チヴィタ・カステラーナ
チヴィタ・カステラーナ Civita Castellana
行き方が色々あって複雑。
まず、最寄駅が2つある。
- Civita castellana
ローマ北線(Roma Nord)(正式名称はローマ=チヴィタ・カステッラーナ=ヴィテルボ線 Ferrovia Roma-Civita Castellana-Viterbo)の駅。
街の中心部に近い。城塞まで徒歩10分ほど。
しかし、ローカル線しか停車しない。
(TrenitaliaやItaroは停まらない。ので、乗り換え案内アプリのOmioなどで検索してもルートが出ない。)
乗り換えなし、または乗り換え1回で、ローマから2時間〜2時間30分ほど。 - Civita Castellana - Magliano
国鉄の駅。TrenitaliaやInterCityが停車する。
乗り換えなし、または乗り換え1回で、ローマから1時間10分〜1時間30分ほど。
しかし街の中心部まで8キロほど離れている。
1. Civita Castellana 利用の場合
- ローマ・Flaminio駅から、ローマ北線(ローマ=チヴィタ・カステッラーナ=ヴィテルボ線)を利用して1時間47分。本数は少なめ。
この路線の先に、ソリアーノ(ソリアーノ・ネル・チミーノ)もある。
- ローマ・トラステヴェレ駅から、ラ・ストルタ(La Storta)駅まで約40分。バスに乗り換えて約1時間20分。
- 他にも、時間帯によって乗り換えバス停が異なったり、色々行き方がある。
2. Civita Castellana - Magliano 利用の場合
- ローマ・ティブルティーナ駅から乗り換えなしで1時間10分。
- ローマ・テルミニ駅からオルテ(Orte)駅まで約40分。乗り換えて約10分。(乗ってる時間は短いけど、乗り換え待ち時間が20分以上はあるので注意。)
駅前から街の中心地マッテオッティ広場(Piazza Matteotti)までバスがあるけれど、時間はよくわからない!
鉄道以外にも、ローマの北部Saxa-Rubraから、チヴィタ・カステラーナ駅前に発着するコトラル社のバスがある。約1時間半。この場合、駅手前のCorso Buocciで降りた方がボルジア城やボルジア門に近い。
バスは路線によってはネピを経由する。
街は小さく、サンガッロ城塞からボルジア門まで徒歩で15分ほど。歩いてまわれます。
枢機卿時代のロドリーゴ・ボルジアが、教皇シクストゥス4世によって与えられた街。ロドリーゴは総督としてこの街を治めた。
1492年、ロドリーゴが教皇に選出された時、支持に対する返礼として、一時サヴェッリ家に贈与される。が、これは一瞬だったよう。
アレクサンデル6世として教皇に選出された2年後の1494年、城塞の建築が始まる。
ローマから60キロほどで(馬で1日あれば移動できる)、フラミニア街道が街のすぐ東を通っているので、ボルジア家は要衝としてこの街を重要視していたと思われる。
チェーザレのローマ近郊における拠点のひとつ。
- チヴィタ・カステラーナ駅 - 街の最寄駅
- チヴィタ・カステラーナ・マリャーノ駅 - 地図の➖を4回クリックすると北の方に出てきます。
- マッテオッティ広場 - googleマップに広場の名前が出てこないけれど、街の中心にある広場。中央にある噴水(Fontana dei draghi)が目印。
- サンガッロ城塞 -
- ボルジア門 -
- サンタ・マリア・マッジョーレ教会 -
- バラの聖母教会 -
- 聖グレゴリオ・マーニョ教会 -
- マルカントーニ陶磁器博物館 -
ジャコモ・マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)
街の中心地にある広場。(チヴィタ・カステラーナ駅前の方が賑わってる感じもするけど。)
なぜかgoogleマップに名前が出ない。中央にある龍の噴水(Fontana dei draghi)が目印。
チヴィタ・カステラーナ・マリャーノ駅からのバスはここに停まる。
また、周辺のバスや電車のチケットが購入できるタバッキや、小さなスーパーマーケットもある。
サンガッロ城塞(Forte Sangallo)
※ アレクサンデル6世とチェーザレが1501年に作らせた同じ名前の城塞、Forte Sangalloがネットゥーノ(Nettuno)(ローマの南のティレニア海沿いの街)にもあるので、混同に注意!
サンガッロ城塞、東側、正面入口。
北西の裏門。
1494年、中世の要塞跡地に教皇アレクサンデル6世が建築を始めた城塞。
アレクサンデル6世の死後、ユリウス2世が完成させた。ので、どちらの紋章も掲げられている。
西側の壁に、2つ並んだ紋章が見られる。ボルジアの紋は外壁に、ローヴェレの紋は内部の主塔にある。
まずボルジアが外壁を作り、最後にローヴェレが主塔を建てているので、それぞれ自分が作ったところを飾っている。
ユリウス2世、よくボルジア紋を削り取らなかったね!?
