チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

2009-06-10-ローマ

旅行日記 2009-06-10 ローマ

えー、ホテル・コロンブス内のピントリッキオの部屋について、大変な思い違いをしていました。
ピントリッキオの手になる壁画があるのは、ホテル内のレストランではありません!

ホテルにレストランは1つしかなく、そこは、毎朝ごはん食べてる、あの朝食室と同じ所でした。
まあ、雰囲気のいい素敵なレストランですが、ふつうの(やや高級の)レストランです。


私、この朝ごはん食べてるレストランの他に、もう1つその、ピントリッキオレストランがあるんだとばかり思ってたの。
(だから、そこでお食事するために、ワンピと靴まで持ってきてたのに〜!!無駄だったよ〜(泣))
なんで勘違いしてたの〜。おっかしいな〜。
なんかどっかでそう読んだように思うんだけど・・・。

(見つけた。ガイドブックに書いてあった!
「レストラン、ラ・ヴェランダは、15世紀に活躍した画家ピントリッキオの作品が天井を飾り」って!
嘘つき〜!!)


ピントリッキオの壁画(正しくは天井画)は、2階の、教皇さまもお住まいになられていたという、201号室の手前にあります。
昨日、私が探検してた、会議室のようなところの奥です。
201号入り口.jpg
奥に見えてるドアが201号室。
この手前の部屋がピントリッキオ装飾の部屋。


見せてもらいました。
部屋には絵画も掛けられていて、これもピントリッキオ作だそうです。
「内緒だよ、1分だけね!」
と言って、201号室も、見せてくれました!!
ドアの正面にべッド・・・。
おかしくないか?
いや、でも、この部屋の天井画も、ピントリッキオだそうです。
そいで!!
この部屋が、チェーザレの居室だったんじゃないの!!??
ありがとう、親切なホテルマンよ!!
これをオカズに、ご飯3杯食えるよ〜。
ちなみに私の部屋は、この部屋の真上でした。
ちょっと嬉しい。
201号の天井.jpg
ピントリッキオ作201号室の天井。
この真下がベッドでした。

asterisk_07.gif

地下鉄の3日券を買っていたのに、昨日まったく使わなかったので、今日は遠くへ!
さくさく行くよ〜。

  • サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会
    ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿が、降誕祭のミサを執り行っておられました所でございます。
    正面の左側に、ユリウス2世となられたこのお方の、廟がございます。
    ミケランジェロの作です。
    特に感想はございません。
    大体「廟」って何?
    広辞苑には「祖先の霊を祭る所」とあるけど。中に死体はあるん?なさそう。
    記念碑と思えばいいの?
    中にユリウスの死体があるんなら、ちょっとは感慨もわくけど。
    記念碑じゃねえ。
    ユリウスの霊廟.jpg
    ユリウス2世の霊廟。
    中央の人物はモーゼです。


  • ボルジア階段
    イン・ヴィンコリ教会を背にして立つと、すぐ右にトンネルのついた階段があります。
    そこを下ります。
    一旦、少し広いスペースに出ます。振り返ってください。
    その建物が、幼少期のチェーザレやルクレツィアの暮らした家です!
    生母ヴァノッツァの家ではないか、と言われているようです。
    そして、下りてきたこの階段は、ボルジア階段と呼ばれているそうです。
    いいね〜。素敵!
    ボルジア階段.jpg
    ボルジア階段とヴァノッツァ邸。


  • カフェ・ボルジア
    階段を下りると、目の前の道路はカヴール通りです。
    正面を見てください。
    「CAFE BORGIA」の看板が!
    朝ごはん食べたばっかだけど、入らんわけにはいかんでしょう。
    カプチーノだけ頼んだら、愛想のいいおばちゃん(おばあちゃん)が、
    「ティラミスは?私が作ったのよ、ボーノよ」
    みたいなことを言う。
    じゃあ、せっかくだから・・・。
    来たヤツ、ふつうのクリームはさんだスポンジケーキでした。ココアパウダーふってあったけど・・・。うける。
    「ここ、なんでボルジャ?」
    と聞くと、多分、
    「教皇ボルジアの娘が住んでのよ。」
    みたいなことを言って、目の前の建物を指差していました。
    おお〜。やはり、そうなのね!
    でも地元の人の口から、改めて聞くと、感慨深い。
    てか、娘?だけ?
    チェーザレは?
    スフォルツァ・チェザリーニに、もう行っちゃた?
    カフェボルジアのらくがき.jpg
    カフェの壁にらくがきが。
    LOVE BORGIA だって!

