ネットゥーノ
ネットゥーノ Nettuno
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鉄道で、ローマから、
ティレニア海に面したラツィオ海岸沿いにある街。
紀元前1千年紀の初めにラテン民族の人々によって建設される。
紀元前5世紀初頭、この地域に定住したヴォルチア人によって占領される。
紀元前459年、ローマの支配下に。
6世紀初頭ゴート族に、9世紀サラセン人に侵略された後、教皇ベネディクト8世の力で教皇庁領となる。
一時はオルシーニ家の所領となり、同家は街の周囲に8つの塔を持つ城壁を築いた。
1427年、コロンナ家出身の教皇マルティヌス5世の時代にコロンナ家の所領に。
1501年、ボルジア家によりコロンナ家は放逐され、教皇(ボルジア)の所領に。
アレクサンデル6世とチェーザレは、1501年から1503年にかけて、アラブやアフリカの海賊の襲撃から教皇庁を守るため、サンガッロ要塞を建築させた。
ネットゥーノには数百人の住民しかいなかったが、これを機に多くの人々が移住してきた。
小麦栽培、ブドウ収穫、木材伐採、石炭生産、漁業が盛んになり、アストゥーラ港からナポリやピサに出荷される製品によって、街は豊かになった。(ボルジア家やるじゃん!)
1503年、再びコロンナ家の所領に。
1625(26?)年、コロンナ家から教皇庁に売却される。
1809年、ナポレオン・ボナパルトにより併合され、ローマ県ヴェッレトリ郡の一部になる。
1815年、ナポレオンが敗北し、教皇庁が再興される。
1870年、教皇庁の運命に従い、イタリア王国に編入された。
サンガッロ城塞(Forte Sangallo)
アレクサンデル6世とチェーザレが1494年に作らせた同じ名前の城塞、サンガッロ城塞(Forte Sangallo)がチヴィタ・カステラーナ(Civita Castelana)にもあるので混同に注意!
アレクサンデル6世とチェーザレが1501年に作らせた城塞。
市立アンティーク博物館(Antiquarium Comunale)として利用されている。
サン・フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco)
Chiesa di San Giovanni Battista ed Evangelista
Basilica of Our Lady of Graces & St. Maria Goretti Santuario Santa Maria Goretti
Borgo Medievale di Nettuno
Torre Astura
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