Map-サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 見取り図
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- Cappella Montemirabile
1479年に作られた、ジョヴァンニ・ディ・モンテミラービレ司教の礼拝堂。 - Cappella Chigi キージ礼拝堂
銀行家アゴスティーノ・キージの依頼にによって、ラファエロが設計した礼拝堂。
最終的にはベルニーニが、アゴスティーノと弟シジスモンドの墓を完成させた。
彫刻「ハバククと天使」が有名。(映画「天使と悪魔」に登場。) - Cappella Mellini
聖ニコラ・トレンティーノに捧げられた礼拝堂。 - 聖十字架礼拝堂。
- テオドーリ礼拝堂。ジュリオ・マッツォーニの装飾。
- Capella Cerasi チェラージ礼拝堂
バロックの創始者であるミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの「聖ペトロの殉教」「聖パウロの改宗」、アンニーバレ・カラッチの「聖母被昇天」が描かれている。1600年もしくは1601年に制作された。 - アスカーニオ・マリア・スフォルツァの墓
後陣の一部に含まれる。
教皇ユリウス2世の依頼により、アンドリオ・サンソヴィーノが制作した。
ユリウス2世は北イタリアにおけるフランス軍との戦いのため、スフォルツとの同盟を必要としていた。そのための阿諛的政策として作られたもの。
これにより、教皇はスフォルツァの忠誠を確認し、同家をミラノの支配者として認めた。
聖母や諸聖人を描いたピントリッキオのフレスコ画で飾られている。 - Cappella Feoli フェオーリ礼拝堂
ボルジア家の祭壇があったところ。チェーザレの弟ホアン、母ヴァノッツァの墓が置かれていた。
しかし1527年、ローマ劫略の際、教会は襲撃され祭壇も破壊されてしまう。
現在はそれを修復したピエトロ・フェオーリの名にちなんだフェオーリ礼拝堂となっている。 - コスタ礼拝堂。
1489年、ピントリッキオによって装飾された。もともとはデッラ・ローヴェレ家の祭壇の一部であったが、1488年ポルトガル人枢機卿ジョルジョ・コスタによって買い取られた。
側廊部分にはジョバンニ・デッラ・ロヴェーレの墓が置かれている。 - バッソ・デッラ・ローヴェレ礼拝堂。
1484年、枢機卿ジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレによって、聖アウグストゥスに捧げられた礼拝堂。ピントリッキオの弟子たちが、1489年から1491年にかけて描いた絵画で飾られる。 - チーボ礼拝堂。
ロレンツォ・チーボ枢機卿(インノケンティウス8世の甥))のために、カルロ・フォンターナによって作られた。ここもピントリッキオによる装飾がなされている。 - Cappella della Rovere ローヴェレ礼拝堂
1488年、枢機卿ドメニコ・デッラ・ローヴェレ(1442年~1501年)のために、アンドレア・ブレーニョによって作られた。
ドメニコと、彼の弟であるクリストフォーロ・デッラ・ローヴェレ、彼らの甥であるフランチェスコ・デッラ・ローヴェレの墓がある。(ドメニコの遺骸は、後にトリノに移されている。)
(ドメニコ・デッラ・ローヴェレは、惣領版「チェーザレ」ではジュリアーノ(ユリウス2世)の弟とされているが、確証はないよう。シクストゥス4世の甥ではあるが、ピエモンテ出身のローヴェレ家の傍系という説が強い。(甥ですらないという説もある。))
1485年~1489年に描かれた、ピントゥリッキオの祭壇画「幼子キリストの礼拝」がある。
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