  • ヴェネツィア宮
    カヴール通りをてくてくと歩き、フォリ・インペリア通りに出て右に折れ、遠くからも目立つ「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」の前にある、ヴェネツィア宮へ。
    ロドリーゴの友達だったピエトロ・バルボ枢機卿が建てた宮殿です。
    当時はサン・マルコ宮と呼ばれていました。

彼は教皇パウルス2世となり、ここを教皇の住居に定めます。ヴェネツィア宮と呼ばれるのは、彼がヴェネツィア出身だったから、だと思われます。
ホテル・コロンブスの紹介には、
「シャルル8世のイタリア侵攻時、当時ペニテンツィエリ宮であった、ここコロンブスに宿泊した」
ようなことを、書かれているんですが、シャルルはこのヴェネツィア宮に滞在した、という説の方が有力のようです。
ヴェネツィア宮.jpg

惣領版「チェーザレ」でのボルジア邸の再現は、この宮殿をモデルに描かれているそうです。
現にそっくりです。


入り口が広場側ではなく、裏にあるので、わかりにくかったよー。
無駄に歩いちゃった・・・。
私はこういうのが、すんごく多い気が・・・。

常設展示のほかに、特別展示でダ・ヴィンチをやってました。
スフォルツァ城に置かれるはずだった、騎馬像の実物大の一部、がありました。
でかかった・・・。
そりゃ、チェーザレも驚くわ。

フィレンツェのウフィッツィ美術館にあるのとそっくりな「チェーザレの肖像画
(惣領版「チェーザレ」1巻巻頭にあるやつ)
は、ここにある、とどっかで見たんですが、ありませんでした・・・。
(どこで見たんだろう・・・。ノートにメモってんだけど、出典を書いてないから、わかんない・・・。)
なんか、係員が、絶対知ってるわけない、風なおばさんとねえさんだったので、もう聞きもしませんでした・・・。
なんか疲れてる・・・?
今までのような、傍若無人ぶりは、どうしたんだ!?
いやー・・・。
そういう時もあるよ。


  • ジェズ教会
    チェーザレの弟ホアンの孫、フランチェスコ・ボルジアは、イエズス会(1549年日本に布教に来た、あのザビエルの所属していたところです。生きた時代もかぶってる。)の総長となり、聖人に列されるすごい人なんですが
    (血、ってわかりませんね。ホアンの孫っすよ。)、
    彼の祭壇がここにあります。
    入り口を背にして、1番手前の左にあるやつです。
    祭壇を見ても、何も書いてありませんが、教会の説明書(教会内のブックショップにある)に、そう書いてありました。


教会に入れる午前中の部の時間が終わったので
(およそどの教会も、12時まで。次に開くのは15時。ひどいと16時。まあ、開けてくれるだけいいか。
(なんか、今日、弱気?))、
時間関係なく、見学できるところへ。


  • フィアンメッタの家
    ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを、ふらふらと歩き、ナヴォーナ広場へ。
    映画「天使と悪魔」にも登場する、「四大河の噴水」のある広場です。
    (でも、この噴水、水が抜いてあった。なんで?枢機卿が溺死しないように? ←映画にそういうエピソードがある。)


ナヴォーナ広場を、北の方向(ポポロ広場などのある方)へ、真ん中の道から抜けます。
すぐ左に曲がり、次の角を右へ。
左手の建物に、
「PIAZZA FIAMMETTA」(フィアンメッタ広場)の文字が。
そこで目線を左に向けると、はい、フィアンメッタんちが見えます。
近づくと、正面に、
「CASA FIAMMETTA」と書かれた標識?があるので、すぐ確認できます。
中をのぞいてみると、OA機器が置かれていて、ふつうの小さなオフィスのようでした。
フィアンメッタんち.jpg
こぢんまりした、かわいい家。

ここにチェーザレは通ってたのか〜。
従者はチェーザレがよろしくやってる間、この辺で待ってたのね〜。
従者ってミゲル?
いや〜アルバロあたりっしょ。
(フィアンメッタはチェーザレの愛人だった娼婦です。)


