チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

ヴェッレトリ系ボルジア家

ヴェッレトリ系ボルジア家(Borgia di Velletri)

ヴェッレトリに栄えたボルジア分家。
1120年、アラゴン王アルフォンソ1世がボルハの街を征服した後、イタリアに渡ったボルジア支系。
チェーザレの系譜との関係は不明だが、遠い親戚ではある。

この家系からも、優れた政治家や聖職者が輩出されている。

リッカルド・ボルジア(Riccardo Borgia)

1181年にヴェッレトリ系ボルジア家の人物として、最初に記録されている人物。

教皇ルキウス3世(1181-1185)の在位期間中の寄付証書に、リッカルドの名が記されているらしい。ボルジア本家は繁栄の礎となるカリストゥス3世もまだ生まれていないので、ボルジア家の支流がイタリアに帰化したことを示すと考えられる。

ヴェッレトリ系と言われているが、最初に居住したのはナポリ王国のよう。




ピエトロ・ボルジア(Pietro Borgia)

ピエトロ・ディ・ゴーリオ・ボルジア(Pietro di Gorio Borgia)とも。
(14?? - 1510)

1495年1月30日、チェーザレがシャルル8世の行軍をヴェッレトリで逃走した時、手を貸した人物。
チェーザレはピエトロと連携し、彼の仲介によってヴェッレトリのポデスタ(行政長官)フランチェスコ・ダ・サッコ(Francesco da Sacco)と手を組み、逃走を成功させた。




クレメンテ・エルミオ・ボルジア




アレッサンドロ・ボルジア




アンジェラ・カテリーナ・ボルジア




ステファノ・ボルジア






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