2011-04-16-ヴァリャドリッド、メディナ・デル・カンポ
旅行日記 2011-04-16 ヴァリャドリッド、メディナ・デル・カンポ
昨日の夜、いきなり部屋の電話が鳴ってびっくりしました。
フロントからだけど英語を話さない人で、シャワーが何だか言ってるんだけど、ちんぷんかんぷん。
諦められて、結局中途半端なまま切れました。
何だったの??
私、ロンドンのフラットに泊まった時も、お風呂入ってる時にドアをドンドン叩かれたことがあるんだけど。
(そこはホテルではなく、知り合いの知り合いの部屋だったので、怖くて出ませんでした。裸だったし。)
何か、風呂の入り方に問題があるのか私?
ヴィアナで夜の写真を撮ったらきれいだったので、わざわざ撮ってきました。
コルドン館と大聖堂です。
メディナ・デル・カンポのモタ城も、夜景撮りたいな~。
でも暗くなるまではいられないなあ。
10時半になるところです。
11時36分の電車に乗ります。ヴァリャドリッド到着は12時49分の予定。
なんでこんなゆっくり目かと言うと、中途半端に早く行ってもシエスタに引っかかって、結局何もできないからです。
では、行ってまいります!
ところで右の写真はブルゴス駅のトイレ内にあった自販機ですが、これは大人のおもちゃじゃないですかね・・・?
子どもも利用する駅のトイレに何ゆえこんなものが?
いいの・・・??
謎です。
ちなみに男子トイレにもありました。(のぞいてません。鏡に映ってるのが外から見えたのです。)
ヴァリャドリッドに到着しました。
ブルゴスは快晴でも風が冷たくて朝は13度だったのに、ヴァリャドリッドは21度。
今からもっと暑くなりそう・・・。
電車で隣だったおばちゃんが、30分くらいの間にスナック菓子を2袋、コーラを500ミリリットル、完食してました。すげえ。
今から、メディナ・デル・カンポへ行って来ます!!
モタ城
高さのない城に見えますが、下部は地面の下にあるのです。(深い堀があり、その部分が隠れて見えてないの。)
意外と人が多くて驚きました。
でもチェーザレ所縁の地として訪れている人はどのくらいいるんだろう・・・。
チェーザレが幽閉されていたという塔と堀までの間は、幅7、8メートルほどの通路があり、窓から堀までの高さはきっと5階建て分くらいあります。水をかなり湛えていたとしても、ロープ1本で飛び降りるのは難しいよ!!
(右の塔に見える窓から、左にある城壁の左側に飛び降りたと思われる。
・・・ね?写真で見ても無理そうでしょ?)
上の写真は、15世紀のメディナ・デル・カンポの模型です。
チェーザレはモタ城を脱出して、こういう感じのところを逃げたんですね・・・。
(右上に見えるのがモタ城です。左側が北になります。)
城壁の左側は右に見える地面よりもさらに5、6メートルくらいは深く掘られています。 ↑
ヴァリャドリッドからメディナ・デル・カンポへの車窓から見える景色。
「チェーザレ」8巻のカラー(7巻の帯)の背景にちょっと似てませんか?
樹の感じとか・・・。
その他、
- 王宮
イサベル女王が亡くなったところ。
ここ、「王宮」と訳すのはどうも違う気がします。帰国してから調べます。
- フェリアス博物館
上の15世紀の街の模型はここにありました。
などを見学しました。
モタ城、夜景が撮りたいっつってたけど、入場は19時まででした。
だめじゃん。21時くらいまで、明るいのに。
ところで明日。
トルデシリャスへ行く予定でしたが、行けなさそうです。
何故なら、もう1度メディナ・デル・カンポへ行かなければならなくなったからです。
今日、堪能しつくしたはずなのに、明日も?
ええ。
「帰りに買おう~」
と思っていたお土産を、まんまと忘れて帰ってきたからです。
くそおおおおおう!!
最近、恐ろしいほどに物忘れがひどいです。
昨日も、ブルゴスでタクシーを相乗りさせてもらったおじいちゃんに、
「電車、どこから乗ったの?」
って聞かれて、20秒くらい出てこなかったさ、「パンプローナ」って言葉が。
しかも「パンプローナ」っていう言葉をど忘れしたんじゃなくって、
自分がどこから乗ってきたのか、全く思い出せなかったんです。
・・・やばくないですか?
このまま、自分が日本から来たことも忘れ、スペインに居ついてしまったらどうしましょう。
トルデシリャス・・・行きたかった・・・。
やさぐれているので、励ましのお言葉をください。
WEB拍手レス
- ピピ101 さま
ラファエーレ・リアーリオ、どうしても小物臭がただよってますよね~。好きですが。
コレッラもボルハもいい街でした。こぢんまりしていて、風景がきれいで。
ボルハの丘の上はあまりに静かで、遠~くにいる羊たちの群れの、首につけられたベルの音が聞こえるくらいでした。
ちょっとすごくないですか?
パンプローナはチェーザレとの関わりの深い街!!と思うのですが、意外と何もなくてもの足りなかったです・・・。
a:1912 t:1 y:0