マントヴァMantova
マントヴァ Mantova
鉄道で、ボローニャから約1時間半〜2時間半。
(ボローニャまで、
ミラノから約1時間20分〜1時間50分。
フィレンツェから約1時間。
ローマから約2時間半。)
ボローニャからは、モデナでの乗り換えが必要。
(この接続がスムーズに行くかどうかで、所要時間が1時間は変わる。)
ミラノからは直通あり。約2時間前後。
駅前から街の中心であるエルベ広場まで、徒歩で約10分ちょっと。
見どころはその広場周辺に集まっており、徒歩でまわれるが、テ宮殿のみ、少し離れたところにある。(エルベ広場から、徒歩で約20分くらい。)
- マントヴァ観光案内のサイト A Mantova
英語でも見られます。
- エルベ広場 -
- サン・タンドレア教会 -
- サン・ロレンツォ聖堂 -
- ラジオーネ宮殿 -
- ドゥカーレ宮殿 -
- 大聖堂 -
- テ宮殿 -
- 駅 -
※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。
エルベ広場(Piazza Erbe)
マントヴァの観光の中心となる広場。
サン・タンドレア教会、サン・ロレンツォ聖堂、ラジオーネ宮殿などがある。
サン・タンドレア教会の向かって右脇(ラジオーネ宮殿側)には、観光案内所がある。
ここから北へ向かって、ブロレット広場(Piazza Broletto)、ドゥカーレ宮殿やドゥオーモのあるソルデッロ広場(Piazza Sordello)と三つの広場が続いている。
サン・タンドレア教会(Basilica di Sant'Andrea)
1472年、レオン・バッティスタ・アルベルティによって着工され、1494年、ルカ・ファンセッリによって完成された。
依頼したのはルドヴィーコ・ゴンザーガ。
(イザベッラ・デステの夫である、フランチェスコ2世・ゴンザーガの祖父)
ルネッサンス様式。1414年建築の鐘楼は、ゴシック様式。
画家アンドレア・マンテーニャの作品と、墓があることで有名。
サン・ロレンツォ聖堂(Rotonda di San Lorenzo)
11世紀、カノッサ家の支配下にあった頃に建てられた、マントヴァで最も古い教会。
レンガで造られたロマネスク様式。
内部はとても狭いが、厳かな雰囲気がある。
「Rotonda」とは、「円形の建物」「円形の広場」「ロータリー」などの意味をもつ。
ラジオーネ宮殿(Palazzo della Ragione)
サン・ロレンツォ聖堂と同様に、カノッサ家の支配下にあった11世紀に建てられた。
当時は、キリストの聖遺物を求めて、マントヴァを訪れた巡礼者たちの宿泊施設として利用されていた。
やがて、宮殿として建て替えられ、ゴンザーガ家の時代には、ポデスタ館(行政長官の館)として利用された。
現在は、ショップやレストランの他、市役所の事務所などが入っている。
ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)
ソルデッロ広場(Piazza Sordello)にある、14世紀から17世紀にかけて建てられた、ゴンザーガ家の宮殿。
カピターノ宮殿、サン・ジョルジョ城、サンタ・バルバラ教会の3つの建物が集まってできている。
それぞれは回廊でつながれ、大小の中庭が点在している。
敷地面積は34,000平方メートル。部屋数は500以上。
サン・ジョルジョ城内にある、マンテーニャのフレスコ画で彩られた「結婚の間」(Camera degli Sposi)が有名。
3室からなる「イザベッラ・デステの間」(Appartamento di isabella)もある。
- 開館時間
火曜〜日曜 : 8時半〜19時(最終入場時間は18時20分)
閉館 : 月曜、1月1日、5月1日、12月25日
- ドゥカーレ宮殿のサイト Palazzo Ducale
※ 写真撮影禁止
大聖堂(Cathedral)
エルベ広場からソルデッロ広場(Piazza Sordello)へ入ると、正面に見える大聖堂。
13世紀に建てられた、街で最も古い教会のひとつ。
1545年、火事で焼けた内部を、ラファエロの弟子であったジュリオ・ロマーノによって再建された。
いくつかの建築様式が複合しており、ファサードはネオクラシック、サイドはゴシック、鐘楼はロマネスク。
テ宮殿(Palazzo del Te)
フランチェスコ・ゴンザーガとイザベッラ・デステの息子、フェデリーコ2世が、愛人ボルケッタと過ごすために作らせた宮殿。
1524年から1534年にかけてジュリオ・ロマーノによって建てられた。
シンプルな外観とは裏腹に、内部はさまざまな趣向が凝らされ、派手で華やか。グロテスク(人体や動植物を複雑に組み合わせた装飾)に彩られている。
6頭の馬の描かれた「馬の間」は、名馬の産地としてマントヴァを知らしめた、ゴンザーガ家らしい部屋。
チェーザレがフランスへ発つ時、このゴンザーガ家の厩舎から、何頭もの馬が届けられている。
1502年8月、チェーザレとフランチェスコ・ゴンザーガは、同盟の印として、彼らの娘(ルイーズ)と息子(フェデリーコ2世)(どちらも当時2歳)の婚約を決める。
チェーザレの没落とともに、この話は立ち消えるが、ひとつ間違っていれば、チェーザレの血が、この宮殿、この街に受け継がれていたかもしれない。
※ 写真撮影禁止
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