チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

ボルハBorja

ボルハ Borja

丘陵地に広がるボルハの街。

鉄道が通っていないので、車利用となる。
パンプローナから、
高速道路AP-15を下ってトゥデラ方面へ向い、
AP-68 E-804に入って、サラゴサ方面へ向う。
「Borja」の標示に従い高速を降り、
一般道N-122に入る。
道なりにまっすぐに行くとやがてボルハの街(右の写真)が見えてくる。

高速の道路標示は日本と同様にきちんとされているので、運転に慣れていれば、迷う心配はないと思われる。
しかしやはり何があるかわからないので、レンタカーはナビ付きがお薦め。地図があれば完璧。

ボルジア家の始まったところ。
彼らの元々の姓ボルハ(Borja)は、この街に由来する。赤い牡牛もこの街の紋である。

1120年、アラゴン王アルフォンソ1世はイスラムの手からこの地を回復し、腹違いの弟ペドロ・アタレスに封土した。
ボルジア(ボルハ)家はこのペドロ・アタレス( - 1151)の末裔であり、その後約1世紀に渡ってボルハに暮らした。
(1240年、ハイメ1世のヴァレンシア地方征服に従軍したエステバン・デ・ボルハは、ハティヴァの領地を与えられる。ここからボルジアの本拠地はハティヴァに移る。)

しかし、ペドロ・アタレスは子孫を残さずに死去したとも言われ、ボルジアの祖であると明確に証明されてはいない。
この説は「アタレス家、ひいてはアラゴン王家を祖先に持つ」として、自らの血統に箔をつけようとしたボルジアの偽言である、とされることも多い。

ボルジアの祖が王家の血を引くのか、名もないただの郷士であったかはわからないが、いずれにしても一族の起源がこの街にあることに間違いはない。


  • 地図上でダブルクリックすると、ズームしていきます。
  • 地図上でドロップ&ドラッグすると、画面が移動していきます。

※ ボルハのGoogleMapは、航空写真がとても粗く不明瞭です。故に場所の特定が不安定です。おおよそのものだと理解してください。

  • コンセプション修道院 -
  • サンタ・マリア教会 - 教会美術館
  • サン・ミゲル教会 - 考古学博物館
  • サント・ドミンゴ教会 - 市民公会堂
  • 映画館「セルバンテス」 -
  • スペイン広場と市庁舎 - 観光案内所
  • コンチャス邸 -
  • サン・バルトロメ教会 -
  • 城塞 -
  • ミセリコルディア教会 - 縮尺のマイナスを3回クリックし広域で見ると北のほうにあります


※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。

コンセプション修道院(Convento de la Concepción)

街の入り口前にあるコンセプション修道院。

17世紀に建てられたバロック様式の修道院。
修道女であり詩人でもあった、シスター・マリア・デ・ヘスス・デ・アグレダ (Sor Maria de Jesus de Agreda、1602 - 1665)の直筆書類を多く所蔵している。

ボルハの街の案内板。







車でN-122道路からボルハに入ると、この修道院の前に出る。

修道院前(修道院とカレラ門(Arco de la Carrera)の間)には街の案内版があるので、ここで観光の順路を確認できる。




サンタ・マリア教会(Colegiata de Santa María)

街の南カレラ門(Arco de Carrera)から入ると目の前にあります。 塔に住み着いている巨大な鳥!コウノトリ?

↑ クリックすると拡大します。

2つの尖塔を持つ、様々な様式の混在した教会。
12世紀にロマネスク様式で建築が始められ、ゴシックとムデハル様式(キリスト教建築様式と、イスラム教徒の建築様式が融合したスタイル)の影響を受け、1775年の火災の後にはバロック様式で改修された。
塔の土台部分以外は、全てレンガで造られている。

ゴシック様式の祭壇画「受胎告知」

南側に、15世紀に増築された修道院が併設しており、2003年から教会美術館(Museo de Arte Religioso o Museo de la Colegiata)として利用されている。
かつて教会を飾っていたゴシック様式の祭壇画を筆頭に、絵画や彫刻、楽器や本、服飾品など様々なものが展示されている。
テラスからは教会の塔を間近に見ることができる。

写真は美術館所蔵の祭壇画。
ニコラスとマルティン兄弟(Nicolás y Martín de Zahórtiga)による15枚の連作の1枚。
「La Anunciación(受胎告知)」。1460年。

  • 開館時間(美術館)
    土曜・日曜・祝日
    11:00 - 13:30、18:00 - 20:00




サン・ミゲル教会(考古学博物館)
(Museo Arqueológico, Iglesia de San Miguel)

サン・ミゲル教会。右隣にサンタ・クララ教会、修道院。

サン・フランチェスコ広場に建つ教会。
現在、ボルハの街の歴史をたどる考古学博物館(Museo Arqueológico)として利用されている。

12世紀末、城塞へ続く街外れの通りに、ロマネスク様式で建てられた。
14世紀、ムデハル様式で改修され、17世紀、バロック様式で改修される。この時、隣接してサンタ・クララ修道院が建てらた。

1868年、サン・ミゲル教会教区は、サン・バルトロメ教会を入手する。
多くの聖具や絵画がサン・ミゲルから新たな教会へと移され、サン・ミゲルは半ば廃墟化してしまう。

2002年、長い間打ち捨てられたいた教会は、ボルハ再開発計画の一部に加えられ、やっと再建されることになった。

考古学博物館として、ボルハ市と中央ボルハ研究所の協力を得、充実したものになっている。




サント・ドミンゴ教会(市民公会堂)
(Iglesia de Santo Domingo, Auditorio Municipal)

市民公会堂として使われているサン・ドミンゴ教会。

サント・ドミンゴ広場に建つ教会。
現在は市民公会堂(Auditorio Municipal)として使われている。
すぐ側には映画館「セルバンテス」(Cine Cervantes)があり、市庁舎の建つスペイン広場があり、それらと合わせてボルハの人々の集う中心街を成している。

12世紀、ドミニコ修道会のために建てられた教会。当時はサン・ペドロ教会と呼ばれていた。
レンガ製のファサードは17世紀に改修されたバロック様式。
18世紀に作られた祭壇画が有名。




映画館「セルバンテス」(Teatro Cervantes)

映画館があるとは・・・けっこう都会?