  • モンテ・ジョルダーノ(タヴェルナ宮)
    四大河の噴水」まで戻り、今度は北を背にして、ナヴォーナ広場のつきあたりを右に折れます。
    なんとかヴェッキオ通りを、サンタンジェロの方向へ歩くと、「オロロージョ広場」に出ます。
    そこで右手の建物の壁を見ると、
    オルシーニ通り」とあります。
    すかさず、そこを右へ曲がります。
    はい!
    正面にあるのが、モンテ・ジョルダーノ、現在はタヴェルナ宮と呼ばれている、オルシーニ家の館だったところです。
    モンテ・ジョルダーノ.jpg
    いくつかの屋敷が合体してるらしく、すんごい大きな建物です。

アドリアーナ・ミラ・オルシーニに預けられていた、ホアンやルクレツィアは、ここで暮らしていたんだと思います。
惣領版「チェーザレ」で、ホアンとルクレツィアが、アドリアーナに連れられて、ボルジア邸を訪れるシーンがありますが、
ここから、ボルジア邸(であるはずのスフォルツァ・チェザリーニ宮)まで、すぐですよ!
そこを馬車で行くのが、貴族なのか・・・。


  • ペッレグリーノ通り
    ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りをよろよろと歩き、カンポ・デ・フィオーリへ。
    そこから伸びる、路地ペッレグリーノ通りは、アレクサンデル6世が開いた道で、それを記念?したプレートが残っているらしいのです。
    ・・・私にしては、あっさり見つかりました。
    カンポ・デ・フィオーリは、ヴァノッツァが3軒の宿屋を経営していたという所で、探してみると、牛つき紋章の残るおうちがありました!


  • ファルネーゼ宮
    カンポ・デ・フィオーリの横にある、ファルネーゼ広場へ。
    ジュリア・ファルネーゼの兄、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿が建てたおうちです。
    ファサードはミケランジェロ作だって。
    多作だなあ、ミケランジェロ。
    彼は人づき合いが苦手で、
    ほとんどの作品を弟子を使わず仕上げた、らしいのに。
    現在はフランス大使館として、使われています。


  • サンタ・マリア・ディ・モンセラート教会
    左手にファルネーゼ宮を見ながら、モンセラート通りに入っていくと、左手にモンセラート教会があります。
    ここに、アレクサンデル6世とカリストゥス3世(アレクサンデルの伯父)の、霊廟があるとのこと。
    教会はなぜか、休日と祝日しか開いてなくて、入れませんでした。
    墓参り・・・したかった!
    いいの、死体はなくても、記念碑でも〜。
    モンセラート教会.jpg


  • サン・タゴスティーノ教会
    ナヴォーナ広場の方へ戻ります。
    もう日差しが強くて、暑くて、倒れそうです。
    ここは、昔チェーザレの作らせた礼拝堂があったそうです。
    が、今は破壊されてありません。
    疲れ果ててて、
    「なんかもう、今ないんなら、行かなくていいんじゃねえのか。」
    という気分になってきます。

きついです!!
いっぱい歩いてるのもあるけど、太陽にやられてると思う。
照り返しもきつい。サングラス必須。
でも、これが聖地巡礼なのですね・・・。
ラファエロのフレスコ画があるとかで、けっこう有名な教会のようでした。
タゴスティーノ教会.jpg


asterisk_07.gif

交通手段が徒歩しかないので(バスがあるかもだけど、もうバス停を探す方がめんどい・・・)、
サンタンジェロ橋を渡り、サン・ピエトロを見ながら、ホテルへ。
18時になってもまだ、強い日差し。ぎんらぎんらです。


明日は、9時にボルケーゼ美術館を予約しているんですが、もうキャンセルしようと思います。
ついでに予約しただけだし、もう本当にきつい
しかも、そこ、すごい遠いところにあって、到着するまでに1時間くらいかかりそうだもん・・・。

体力って大事ですねー。
思い返すと、
「楽しかった!」
と思えるところは、やっぱ元気だったところだもん。
もう早く寝ます。


今日歩いた歩数:24299歩





powered by Quick Homepage Maker 4.74
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional