ウルビーノUrbino
ウルビーノ Urbino
ペーザロ駅前のバスターミナルから、ウルビーノ行きのバスが出ています。
高速バスで約50分。
普通バスで約1時間ちょっと。
チケットは、ターミナル前の売店で買えます。復路のチケットは、ウルビーノのバスターミナルそばのカフェで買えます。
ローマやラヴェンナなどの都市からのバスもあります。
ローマからだと約4時間半です。
街は小さく徒歩でまわれます。
が、丘の斜面につくられている街なので、勾配と階段がとても多いです。
ドゥカーレ宮殿の前、フェデリーコ公爵広場に面したところに、観光案内所があります。
- マルケ州の観光案内サイト
イタリア・マルケ州政府観光局公式日本語サイト
ウルビーノの他、ファノやフォッソンブローネなど、チェーザレ周辺に関する、小都市の情報が見られます。
- ウルビーノの観光案内サイト Cultura e Tourismo Urbino
英語でも見られます。
教皇領の街であるが、
13世紀初頭〜16世紀初頭を、モンテフェルトロ家に、
16世紀初頭から17世紀初頭を、デッラ・ローヴェレ家に、支配されていた。
1502年〜1504年はチェーザレの所領地であった。
1502年6月、チェーザレのウルビーノ急襲に驚いたフィレンツェは、マキァヴェッリをピエロ・ソデリーニとともに、ウルビーノに派遣する。
マキァヴェッリはチェーザレとのやりとりで受けた感銘を、フィレンツェへの手紙の中に書き残している。
また、同じ頃チェーザレの下を訪れたレオナルド・ダ・ヴィンチは、ウルビーノの城壁を測定し、いくつかのスケッチを残している。
ユリウス2世やレオ10世に愛されたルネサンスの三大巨匠のひとり、ラファエロの生まれた街としても有名。
※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。
ラファエロ像(Monumento a Raffaello)
街の北端の丘の上にあるローマ広場(Piazzale Roma)立つ。
街外れだし、坂を上っていく必要があるが、ウルビーノ周辺を見渡せる気持ちのいい場所にある。
アルボルノス城塞へはこの像の前の道ブルーノ・ブォッジ通り(Viale Bruno Buozzi)から行く。
ラファエロ生家(Casa natale di Raffaello)
ルネサンスを代表する画家、ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)(1483年4月6日〜1520年4月6日)の生まれた家。
父ジョヴァンニ・サンティはウルビーノの宮廷画家であり、ラファエロは父によって絵画の手ほどきを受けた。ウルビーノにはジョヴァンニの手による作品も数多く残されている。
内部は当時の生活様式が再現され、フランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレの肖像画など、ラファエロの作品のコピーが展示されている。
- 開館時間
- 3月1日 - 10月31日
平日=9:00 - 13:00 / 15:00 - 19:00
祝日=10:00 - 13:00 - 11月1日 - 2月28日
平日=9:00 - 14:00
祝日=10:00 -13:00
- 3月1日 - 10月31日
サン・フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco)
バスターミナルからジュゼッペ・マッツィーニ通り(Via G.Mazzini)を上っていくと、共和国広場(Piazza della Repubblica)の左手に見える教会。
14世紀に建てられたゴシック・ロマネスク様式。
18世紀に向かって左手の柱廊部分と鐘楼が作られた。
ウルビーノで生まれた、ルネサンスの画家バロッチ(Federico Barocci (1528〜1612))の作品を所蔵している。
バロッチの他、ジョヴァンニ・サンティ(Giovanni Santi ラファエロの父)、 アントニオ・ダ・モンテフェルトロ(Antonio da Montefeltro フェデリーコの祖父)などの墓がある。
ドゥオーモ(Duomo di Urbino)
最初の教会は11世紀に建てられたが、16世紀にドゥカーレ宮殿を手がけたフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニによって新しく建て直され、18世紀の地震で崩れたものを、再びジュゼッペ・ヴァラディエによって建て直された。