1946年に建てられた映画館。
建築家サンティアゴ・ラグナス・アラゴン(Santiago Lagunas Aragon)によって設計された。
ファサードはレンガで造られており、モダンなデザインでありながら、古い街並みに溶け込んでいる。

2011年4月はナタリー・ポートマン主演の「ブラック・スワン」他2作品が上映されていた。




スペイン広場と市庁舎(Plaza de España y Ayuntamiento)

エスパーニャ広場。市庁舎の前から撮ったもの。

街の中心であるスペイン広場。
人々の憩うカフェがあり、市庁舎が建つ。
近くには市民公会堂や映画館もあり、賑わっている。
(写真はシエスタの時間帯なので閑散としています・・・。)


16世紀に建てられた市庁舎は、アラゴン地方の典型的なルネサンス様式。
レンガで造られ、まぐさ石(2つの支柱の上に水平に渡されたブロック)で飾られたエントランスが特徴的。

スペイン広場から撮った市庁舎。 市庁舎1階。入ったところ。

市庁舎内に観光案内所がある。

  • 開館時間
    月曜 - 金曜 8:00 - 15:00
    土曜    10:30 - 13:00




コンチャス邸(Casa de las Conchas o Palacio de los Vera)

バルセロナ「スペイン村」に再現されているコンチャス邸。

1522年に建てられたヴェラ家邸宅。
ヴェラ家はアラゴンの小都市カステルフロリーテ(Castelflorite)などの領主であった伯爵家。
18世紀には巡礼者のための病院として使われたこともあった。

扉を飾る貝殻に由来してコンチャス邸と呼ばれる。(コンチャ(Concha)とは貝殻の意味。)
1978年にスペインの文化遺産(Bien de Interes Cultural、略してBIC)に認定された。
ボルハの貴重な建築物。

写真は、バルセロナの「スペイン村」(Poble Espanyol)に実物大で再現されているコンチャス邸。
実物は門扉などがやや古びて白茶けている。




サン・バルトロメ教会(Iglesia Parroquial de San Bartolomé)

サン・バルトロメ教会。

中世に建てられた古い建物を、長く教会として利用していた。
1960年代に破壊されてしまい、現在は18世紀に作られたバロック様式のファサードのみ保存されている。
上部にある2つの鐘は使われていない。




城塞(Castillo de la Zuda o Castillo de Borja)

丘に沿って広がるボルハの街の、てっぺんにある城塞跡。
街は裾野へ行くほど新しくなっていて、上の方は廃墟同然のような荒れた建物が多い。
住みにくい高地帯から、どんどん遠ざかっているよう。

↓ 城塞へ上っていく途中の荒廃した家々。
荒れている廃墟のような家。 まさか人が住んではいないよね? 廃墟に佇む猫。


街を縦断しているサン・バルトロメ通り(Calle de San Bartorome)を上って行き、サン・バルトロメ教会を過ぎると、左下の写真の場所へ出る。 ↓
城塞へ上っていく道程。(他の道からも行けるけども。) 城塞跡。


城塞の歴史はとても古く、もともとは先住民がローマ人や西ゴート族の侵入に対して建築したものであった。粘土と石膏で造られていた。
やがてイスラムによって、より大きく堅固な城塞へと作り変えられる。

城塞跡。

12世紀、アラゴン、カスティーリャ、ナヴァーラという3つの強大なキリスト教国に挟まれたボルハは、重要な軍事要塞基地となる。
城塞を中心として商店や宿舎、教会などが建設され、街は発展した。

14世紀半ば、カスティーリャ王ペドロ1世とアラゴン王ペドロ4世(青池保子「アルカサル」に登場する2人のペドロ王)の争いにおいて、城塞は破壊されてしまう。

城塞はすぐに修復されたが、軍事的利用はその後16世紀まで続き、破壊と修復とが繰り返された。

その後、城塞と城壁は、街を作るための材料として切り崩されてしまう。
今ではほんのひと塊の岩石と柱の跡しか見られない。

城塞からみたボルハの街。

城塞からはボルハの街が一望できる。
とても静かで、遠くに群れている羊の、首につけられたベルの音まで聞こえる。




ミセリコルディア教会
(Iglesia del Santuario de Nuestra Señora de la Misericordia)

右端に見えるのが問題の絵。 キリストが猿に!と言われた。

2012年8月、「世界最悪の修復」として衆目を集めたフレスコ画のある教会。
ボルハの街から北西に約6キロ、標高約700メートルの丘陵の街、サントゥアリオ・デ・ミセリコルディアにある。

1910年、エリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)によって描かれた「Ecce Homo(この人を見よ)」は、素人画家セシリア・ ヒメネス(Cecilia Gimenez)の修復によって、オリジナルとは似ても似つかない作品に仕上がってしまった。

このニュースは「世界最悪の修復」として話題を集め、一時観光客が殺到した。

主祭壇に向って右手の柱(というか壁?)にある。(上の写真右端に小さく見える。)








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