チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

ペーザロPesaro

ペーザロ Pesaro

ペーザロ駅

鉄道で、リミニから約30分前後。
ボローニャから約1時間40分〜2時間30分。
(ボローニャまで、
ミラノから約1時間20分〜1時間50分。
フィレンツェから約1時間。
ローマから約2時間半。)

ドゥカーレ宮殿のあるポポロ広場まで、徒歩で約10分弱。
街は小さく、徒歩でまわれます。
ドゥカーレ宮殿の先を更にまっすぐ行ったロッシーニの家の向かい側に、観光案内所があり、皇帝館までのツアーなどを申し込むことができます。
街をつっきり、海岸まで出たところにも、観光案内所があります。
ビーチリゾートとして名高い街なので、季節によって、かかる費用から街の雰囲気まで、いろいろと異なるかもしれません。

海辺にあるモニュメント     アドリア海。駅から、街をつっきった先にあります。

  • ペーザロ観光案内のサイト Centro Risorse Territoriale di Pesaro e Urbino
    左にあるメニューの「Materials」から、
    「Illustrated English guidebooks and training projects」を選び、
    1番上にある「A Guidebook to Pesaro within the walls」をクリックすると、ペーザロの観光名所の紹介ページへ行きます。
    このページは英語でも書かれています。


教皇領の街であるが、
13世紀後半から15世紀半ばまでをマラテスタ家に、
15世紀半ばから16世紀初頭までをスフォルツァ家に、
16世紀初頭から17世紀半ばまでをデッラ・ローヴェレ家に、支配されていた。
1493年、ジョヴァンニ・スフォルツァと結婚したルクレツィアは、1494年、シャルル8世のイタリア侵攻とローマに蔓延していた疫病を避けるため、アドリアーナ・ミラ、ジュリア・ファルネーゼとともにこの地に1年ほど滞在する。
1502年、3度目の結婚でフェラーラへ向かう時も、ルクレツィアはこの地に寄る。
1500年10月、チェーザレの進攻に際して、ルクレツィアのかつての夫であったジョヴァンニ・スフォルツァは兵を挙げることなく逃走、一滴の血も流すことなく、ペーザロはチェーザレの支配下に入る。


※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。

ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)

ポポロ広場とトゥカーレ宮殿。左端の建物は郵便局です。 宮殿に向かい、左手が駅、右手が海、後ろが城塞です。
マラテスタ家、スフォルツァ家、デッラ・ローヴェレ家の居城であったところ。
6つのアーチを持つファサードはスフォルツァによって作られ、広い中庭はデッラ・ローヴェレによって造られた。
内部には、フェデリーコ・ブランダーニによる浅浮き彫りの美しいウエィティングルームや、ルクレツィア・ボルジアのバスルームと言われている部屋が残る。
が、現在は県庁として利用されており、見学は不可のよう。




サン・フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco o Santuario Madonna delle Grazie)

扉の両脇には2匹のライオンがいます。

ポポロ広場から城塞へ行く途中、サン・フランチェスコ通り(Via San Francesco)にある。
13〜14世紀にかけて建てられた教会。
パンドルフォ2世・マラテスタ(1325〜1378)によって建てられたゴシック様式の門を持つ。




カテドラル(Cattedrale)

この教会にも、扉の両脇に2匹のライオンがいます。 床のモザイクが美しい。
ポポロ広場からロッシーニ通り(Via Rossini)をまっすぐに行くと、右手にある教会。
ローマ時代後期の遺跡に建てられている。ロマネスク様式とゴシック様式が混合しており、ファサードは未完成。
ペーザロの守護聖人サン・テレンツィオが祀られている。

※ 昼休み時間が12時〜16時と長い!



城塞(Rocca Costanza)

城塞入り口をマッテオッティ広場(Piazzale Matteotti)から。 城塞の周囲を囲む遊歩道から。

画像の説明

15世紀初頭、ルクレツィアの最初の夫ジョヴァンニ・スフォルツァの父、コンスタンツォ・スフォルツァによって建てられた城塞。
周囲は、イモラやフォルリの城塞よりも、かなり深い堀に囲まれている。(どの堀も現在は水が抜かれ、芝生となっている。)
領主の居城であったが、後には牢獄として使われた。
ルクレツィアはペーザロ滞在時に、ここで暮らした。

画像の説明






内部は、陶器や現代美術の展示がなされてはいるが、修復途中で放棄されたように、荒れて埃をかぶっている。
正式に一般開放されているのかどうか、不明・・・。






市立美術館(Musei Civici)

ペーザロ、市立美術館。

陶器美術館と絵画美術館の併設された、小ぢんまりとした美術館。
陶器美術館には14世紀〜16世紀に活躍したペーザロとウルビーノの職人たちによるマヨリカ陶器が展示されている。
絵画美術館には、近代絵画から、マルコ・ゾッポやジョヴァンニ・ベッリーニなど、チェーザレの時代の絵画も所蔵されている。

  • 開館時間
    火曜・水曜 9:30 - 12:30
    木曜~日曜 9:30 - 12:30 / 16:00 - 19:00
    (7月・8月 のみ
    水曜・金曜・土曜・日曜 9:30 - 12:30 / 17:00 - 20:00
    火曜・木曜 9:30 - 12:30 / 17:00 - 23:00)

休館 月曜




皇帝館(Villa Imperiale)

正面。塔の部分はルクレツィアの時代にはなかったそうです。 左の写真の、右手にある中庭。ここもルクレツィアの時代の後、増築された部分。

ペーザロ市街地から約5キロ、サン・バルトロの丘に建つ宮殿。
ルクレツィアの最初の夫であるジョヴァンニ・スフォルツァの祖父、アレッサンドロ・スフォルツァによって、1452年から1468年にかけて建てられた。
建築途中であった1464年、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世が、ここに立ち寄り、式典を行ったことから、「皇帝館」という名がついたらしい。

屋上庭園。右上の写真の屋上から撮っています。 塔を除く建物部分が、ルクレツィアの時代に存在したところ。左上の写真の裏です。

1494年、ペーザロ滞在中のルクレツィアは、城塞での夏の暑さに辟易し、ここに避暑した。
が、当時存在していたのは、塔の下部分の建物だけで、その他の大部分は、1513年にペーザロの領主となる、フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレ(ユリウス2世の甥)によって、増築されている。
内部も、ほとんどが彼の下で装飾された部屋からなる。
見学できる4つ目の部屋に、アレクサンデル6世の前にひざまづく、教皇軍総司令官フランチェスコの天井画がある。
(が、彼が教皇軍総司令官となるのは1509年なので、この絵はおかしいと思う・・・。)

  • ガイドツアーによる見学となる。
    ペーザロの観光案内所で申し込むことができる。英語のできるガイドもリクエストできる。
    所要時間は、集合から解散までで、約2時間。

※ 内部の写真撮影禁止







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