナ美術館。
- 国立絵画館 -
-
サン・フランチェスコ教会 -
※ 写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。
サリンベーニ広場(Piazza Salimbeni)
写真中央の奥に見える建物は、13世紀後半からシエナの有力者として実権を握っていたサリンベーニ家の城館(Palazzo Salimbeni)。14世紀に作られたゴシック様式の要塞だった。18世紀に改築されている。
1472年に創設されたモンテ・デイ・パスキ銀行(Monte dei Paschi)(創設当時の名はモンテ・デイ・ピエタ銀行(Monte dei Pieta))の本店として使われている。
写真右に見える建物はスパンノッキ宮(Palazzo Spannocchi )。教皇ピウス2世の会計士であったアンブロージョ・スパンノッキによって建てられた。が、これも19世紀に改築されている。
写真左の建物はタントゥッチ宮(Palazzo Tantucci)。16世紀にマリアーノ・タントゥッチによって建てられた。19世紀にモンテ・デイ・パスキ銀行に買い取られ、改築されている。
広場中央に立つモニュメントは17世紀〜18世紀の宗教家・政治経済家のサルスティオ・バンディーニ像。
バンキ・ディ・ソプラ通り(Via Banchi di Sopra)
中世の雰囲気を保つ建物の中にブランドショップも並ぶ、シエナのメインストリート。
バス停からカンポ広場に向かうには、この通りを通る。サリンベーニ広場やトロメイ宮はこの通り沿いにある。
塩野七生「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」冒頭で、チェーザレはカンポ広場からこの通りに入り、ここでミゲル(ミケロット)と従者に行き会う。
従者は、ロドリーゴ・ボルジアが教皇に選出されたことを報せる書状をチェーザレに渡した。
トロメイ宮(Palazzo Tolomei)
13世紀末〜14世紀、サリンベーニ家とともに勢力を誇っていたトロメイ家の城館。1205年に建てられた、シエナで最も古い建築物のひとつ。
1277年、火災により破壊されたが、1435年前後に再建された。
現在カーサ・デイ・リスパルミオ・デイ・フィレンツェ銀行シエナ支店として使われている。
建物前のトロメイ広場(Piazza Tolomei)には、1610年に作られた「シエナの雌オオカミ」像が立つ。(ページトップの写真)
サン・クリストフォーロ教会(Chiesa di San Cristoforo)
トロメイ宮の向かいにある教会。
11世紀から12世紀に建てられたシエナで最も古い教会のひとつ。12〜13世紀に、シエナの最高議会の開催場所であった。が、18世紀末の地震で破壊され、改築、再建されている。
内部には14世紀の木製の十字架像がある。
正面上部に飾られているのは、トロメイ家の紋章。
商人のロッジア(Loggia della Mercanzia)
バンキ・ディ・ソプラ通りを、カンポ広場の方へ行くと、広場の手前にある建物。
1417年から1438年にかけてつくられた。後期ゴシックからルネッサンスへの移行期にある様式。上部は17世紀になってつけ加えられた。
シエナの3つの大通りである、
バンキ・ディ・ソプラ、
バンキ・ディ・ソット、
チッタ通り、
の交差するところで、商業、交易の中心であった。
アーチを支える柱には細かな装飾が施されていて、ヴェッキエッタによる聖ペトロとパウロの像などが飾られている。
カンポ広場(Piazza del Campo)
中世の時代からシエナの中心である扇形の広場。要の部分に向かって、低く傾斜している。
さまざまな市や、祝祭、宗教行事がここで行われた。現在も7月2日と8月16日に行われる世界的な伝統行事、パリオ(Palio)もここで行われる。
(多くの人が集まる中を馬が走るのかと思うと、かなり狭いように思える。)
白い石のラインで、9つに分けられているのは、広場が作られた14世紀中ごろの政治体制であった「9人体制」を表している。
塩野七生著「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」の冒頭で、チェーザレが馬を走らせていたところはここ。
プブリコ宮(Palazzo Pubblico)
扇形カンポ広場の要の部分にある建物。
1250年に建設がはじまり、14世紀初頭に完成した。ゴシック様式。
立法、行政、司法をつかさどる、都市国家シエナの中枢であった。
現在も市庁舎として使われていて、一部は市立美術館(Museo Civico)となっている。
「平和の間」にあるアンブロジオ・ロレンツェッティによるフレスコ画「善政の効果」「悪政の効果」がおもしろい。
政治色の強い絵画は、政変とともに破壊されることが多いので、現在にまで残るこのような絵画は、とても貴重なもの。
ここに描かれるのは共和制の理念、だそう。
マンジャの塔(Torre del Mangia)
プブリコ館の上にそびえる87メートルの塔(避雷針まで入れると102メートル)。
シエナの権力の象徴として、街のどこからも見えるようにとつくられた。1325年頃に着工、1348年頃に完成。
当時は時をつげる鐘がつけられていて、マンジャグァダーニ(mangiaguadagni)(道楽者、寄食者)と呼ばれる鐘つきの男がいた。彼の名にちなんでこの名がついたらしい。
1度に十数人しか登れないので、長蛇の列ができることがある。また雨の日には登れない。
プブリコ館の中庭に入って左手にある入り口から、階段で登る。
1503年1月、チェーザレはパンドルフォ・ペトゥルッチを威嚇・追放するためシエナに向かう。それに随行していたレオナルド・ダ・ヴィンチが、手帳にこの塔の鐘をスケッチしている。
ピッコローミニ宮(Palazzo Piccolomini)
カンポ広場から、プブリコ館を右に見ながら小道に入り、バンキ・ディ・ソット通り(Via Banchi di Sotto)につきあたると、右角にある建物。
ピッコローミニ家出身の教皇ピウス2世のお抱え建築家であった、ベルナルド・ロッセリーノ(Bernardo Rossellino)の設計に基づき、ピエトロ・パオロ・ポリーナ(Pietro Paolo Porrina )によって、1469年に建てられた。
現在は国立古文書館として使われていて、通信文書や歴史文書が保管されている。建物内のいくつかの部屋は一般に公開されている。
バンキ・ディ・ソット通りをはさんだ向かい側は、16世紀に建てられたシエナ大学。
- 開館時間
月曜 - 土曜=9:30 - 13:00
日曜閉館
教皇のロッジ(Logge del Papa)
ピッコローミニ宮を右手に見ながら、バンキ・ディ・ソット通りをパンタネート通り(Via di Pantaneto)の方に少し行くと、目の前にある開廊。
1462年、ピウス2世とピッコローミニ一家の依頼によって、アントニオ・フェデリーギ(Antonio Federighi)によってつくられた。コリント式の柱に支えられた3つのアーチが特徴的。
数度の修復が行われている。
キージ・サラチーニ宮(Palazzo Chigi Saracini)
カンポ広場から、チッタ通り(Via di Citta)を通ってドゥオーモ広場へ向かうと、左手にある建物。
12世紀に建設が始められ、増改築がくり返され、14世紀になって完成した。ゴシック様式。
1930年からキジアーナ音楽院(Accadémia Musicale Chigiana)として使われていて、夏場はコンサートが一般に向けて催されている。
ボッティチェッリやピントリッキオの他、シエナ派の絵画を所蔵。
ピッコローミニ・パペッセ宮(Palazzo Piccolomini delle Papesse)
キージ・サラチーニ宮から、チッタ通りをドゥオーモの方にさらに少し進むと、右手にある建物。
完璧なフィレンツェ・ルネッサンス様式で、下階部分は荒い石造りで、上階がなめらかになっているところなど、フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮に似ている。(と私は思う。)
現在は近代現代美術研究所本部として利用されている。
ピッコローミニ・キージ宮(Palazzo Chigi Piccolomini)
チッタ通りをサン・ピエトロ通り(Via San Pietro)と交差するところまで行くと、ポスティエルラ広場(Piazza Postierla)がある。
広場に立つシエナの雌オオカミ像の奥にあるのが、ピッコローミニ・キージ宮。1550年、シピオーネ・キージによって建てられた。
メディチ邸(Palazzo Medici)
チッタ通りをカピターノ通り(Via del Capitano)の方に折れると(ドゥオーモの方に右折すると)、右手にある建物。
1555年、シエナはトスカーナ大公コジモ1世メディチの派遣した、傭兵隊長ジャン・ジャコモの軍に敗れる。シエナはトスカーナ公国の一都市となり、メディチ家の支配下に入った。この時置かれたメディチの総督邸。
現在は県庁と財務局として使われている。
カピターノ宮(Palazzo del Capitano)
メディチ邸の向かい側にある建物。
13世紀末、軍事長官と司法長官の本部として建てられた。19世紀半ばに大幅な修復が行われている。
ドゥオーモ(Duomo)
9世紀頃に建てられたサンタ・マリア大聖堂の後に、12世紀初頭に建設されはじめた教会。
内外ともに白と暗緑色の大理石を交互に積み重ね、特徴的な横縞模様が施されている。
ファサードを飾る彫刻は、ピサ大聖堂の説教壇やハインリヒ7世の霊廟を手がけた(「チェーザレ」7巻)ジョヴァンニ・ピサーノと弟子ティーノ・ディ・カマイーノによる。が、これらはコピーで、実物は付属美術館や、地下のクリプタに保存されている。
13世紀半ば、ほぼ完成していた大聖堂の増築がはじまる。それはライヴァルであったフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会に対抗し、それよりも大きな聖堂にするというもので、
十字架形の教会の長い部分(身廊)を短い部分(翼廊)にして、
翼廊であった部分を長く引き伸ばし新たな身廊にする、
という、壮大な計画であった。
しかし14世紀半ば、シエナはペストや飢饉によって弱体化、大ファサードの建設は中断されてしまう。
ドゥオーモ内部の床面は、1373年から1547年にかけて、色とりどりの象嵌細工で装飾された聖書の物語が描かれている。
身廊左側(ピッコローミニ図書館の奥)の洗礼者ヨハネの礼拝堂には、ドナテッロの晩年の作品が見られる。
説教壇は、ジョヴァンニ・ピサーノの父、ニコラ・ピサーノの作品。
ドゥオーモの裏(後ろ)には、洗礼堂(Battistero di San Giovanni)があり、ドナッテッロやギベルティによる装飾の施された洗礼盤がある。
ピッコローミニ図書館(Libreria Piccolomini)
ピッコローミニ図書館は、1492年、フランチェスコ・トデスキーニ・ピッコローミニ枢機卿(後のピウス3世。アレクサンデル6世死後、26日間だけ教皇だった人。)が、
叔父ピウス2世(チェーザレの父ロドリーゴの伯父、教皇カリストゥス3世の次の教皇。)の蔵書を保管するために建設したもの。
周囲のフレスコ画は、ヴァティカン、ボルジアの間を装飾したピントリッキオの手による。
図書館奥の壁にある右側の絵は、
アエネアス・シルヴィオ・ピッコローミニ(ピウス2世)が、
教皇カリストゥス3世(チェーザレの父ロドリーゴの伯父)により枢機卿の帽子を授与されているところを描いている。
ドゥオーモ付属美術館(Museo dell'Opera Metropolitana)
大聖堂の拡大工事で、新たな大身廊となるはずであった部分を利用した美術館。
日本語ではドゥオーモ付属美術館と訳されているが、正式名は、オペラ・メトロポリターナ美術館。
1階にジョヴァンニ・ピサーノなどの彫刻、2階には絵画類を展示。教皇の錫杖やオステンソーリオ(「チェーザレ」3巻Virtu 15の表紙で、チェーザレがつかもうとしているやつ。)も見られる。
屋上に出ることができ、シエナの街を一望できる。
(このページのカンポ広場の俯瞰画像は、ここから撮ったもの。)
(屋上への上り口は小さく気づきにくい・・・。
展示室の奥の、トイレ?と思うようなところから入っていく。また、1度外へ出た後、もう1段階上へ登ることができる。)
国立絵画館(Pinacoteca Nazionale)
チッタ通りの先にあるポスティエルラ広場を、ドゥオーモのあるカピターノ通りの方でなく、サン・ピエトロ通り(Via San Pietro)の方へ行くと、左手にある。
15世紀初期に建てられた、後期ゴシック様式のブォンシニョッリ宮(Palazzo Buonsignori)内。
12世紀から16世紀の、シエナの芸術家の作品が収められている。
有名どころは、
- グイド・ディ・グラツィアーノ
「王座の聖ペトロ」(第2室) - アンブロージョ・ロレンツェッティ
「受胎告知」(第7室) - ジョヴァンニ・ディ・パオロ
「天地創造」(第13室) - ジョヴァンニ・アントーニオ・バッツィ(ソドマ)
「キリストの降架」(第32室)
など。
3階、第17室には「教皇カリストゥス3世の前に現れた聖母マリア」が見られる。
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サン・フランチェスコ教会(Basilica di San Francesco)
バンキ・ディ・ソプラ通りの、
サン・クリストフォーロ教会とサリンベーニ広場の間にある、
ロッシ通り(Via del Rossi)を進むと、サン・フランチェスコ広場(Piazza San Francesco)につきあたる。そこに建つ教会。
1228年に建設がはじめられたが、1255年頃に中断され、14世紀に入ってから、工事が再開された。もとはロマネスク様式であったが、改築、増築とともにゴシックに移行している。
1655年に火災が生じ、特に内部のフレスコ画は、大幅に修復された。
丘の上に建っているので、少し行くとシエナの街を見渡せるスポットがある。
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