チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

ブリジゲッラBrisighella

ブリジゲッラ Brisighella

鉄道で、ファエンツァから約10分ほど。しかし、1~2時間に1本程度しかない。
ファエンツァ駅からタクシーで約15分。
町は小さいので徒歩でまわれる。が、階段や勾配がとても多い。

鉄道駅 → 中心地・・・約10~15分。
中心地 → 時計塔・・・約10分(結構きつい階段)
中心地 → 城塞・・・約20分(坂道)

  • Rocca Manfrediana‎ - マンフレディ家の城塞
  • ナルディ邸 - ディオニージ・ナルドの生家
  • torre dell orologio - 時計塔




マンフレディの城塞(La Rocca Manfrediana)

ヴェネツィアの下で増築されているので、ROCCA MANFREDIANA e VENEZIANAとも呼ばれる。

画像に見える左の塔はブリジゲッラの観光の目玉、
時計塔(torre dell'orologio)。
右がマンフレディの城塞。
(La Rocca Manfrediana)
すぐそばにあるように見えるが、勾配のきつい迂回路しかないので、近いとは言えない。

城塞の入口。








ファエンツァの南、ブリジゲッラ(Brisighella)にある城塞。
1310年、フランチェスコ・マンフレディ( - 1343)(アストーレ・マンフレディの7代前の人物)によって建てられた。
街(というか村)を囲む3つの丘の尾根に立つ、中世の軍事的要塞。

14世紀の間はマンフレディ家の支配下にあったが、1500年、チェーザレの手に落ちる。
チェーザレは断崖の上に立つこの堅固な城塞を、防衛の拠点として利用した。

1503年にはヴェネツィアの所領となり、塔が増築された。



15歳の少年領主アストーレ・マンフレディが、その臣民たちとともに約5ヶ月もの間籠城したのはここ。

※  この城塞、名前にマンフレディと付いているからか、チェーザレとの攻防戦のあった城塞としているものもある。が、その城塞とは別!
アストーレが籠城しチェーザレが攻めた城塞は、現在は1753年に取り壊され、現在は残っていない。
跡地にはファエンツァの市民病院が建っている。喜ばしいことに、その名残りが保存されていて見ることはできる。


  • 開館時間
    • 4月15日 - 10月15日
      火曜 - 金曜=10:00-12:00 / 15:30-19:00
      土曜・日曜=10:00-12:15 / 15:30-19:30
    • 10月16日 - 4月14日
      土曜=14:30 - 16:30
      祝祭日=10:00-12:00 / 14:30-16:30
      閉館=月曜




ナルディ邸(Palazzo Naldi)

ナルディ邸全景。 ナルディ邸の扉横にある説明プレート。 ナルディ通り(VIA NARDI)のプレート。

ナルディ通り。

チェーザレ軍の傭兵隊長であった、ディオニージ・ディ・ナルド(Dionisi di Naldo)の生まれたところ。
15世紀半ば、ディオニージの父ジョヴァンニがここに居を構えた。
ナルド家(ナルディとも表記される)は当時この辺りの有力者の一員であった。

観光案内所のあるマルコーニ広場(PIAZZA MARCONI)からロッカへ向けて伸びるナルディ通り(VIA NARDI)にある。
ポルティコのある黄色い建物。
バール(CAFFE DELLA LOGGIA SNC)の左隣。(左上の写真(ナルディ邸全景)に見える赤いテントがそのバール。)







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