(その後も、続く教皇が装飾したり居住したりしているので、内部には多数の紋章が見られる。)
2つの家の争いを避けるためか?建築家アントニオ・ダ・サンガッロ(Antonio da Sangallo)の名前で呼ばれている。
アントニオ・ダ・サンガッロは、
- Antonio da Sangallo il Vecchio(イル・ヴェッキオ、1456?1460? - 1535)
- Antonio da Sangallo il Giovane(イル・ジョヴァネ、1484 - 1546)
伯父・甥と2人いて、どちらも建築に関わっている。伯父がボルジア家に依頼されて始めた仕事を、甥がユリウス2世に依頼され引き継いだとされる。
(ちなみにこの時代の芸術家サンガッロはもう1人いる。ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(Giuliano da Sangallo、1445 - 1516)。イル・ヴェッキオの兄。しかしこの人はボルジアの城塞建築には関わってはいないよう。)
サンガッロ・イル・ヴェッキオは、当時の近代的な要塞設計のスペシャリストで、ボルジアは彼を重用していた。
地上2階、地下1階建て。塔部分は3階まである。
五角形をしていて、北側の一部以外を堀に囲まれていた。北側は峻厳な渓谷で、天然の堀だった。
外に突き出した三方の稜堡には砲台が置かれていた。
(何で2箇所は円形にしたんだろ?星型にして5方向設置した方が良くない?
北側が谷だから要らなかったのか?)
これは、当時主流となってきていた火器を用いた戦闘技術に対応する、革新的な防御システムだった。
また、教皇とその宮廷のために居住空間を有し、邸宅としての機能も兼ね備えていた。
上の写真は左側が北。
チヴィタ・カステラーナはアペニン山脈の麓だし、城塞は岩陵の上にあるので、かなり堅固だったと思われる。
実際、16世紀の教皇領における軍事建築の最高傑作のひとつと言われている。
← 19世紀に描かれたサンガッロ城塞。
めちゃくちゃ攻めにくそう。
ここに城塞作ったボルジア家、やるじゃん!!
この絵は右の谷側が北。
城塞は教皇庁領の北の境界線に位置する実際的な防波堤となり、チェーザレのローマ近郊における拠点のひとつだった。金、銀、宝石、貴重な宝石、美術品などの莫大な富を保管するための安全な場所であり、兵士の宿舎でもあった。
チェーザレはここに居住し、防衛設備を追加した。
(と、解説パネルにあったけど、いつ居住しどこを増強したのかは不明。)
入口の、衛兵詰所だったところを抜けたところにある、2つの跳ね橋。
左の写真の城壁にあるのは、アレクサンデル6世とチェーザレの紋章。
右の写真の入口を入ると、ラ・ロトンダと呼ばれる円形の稜堡。
中央にアレクサンデル6世の紋章、
両脇にチェーザレの紋章。
ラ・ロトンダを抜けたところにある小さな中庭(兵士の中庭)。
兵士の訓練場として使われていた。
入口を突破した侵入者をここで食い止めるため、
上部にはピオンバトイア(Piombatoia)(高所に設られた開口部。ここから石や熱した水・油を敵に落とした)、
側面には外部からは見えない隠し通路に銃眼、
下部には落とし穴、
が利用できるように作られていた。
(チェーザレが追加した防衛設備ってコレじゃないの?作りそう。ここにあるボルジア紋章もチェーザレの紋章だし。)
銃眼は、高さ30センチ幅15センチで、内側に向かって広がっていた。それにより、銃の向きを自由に調節することが可能だった。
この銃眼は、厚い壁の空間に作られた37メートルの細い通路で、周囲からは完全に見えない場所だった。
ここから跳ね橋を見渡すこともでき、また城壁の上や東の稜堡へ移動が可能で脱出経路にもなっていた。
すごい!
左側の門(デッラ・ローヴェレの紋章がある)は城壁のテラスと主塔に続く。(現在主塔へは入れないようで、扉は閉じている。)
右側の門(ボルジアの紋章がある)はメインの中庭(栄誉の中庭)に続く。
ここの紋章も、中央にアレクサンデル6世の紋章、両脇にチェーザレの紋章。
メインの中庭(栄誉の中庭)。
ボルジア家が作ったところだが、中央の井戸はローヴェレ。
回廊の天井には8つのボルジア家紋章がある。
角の4つはチェーザレの紋章。
(おそらく…記憶不鮮明。間違ってたらすみません、教えてください。)
北と東の回廊の下部にのみ、地下室がある。倉庫として利用されていた。
1846年から1961年までは軍の監獄として使用されていた。(1階部分。)
その後修復され、現在は国立アグロ・ファリスコ考古学博物館(Il Museo Archeologico dell’Agro Falisco)として利用されている。
2階が博物館になっており、ファリスカ(現在のチヴィタ・カステラーナ、古代ローマ時代の呼称)から出土した数々の興味深い遺物が展示されている。
ここはかつて、教皇の住居、礼拝堂、広間として使われていた。
- 開館時間
火曜日 - 土曜日:8:30 - 19:00(最終受付18:00)
日曜・祝祭日:8:30 - 13:00(最終受付12:00)
閉館
月曜日、1月1日、5月1日、12月25日
入場無料
※開館時間はけっこう変動しているようなので、確認必須。
ボルジアの門(Porta Borgiana)
ボルジアーナ門。
15世紀、市内に出入りするための扉のひとつだった。
カリストゥス3世の教皇時代(1455年~1458年)に、枢機卿であったロドリーゴ・ボルジアが建設したもの。
(← 飾られる紋章が、教皇ではなく枢機卿の紋章になっている。)
(ロドリーゴの紋章の上に、なぜか17世紀初頭の教皇パウルス5世の紋章がある。修復でもした?)
