エウフレドゥッチ
エウフレドゥッチ家 (Eufferducci)
フェルモ(アドリア海近辺の辺境の地)を一時期支配していた。
オリヴェロット・エウフレドゥッチ
(1473〜1502)(1475〜という説も)
オリヴェロット・ダ・フェルモの名のほうが通っている。
母方の伯父ジョヴァンニ・フォリアーニの下で育ち、成人後はパオロとヴィテッロツォのヴィテッリ兄弟の下で傭兵隊長としての訓練を受ける。
1499年フィレンツェの対ピサの戦闘に、パオロ・ヴィテッリとともに参加するが、反逆を起こしたとしてフィレンツェに処刑されそうになる。(パオロのほうはされている。)
1501年、チェーザレの命でヴィテロッォらとともにピオンビーノを攻略した後、育ての親である伯父一族を殺害し、フェルモの領主となる。
ヴィテロッツォとは親しかったよう。1502年のマジョーネの反乱に参加しているのは、ヴィテロッツォに同調したためと思われる。
1502年12月31日シニガリアで、ミゲルによって処刑される。