チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

フォルリンポーポリForlimpopoli

フォルリンポーポリ Forlimpopoli

司教館(左の時計塔のある建物)。右奥に続く路地はエミリア・ロマーニャ街道。

エミーリア街道沿い、フォルリとチェゼーナの間にある街。フォルリから南東に約15キロ。
鉄道で、フォルリから最寄り駅フォルリンポポリ・ベルティノーロ駅まで約8分。
バスで、フォルリのサッフィ広場発、チェゼーナ駅前行き利用で約20分。城塞のすぐ近くのバス停に止まるので便利。

2世紀、ローマ帝国によって開かれた街。
街の名のはForo Romano Popili(民衆の公共広場という意味)に由来している。
8世紀に教皇領となり、13世紀にオルデラフィ家(Ordelaffi)に封土される。
15世紀にはリアーリオ家の所領地となり、カテリーナ・スフォルツァ(ジローラモ・リアーリオの妻)もここを治めていた。(カテリーナはジローラモ・リアーリオの妻。)
1500年、チェーザレの支配下に入る。
1503年、アレクサンデル6世の死を機として、ヴェネツィアがロマーニャに進入する。この時占領されてしまった城塞のひとつが、ここフォルリンポポリの城塞。


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  • Stazione Forlimpopoli-Bertinoro - フォルリンポポリ・ベルティノーロ駅
  • ロッカ・フォルリンポポリ -


ロッカ・フォルリンポポリ(Rocca Forlimpopoli)

ガリバルディ広場からみた城塞の側面。 城塞背面。
ロッカ・アルボルノツィアーナ(Rocca Albornoziana)とも。街の中心地である、ジュゼッペ・ガリバルディ広場に立つ城塞。
1360年から1365年にかけて、廃墟となっていた大聖堂の跡地に建てられた。教皇軍の司令官であった枢機卿アルボルノス(Albornoz)によって建てられたので、この名が残っている。
1380年、オルデラフィ家によって改築され、現在見られる姿となった。

城塞、通路部分。

15世紀、教皇シクストゥス4世はフォルリンポポリを甥のジローラモ・リアーリオへ与え、城塞もリアーリオ家の所有となる。
ジローラモの妻であったカテリーナ・スフォルツァが暮らしていたという記録が残っている。彼女の名を冠した通りが現在も見られる。

1500年、チェーザレはカテリーナ・スフォルツァを撃破、イモラやフォルリとともにこの地をも支配する。
チェーザレはわりと長い間、ここに滞在したことがあったよう。

古代ローマの展示。

1503年、アレクサンデル6世の死を機と見たヴェネツィアは、病床のチェーザレの隙をつきロマーニャに進入する。リミニやファエンツァがヴェネツィアの手に落ちるが、この時占拠された城塞のひとつがここ。

現在は市庁舎として使われており、一部が古代ローマ時代の博物館となっている。










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