1482年、シクストゥス4世からチヴィタ・カステラーナの街を与えられた枢機卿ロドリーゴ・ボルジアは、教皇に選出される1492年までこの街の総督を務めた。門は総督ロドリーゴに感謝した市民が捧げたものとも言われる。
(門の横にある解説パネルにはカリストゥス時代に〜と書かれているので、そちらが有力かな。)
サンガッロ要塞とともに、チヴィタ・カステッラーナが教皇庁領北部にとって戦略的に重要であったことを示す証のひとつである。
ローマからも近く、フラミニア街道が街のすぐ東を通っているので、ロドリーゴ(とチェーザレ)は要衝としてこの街を重要視していたと思われる。
門はローマ建築の形式を復元した構造となっている。
大理石は、ローマ帝国の廷臣グリツィオ・ガッロ(L. Glizio Gallo)の記念碑的墓所を壊して再利用したもの。と、碑文にきざまれている。
また近隣のファリスコ遺跡から掘り出された装飾も利用されている。
現在は片側が擁壁で閉じられている。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria Maggiore)
12世紀に建てられたロマネスク様式の聖堂。だが、18世紀にバロック様式に改修されている。
内部も、柱と列柱で分けられた三廊式教会から一つの大きな身廊に作り変えられ、両側に小礼拝堂が設けられている。
後陣の祭壇画も18世紀の作品。
サンガッロ城塞の南のローマ通り(Via Roma)から見える裏側がかっこいい。
土砂崩れしないか心配になるけど…
しかし!
地下室(クリプタ cripta)に下りることができ、そこには1482年、チヴィタ・カステラーナの総督だったロドリーゴ・ボルジアが作らせた小さな祭壇(シボリオ ciborio)(バルダッキーノ baldacchino)がある。
ピエトロ・ダ・シエナ(Pietro da Siena)の作品で、地下室の左右に一つずつ置かれている。写真はその右側にあるもの。
上部に、十字架にかけられるキリストと聖杯、両側に受胎告知の聖母と大天使ガブリエルが刻まれている。その下には聖櫃と4人の天使。
そして、台座部分に、枢機卿ボルジアの紋章がある。
このシボリオはもともとは1階の祭壇部分にあったが、1736年の修復の際に移動された。
クリプタは7世紀または8世紀の異教の神殿として建てられ、その後キリスト教徒によって改装されて使用されたとされている。
バラの聖母教会 (Chiesa della Madonna delle rose)
サンガッロ城塞の裏手にある、趣きある小さな教会。
中世初期の建造物を基に、16 世紀に建てられた。意外と新しい。
水色のマントを羽織った聖母が、手にバラを持って子どもたちの前に現れたという伝説に由来している。
聖グレゴリオ・マーニョ教会(Chiesa San Gregorio Magno)
12世紀末に建てられた、完全なロマネスク様式の教会。
凝灰岩(火山灰や火山砂など、火山噴出物が固まってできた岩石)で作られている。ので、見た目がすごく素朴で雰囲気がある。
内部もカトリックの教会とは思えないほど質素。木製のトラス屋根、テラコッタの床、むき出しの壁と柱…。
ショボいとも言えるんだけど、好きな人はたまらんと思います!
マルカントーニ陶磁器博物館(Museo della Ceramica Casimiro Marcantoni)
正式名称は、カジミロ・マルカントーニ陶磁器博物館。
1909年、産業組合を設立した陶磁器企業家カジミロ・マルカントーニにちなんでつけられた名前。これはチヴィタ・カステラーナの経済史における、画期的な出来事だったそう。
チヴィタ・カステラーナは豊富な粘土の鉱脈に恵まれていて、陶磁器生産に適した街だった。
19世紀初頭の食器製造から、1970年代の衛生陶器の工業生産まで、チヴィタ・カステラーナの陶磁器活動を記録した博物館。
労働史、産業考古学、芸術史、セラミック技術など、歴史人類学的、歴史芸術学的な様々な側面が展示されている。
チェーザレとは全く関係ないけど、かなり立派で綺麗な博物館。
- 開館時間
11月1日〜3月31日
火曜日 9.00-13.00
木曜日 9.00-13.00 / 14.30-17.30
土曜日・日曜日・祝日 10.00-13.00 /14.00-17.30
4月1日〜10月31日
火曜日 9.00-13.00
木曜日 9.00-13.00 / 14.30-17.30
土曜日・日曜日・祝日 10.00-13.00 /14.30-18.00
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