現在の教会は、大きな丸屋根をもつ、典型的なネオ・クラシック様式。
ウルビーノで生まれたルネサンスの画家バロッチ(Federico Barocci (1528〜1612))の「最後の晩餐」を所蔵している。
ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)
ガイドブックによっては、国立マルケ州美術館(Galleria Nazionale delle Marche)とも書かれているが、正確には、ドゥカーレ宮殿の一部を、国立マルケ州美術館として一般開放している。
1464年〜1472年、フェデリーコ・モンテフェルトロの下で、フランチェスコ・ディ・マルティーニによって建てられたモンテフェルトロ家の宮殿。ルネッサンス時代の最も優れた建築物のひとつと評価されている。
2階が居住部分。いくつかの小部屋から成る「公爵の書斎」は、ウルビーノ征服時にチェーザレが滞在した部屋でもある。
マキァヴェッリはピエロ・ソデリーニとともに、ここでチェーザレに出会う。
(塩野七生「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」で、ダ・ヴィンチがチェーザレを訪れるシーンもここである。(P181))
ペドロ・ベッルグエーテ「モンテフェルトロ家のフェデリーコ公爵と息子」、
ラファエッロ「貴婦人の肖像」、
ピエーロ・デッラ・フランチェスカ「キリストの鞭打ち」、 「セニガッリアの聖母」などを所蔵している。
「優雅なる冷酷」でミゲルとダ・ヴィンチの視線が絡む「城門」はどこ?
- 開館時間
火曜-日曜=8:30 - 19:15
月曜=8:30 - 14:00
土曜=8:30 - 23:00
※ 内部は撮影禁止だったので、写真がないです。
ペルドーノ礼拝堂(Cappella del Perdono)
ドゥカーレ宮殿1階にある小さな礼拝堂。上階の公爵の書斎(Studio)から螺旋階段で繋がっている。(見学通路ではありません。)
ドナート・ブラマンテの設計と言われていたが、ピエトロ・ロンバルド作と言われたり、またはフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの作と言われたりしている。マルティーニ説がやや有力っぽい。
多色大理石を用いた外壁が特徴的。
1502年7月、チェーザレ軍の建築技術総監督としてウルビーノを訪れたレオナルド・ダ・ヴィンチは、この礼拝堂の柱をスケッチした。
サン・ドメニコ教会(Chiesa di San Domenico)
ドゥカーレ宮殿の前にある教会。
14世紀に建てられたものだが、1729年に内部を改築されている。
ゴシックとルネッサンスの混合様式。
アルボルノス城塞(Fortezza Albornoz)
14世紀後半、教皇特使スペイン人枢機卿アルボルノスによって建てられた城塞。同じ名前の城塞がマルケやウンブリアにいくつもあるので混同に注意。
アルボルノスの名が冠せられているが、築城を完了させたのは後継者のスペイン人枢機卿アングリコ・グリモア(Anglico Grimoard)。
城壁の南西の端、モンテ・ディ・サン・セルジオ(Monte di S. Sergio)の丘の上にある、ウルビーノ市街を見渡せる城塞。ウルビーノの防衛機能向上のため、もともとあったモンテフェルトロの邸宅を潰して建てられた。
街の北端にあるラファエロ像を背にして、ブルーノ・ブォッジ通り(Viale Bruno Buozzi)を右に進むと、左手にエントランスがある。
ドゥカーレ宮殿などのある中心部からは離れたところにあるので、見逃しがち注意。
1502年7月、チェーザレの下で建築技術と軍事設備の総監督となったレオナルド・ダ・ヴィンチがウルビーノを訪れる。
レオナルドがスケッチしたアルボルノス城塞の平面図や仕掛け階段が残っている。
16世紀初頭、街の城壁が伸長され、城塞に繋げられた。
17世紀中頃、軍事的価値を失ったため、住居に転用される。下の土地とともに近くのスカルツィ修道院が購入した。
18世紀末、ナポレオンの下で改修され、再利用される。現在の正面の門はこの時に作られた。
1960年代、さらに修復と強化作業が行われる。この時アルボルノス以前の城塞の形に戻ったよう。
1975年から城塞跡前のスペースは公園として整備され、1990年代末、城塞見学が一般に公開された。
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