マンフレディ
マンフレディ家 (Manfredi)
ファエンツァの支配者一族。ヴィカーリオ(教皇代理)。一時期イモラも支配下においていた。
アストーレ・マンフレディ(アストーレ3世)(Astorre III Manfredi)
(1485〜1502)
アストールとも表記されがち。(このサイトでもごっちゃになってる!すみません…)正確にはアストッレ?
チェーザレがファエンツァを攻撃した1500年〜1501年当時の、ファエンツァの若き領主。(1500年時で15歳。ちなみチェーザレは25歳。)
1494年、カテリーナ・スフォルツァとジローラモ・リアーリオの娘ビアンカ・リアーリオ・スフォルツァとの結婚話が持ち上がるが、うやむやになっている。
心優しくたおやかな美少年で、民衆は彼を敬愛し、彼を庇護すべく一致団結していた。
この民衆の団結力はチェーザレにとって脅威となり、進撃の最初の躓きとなった。
1501年6月26日、チェーザレによってカステル・サンタンジェロへ投獄され、1502年6月9日、弟とともに首に砲弾をくくりつけられた状態でテヴェレ河より発見される。ミゲルの手にかかったと言われている。
ガレオット・マンフレディ
(1430〜1488)
アストーレの父。
優れた武人であり詩人でもあった。
1452年、ボローニャのサン・ペトロニーオ教会で、フレデリック・ハプスブルクにより騎士として叙任される。
ヴェネツィアの高名な傭兵バルトロメオ・コレオーニの下で名を上げ、1483年にはフィレンツェの司令官としてロンバルディアでの戦いに参戦。
1488年、愛人カサンドラ・パヴォーニとの関係を妻フランチェスカに嫉妬され、妻によって暗殺される。
フランチェスカ・ベンティヴォーリオ
(1468〜1504)
アストーレの母、ガレオットの妻。ボローニャの僭主ジョヴァンニ・ベンティヴォーリオの娘。
1481年ガレオット・マンフレディと結婚。1488年、自室に夫を招き、ベッドの下とドアの後ろに待機させていた4人の殺し屋に殺害させた。
ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ・マンフレディ
(〜1502年)
ガレオットの庶出の子。アストーレの弟。
1502年6月9日、兄アストーレとともにテヴェレ河より死体となって発見される。
アストーレの幼少時の悲劇
1488年、フランチェスカは夫ガレオットの愛人、美貌の尼僧カサンドラ・パヴォーニに嫉妬心をつのらせ、ガレオットを暗殺してしまう。
(フランチェスカの父ジョヴァンニ・ベンティヴォーリオは娘のこの計画を支援、ファエンツァを乗っ取り、ヴェネツィアに売りつけようと考える。)
しかしフィレンツェのロレンツォ・デ・メディチが調停に乗り出し、アストーレ(当時3歳)を庇護、ファエンツァの当主の座はアストーレに継承される。(その後ヴェネツィアの行政官クリストフォーロ・モーロがアストーレを補佐。)
フランチェスカは追放された。
→父親を母親に殺され、3歳で当主とならざるを得なかった悲劇の美少年に、民衆は同情し、彼の成長を優しく見守ることに。
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