チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

コレッラCorella

コレッラ Corella

コレッラ、街の入口(南側)。

鉄道が通っていないので、車利用となる。

  • パンプローナから、
    高速道路AP-15を下ってトゥデラ方面へ向い、
    出口6(la salida 6)(Tudela / Madrid)で降りる。
    一般道N-113に入り、
    続いてNA-6810-6920に入る。
    道なりにまっすぐに行くとやがてコレッラの街(右の写真)が見えてくる。
コレッラ、街の入口(北側)。
  • ヴィアナ、ログローニョから、
    高速道路AP-68を下ってサラゴサ方面へ向い、
    出口16(la salida 16)(Alfaro / Corella)で降りる。
    一般道NA-6920に入り、
    道なりにまっすぐに行くとやがてコレッラの街(右の写真)が見えてくる。

高速の道路標示は日本と同様にきちんとされているので、運転に慣れていれば、迷う心配はないと思われる。
しかしやはり何があるかわからないので、レンタカーはナビ付きがお薦め。地図があれば完璧。

ミゲル・ダ・コレッラの一門、コレッラ家発祥の地とされる街。
しかしミゲル本人はヴァレンシア生まれなので、直接の関係はない。

コレッラ、紋章。

12世紀、アラゴン王アルフォンソ1世(Alfonso I de Aragón)がイスラムを駆逐してこの地を征服した時、王は彼に仕えていたフランスの伯爵ロトゥルー・ドゥ・ペルシュ(Rotrou III du Perche)に、コレッラの街を与えた。
右はその時に考案され、現在も使われているコレッラの紋章。ウサギを狩る鷲が描かれる。
ペルシュ伯の紋章には鷲が使われており、それがコレッラの紋にも適用された。
鷲がウサギを捕らえる様は「高貴な戦争(las guerras del noble)」の象徴で、ウサギはスペインに住むイスラム教徒を表している。

バロック様式の建築物を多く残している街。
これは17 - 18世紀のバロック時代に、スペインとフランスを中継する商業拠点として、コレッラが発展していたためである。
現在のコレッラは人口1万人に満たない小さな街で、ワインの生産地として名高い。


  • サン・ミゲル教会 -
  • ロザリオの聖母教会 -
  • ヴィルト・デ・ヴェラ邸 -
  • バハマル邸 - レハ通りを挟んだ向かい側に市庁舎
  • エスクデロ邸 -
  • カデナス邸 - セスマ邸
  • コレッラ宮殿 - ペラルタ邸
  • アレッセ美術館 - 観光案内所


※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。

サン・ミゲル教会(Parroquia de San Miguel)

サン・ミゲル教会。四角の窓の両脇に、線対称の紋章。

コレッラで最も古い教会。
しかし、建てられた当時の姿は残っておらず、現在の外観は15世紀に増築された時のもの。
内装はバロック様式で18世紀に改装された。
祭壇画も18世紀、ホアン・アントニオ・グティエレス(Juan Antonio Gutiérrez)の手による。

コレッラの街の紋章。

扉の上部にはコレッラの街の紋章が飾られている。




ロザリオの聖母教会(Iglesia de Nuestra Señora del Rosario)

メルセド広場側のファサード。

1535年頃に建築が始められ、1656年、より大きな教会に改増築された。
1953年、塔が作られ、メルカード広場(la plaza del Mercado)への通行が便利になるよう、北側にファサードが作られた。

王立サン・フェルナンド美術アカデミー(Real Academia de Bellas Artes de San Fernando)(1744年、王令によって作られたマドリード中心部にある美術学校、および美術館)の最初の講師となった、コレッラ出身の画家アントニオ・ゴンザレス・ルイス(Antonio González Ruiz)の作品を所蔵している。




ヴィルト・デ・ヴェラ邸(Casa de los Virto de Vera)

画像の説明

1741年、ナヴァーラ王室書記官であったホアン・フェルミン・ヴィルト・デ・ヴェラ( Juan Fermín Virto de Vera)によって建てられた邸宅。

彼はパンプローナ生まれであったが、コレッラ出身のホセファ・アンチョレナ(Josefa Anchorena)と結婚し、ここからヴィルト・デ・ヴェラ家はコレッラで栄えた。

アラゴン建築の影響を受けたバロック様式。
正面の紋章は老朽化してほとんど崩れいているが、内部の丸天井には美しい紋章が飾られている。




バハマル侯爵邸(Casa de Los Marqueses de Bajamar)

バハマル邸。左手に市庁舎があります。

スペイン広場の南に、市庁舎と向かい合わせで建つ、17世紀後半の邸宅。
1997年に修復され、とても良い状態で保存されている。正面の紋章はこの時に付け加えられた。

もともとは、コレッラの有力貴族ミニャノ家(los Miñano)邸宅。
マリア・エウゲニア・ミニャノがバハマル侯爵と結婚したことによって、バハマル邸となった。

1階部分はレンガで造られ、その上にバルコニー付の2階3階、そして屋根裏部屋がある。




エスクデロ邸(Casa de los Escudero)

画像の説明

もともとはバロック様式で建てられた。
幾たびもの改修が繰り返され、今ではモダンな外観になっている。

エスクデロ家はコレッラの有力貴族で、イェルサレム騎士団長となってフェリペ5世に仕えたアントニオ・エスクデロなどを輩出した。




カデナス邸(Palacio de Los Sesma o Casa de Las Cadenas)

カデナス邸。かなり古びています・・・。

ナヴァーラ・アラゴン様式の影響を受けたバロック様式。1710年にアウグスティン・セスマ(Agustín de Sesma)によって建てられた、セスマ家(Los Sesma)の邸宅であった。
コレッラにはバロック様式の邸宅が数多く残っているが、カデナス邸は最も名高い建物のひとつ。
カデナス(Cadenas)とは鎖のことで、入口扉にかけられている太い鎖に由来している。


1711年6月14日から10月20日まで、スペイン王フェリペ5世と王妃マリア・ルイザ、長男ルイス(後のスペイン王ルイス1世)が滞在する。
王妃の病を癒すための療養であった。
病状は重く、フランスの名医2人は結核と診断したが、サラゴサ(コレッラの南の街)から来た医者はロバのミルクとニンニク、そしてコレッラの気候が病を癒すと請けあった。

バルセロナ「スペイン村」のカデナス邸。

セスマ家の介護ともてなしによって王妃は回復し、フェリペ5世は感謝の印として、建物のエントランスに「恩寵」を表す鎖をかけた。

この逸話はコレッラではよく知られていて、街の誇りとなっているよう。


バルセロナの「スペイン村」(Poble Espanyol)には、このカデナス邸が実物大で再現されている。
しかし微妙に異なるし、名前のいわれである鎖がかけられていない。







コレッラ宮殿( Palacio de Corella o Casa de los Peralta)

コレッラ宮殿。一見するとただの塀。

プラセタ・ガルシア通り(Placeta Garcia)の行き止まりに建つ、15世紀の宮殿跡。現在では外壁部分しか残っていない。ペラルタ邸(Casa de los Peralta)とも呼ばれる。

コレッラ唯一のプラテレスコ様式の建築物。
(プラテレスコとは15世紀末から16世紀前半にかけて導入された、スペインのルネサンス様式のひとつ。
イスラム寺院などに見られるような緻密な浮彫による装飾が特徴。)




アレッセ美術館(Museo Arrese)

美術館、向って右側。右下の扉は観光案内所。
美術館、向って左側。












もともとはベネディクト会修道院であった建物。1973年に美術館としてオープンした。
古くは15世紀からの教会美術品と、コレッラ出身の画家、彫刻家の作品を多く所蔵する。

右側の写真、右下にある扉は観光案内所。

  • 開館時間
    火曜 - 金曜 17:00
    土日    11:00

ガイドツアーでのみ、入場することができる。約1時間。
事前の予約が必要。

  • 電話番号
    010-34-679-176889(予約専用)
    (010 国際電話識別番号
     34  スペインの国番号
    市外局番はありません。)
    (マイラインに登録していない場合、010の前に通信各社の番号が必要です。(例えばKDDIの001番))








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