チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

パンプローナPamplona

パンプローナ Pamplona

パンプローナ・イルーニャ駅。

鉄道で、
バルセロナから約4時間。
マドリードから約3時間。

パンプローナ駅から街の中心地までは、少し離れているので、駅前から出ているバスを利用するのがよいと思います。
タクシーだと10分かからないくらいです。

毎年7月6日から14日に開かれる「牛追い祭り」(サン・フェルミン祭)で有名な街。ヘミングウェイの小説「日はまた昇る」の舞台でもある。
また、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの長い巡礼の道の拠点のひとつでもある。

10世紀から16世紀まで続いたナヴァーラ王国の首都。
1941年9月12日、16歳の誕生日前日、チェーザレはパンプローナの司教に叙任される。
当時のナヴァーラ王は、後にチェーザレの妻となるシャルロット・ダルブレの兄ジャン・ダルブレ(ファン3世)であった。(在位 1484年 - 1516年)
1506年、メディナ・デル・カンポから脱走したチェーザレは、義兄であるジャンを頼ってパンプローナへたどり着く。
チェーザレはここで、マントヴァ侯宛の生涯最後の手紙を書き、翌年3月12日のヴィアナでの戦死までの数ヶ月を暮らした。

バスク語ではイルーニャ(Iruña、Iruñea)と呼ばれ、駅名は「パンプローナ・イルーニャ駅」(Pamplona - Iruña)となっている。


  • 地図上でダブルクリックすると、ズームしていきます。
  • 地図上でドロップ&ドラッグすると、画面が移動していきます。

  • サンタ・マリア大聖堂 - カテドラル
  • サン・サトゥルニオ教会 - サン・セルニン教会
  • ナヴァーラ古公文書館 - チェーザレの時代の王宮
  • ナヴァーラ美術館 -
  • ナヴァーラ宮殿 -
  • 城壁 -
  • マグダレーナ橋 - アルガ河と橋
  • サン・ペドロ橋 - アルガ河と橋
  • 城塞公園 -
  • 闘牛場 -

※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。

サンタ・マリア大聖堂(Catedral de Santa María la Real)

ただカテドラル(Catedoral)と呼ばれることが多い。
もともとは10世紀に建てられたとても古い教会。
11世紀初頭にサンチョ3世(Sancho III Garcés)によって改築され、後半にロマネスク様式で完成した。
14 - 15世紀にはゴシック様式で改築され、現在見られる姿となった。

カテドラル、ファサード。 教会、美術館見取り図。

入口は教会の建物にはなく、付設の美術館側になる。右図の赤丸のついた場所が入口。
教会と美術館を合わせると、けっこう大きな建物。

奥の建物は教会。右手にチケット売り場があります。中庭の回廊。
右上地図の番号①。
教会・美術館入口の庭。
右上地図の番号②。
教会中庭の回廊。


カテドラル、身廊。

1491年9月、チェーザレはこの教会を司牧する司教に叙階される。
この時チェーザレが16歳の子どもであったこと、また彼が庶子であったことから、パンプローナ市民は激しく抗議したと言う。

右の写真は地図番号③。教会の身廊部分。
中央にはナヴァーラ王であったカルロス3世(Carlos III)とその妻レオノール・デ・トラスタマラ(Leonor de Trastámara)の霊廟が置かれている。
(ちなみに、レオノーラは青池保子「アルカサル」に登場するエンリケ・トラスタマラの娘。)

1506年12月、チェーザレは義兄のナヴァーラ王ジャン・ダルブレを頼りパンプローナへ到着する。
この時初めて、チェーザレは自分がかつて司牧していた教区を訪れた。間違いなく足を運び、祈りを捧げたはず。

しかし残念ながら、教会にも美術館にもパンフレットにも、チェーザレの名は見られない。


カテドラル、礼拝堂。カテドラル、美術館。
右上地図の番号④。
バルバサーナの礼拝堂。
 
右上地図の番号⑤。
寝室と食堂であったところ。現在は美術館として使われている。
  • 開館時間
    • 7月 - 9月
      月曜 - 金曜 10:00 - 19:00
      土曜 10:00 - 14:30
  • 10月 - 6月
    月曜 - 金曜 10:00 - 14:00、16:00 - 19:00
    土曜 10:00 - 14:00

日祝日 休




サン・サトゥルニオ教会(Iglesia de San Saturnino)

画像の説明
画像の説明

サン・セルニン教会(San Cernin)とも。

もともとはロマネスク様式で建てられた教会。
聖サトゥルニオは、ここで4万人もの異教徒をキリスト教に改宗させ、洗礼を行ったとされる。

中世、パンプローナは3つの派閥に分かれて争っており、この教会はフランス人たちの多い地区であった。
(通り名となっているサン・セルニン教会(San Cernin)はフランス語。)
派閥闘争はしばしば戦闘となり、教会の塔は攻撃と防御のためにも利用された。
13世紀、内紛で傷ついた教会は、現在見られるようなゴシック様式で改築された。




ナヴァーラ古公文書館(Archivo General de Navarra)

ナヴァーラ古公文書館。 ナヴァーラ古公文書館入口。

ナヴァーラ古公文書館中庭。

12世紀に建てられたパンプローナ司教の住居。
当時はサン・ペドロ宮殿(Palacio Real de San Pedro)と呼ばれていた。

やがてナヴァーラ王の住居として使われ、
近代初期にはスペイン王国副王の宮殿となり、
後にはナヴァーラの軍事総督府が置かれた。
スペイン内戦以後、宮殿は廃墟と化したが2003年に再建され、
現在はナヴァーラの古公文書館として利用されている。

チェーザレがパンプローナを訪れた時、宮廷はここに置かれていた。
彼はここで、長かった逃亡生活の疲れを癒したのだろう。
しかし、ほぼ完全に立て直されたようで、在りし日の姿は全く偲ばれない。とても近代的な建物。

夜の古公文書館。ナヴァーラ美術館側から。

西側の側面は城壁に囲まれているので、やや歴史を感じさせる。




ナヴァーラ美術館(Museo de Navarra)

1時間くらいで回れると思います。

16世紀の病院跡に建てられた美術館。
先史時代のナヴァーラの遺跡から、17世紀 - 18世紀のナヴァーラの画家の作品を所蔵。有名なのはゴヤの「サン・アドリアン侯爵の肖像」。
ゴシック様式に立て直される前の、カテドラルの柱頭が展示されているのが興味深い。

サン・フェルミン祭の牛追いは、この美術館の横にスタート地点がある。

  • 開館時間
    火曜 - 土曜 9:30 - 14:00 17:00 - 19:00
    日祝日 11:00 - 14:00
    月曜 閉館




ナヴァーラ宮殿(Palacio de Navarra)

夜のナヴァーラ宮殿。

ナヴァーラ王であったチェーザレの義兄ジャン・ダルブレの住まい!?ではなく、建設は19世紀。
(当時の宮殿はナヴァーラ古公文書館である。)

現在はナヴァーラ州知事と行政官のオフィスとして使われている。
チェーザレの時代を偲ばれるものは、何もない。残念。




城壁

街の北側に残る城壁。

旧市街の北、アルガ河に沿って建つ16世紀の城壁。
チェーザレの義兄であるナヴァーラ王ジャン・ダルブレ(ファン3世)が、スペイン王フェルナンド2世に破れフランスへ逃亡した後、作られたもの。

城壁を街の上から見下ろしたところ。 巡礼者の順路にもなっている城門。1553年に建設。Portal de Francia。 

チェーザレの滞在した当時にはなかったものだが、パンプローナは長年重要な軍事要塞の街であったので、おそらく同じような城壁は存在したと思われる。

パンプローナは公園と緑地の多い街だが、城壁周辺も散策に適した気持ちの良い場所になっている。




アルガ川と橋(Río Arga y Puentes)

パンプローナ旧市街の北を流れる美しい河。
川沿いは遊歩道になっていて散策に適している。ここから城壁に囲まれたパンプローナ市街が見上げられる。


マグダレーナ橋(Puente de la Magdalena)

マグダレーナ橋 景色がとても綺麗です。

アルガ河には、中世に架けられたという橋が4つ残っている。
マグダレーナ橋はその中で最も古く、12世紀に作られたもの。サンティアゴへの巡礼者はこの橋を渡ってパンプローナへ入る。

14世紀に改修された後、大幅に手は入っていないので、チェーザレが渡った当時そのままの姿で残っている。


サン・ペドロ橋(3.Puente de San Pedro)

アルガ河にかかるサン・ペドロ橋。

マグダレーナ橋の次に架けられたもの。マグダレーナ橋と同じく3つのアーチを持っている。
この橋の上から、パンプローナの城壁がよく見渡せる。




城塞公園(Ciudadela de Pamplona o Castillo Nuevo)

外側から見た星の一角。

1571年、ナヴァーラの実質的支配者であったスペイン帝国最盛期の国王フェリペ2世は、脆弱であった町の南側を強化するため、城塞の建築を命じる。

星型の城塞は、ルネサンス期のイタリアとアントワープの城塞を参考にして設計され、星の各先端から全方向に向けて攻撃できるように作られた。

そのうちの3分の2は市街地の方を向いており、ナヴァーラ王の主権回復を願う民衆の反乱を抑制する役割をも担っていた。

星の内部の公園。 星の先端部分から内部の公園を見たところ。

1964年、城塞は軍事的役割を終え、公園として整備された。
現在は星の角部分が3つ残っており、中の建物は展示スペースとして利用されている。
星の外周にもぐるりと緑が広がっており、敷地はかなり広大。




サン・フェルミン祭(Fiesta de San Fermin)

サン・フェルミン祭の開会宣言が行われる、パンプローナ市庁舎。

毎年7月6日から14日までの9日間、パンプローナで開かれる祭。パンプローナの最初の司教であり、街の守護聖人である聖フェルミンにちなむ。
セビリアの「春祭り」、ヴァレンシアの「火祭り」と並ぶスペインの3大祭りである。

日ごろはのんびりとした地方都市であるパンプローナが、この時は世界中から観光客が集まり、街の人口は倍にまで増える。ホテルの料金にいたっては、4倍になる所もあると言う。

7月6日正午、市庁舎のバルコニーにて祭りの開会宣言が行われる。
祭の正装とされる紅白の衣装で広場は埋め尽くされ、街は熱気に包まれる。シャンパンが吹きこぼれ、紙ふぶきが舞い、生卵が飛び交うんだって!


エンシエロ(Encierro)

パンプローナの牛追い像。Autor;Jorab

サン・フェルミン祭で行われる催しのひとつ。
エンシエロとは牛追いのこと。
ナヴァーラ美術館の横にあるサント・ドミンゴ広場からスタートし、街を縦断して闘牛場までの約840メートルを、牛を追いながら追われながら走る。

この牛追いが世界的に有名であるため、サン・フェルミン祭は別名「牛追い祭り」とも呼ばれる。

エンシエロは7日から14日まで毎朝8時に行われる。


パンプローナ闘牛場。

全ての牛が闘牛場へ追い込まれエンシエロが終了すると、素人闘牛が行われる。
牛よりも早く闘牛場へ到着したランナーたちが、ひとまわり小さな牛を相手に、ケージへの追い込みに奮闘する。

18時30分からは、エンシエロで追い込まれた牛を相手に、闘牛士による闘牛が行われる。
スペイン中から名のある闘牛士が集まり、技を競い合う。

他にも催しが目白押しで、祭りの期間中パンプローナは眠らない。
公園には移動遊園地が作られ、民族衣装を着けた人々が練り歩き、歌やダンスが一晩中続く。

ナヴァーラ王国時代から続く祭りだが、最初の記録は400年前と言われるので、チェーザレの時代の後ですね・・・。







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