チェーザレ・ボルジアと、その周辺のさまざまを紹介するサイトです。

ドッツァ

ドッツァ Dozza

ドッツァ

鉄道が通っていないので、車利用になる。
バスで、イモラから約50分。乗り換えが1回はある。

自転車で、イモラから約40分。
(エミーリア街道沿いは、自転車専用道路があり快適に走れる。が、カランコ通り(Via Calanco)に左折すると道は細くなりすごい急坂になるので、けっこうつらい。)

ボローニャから、バス約1時間半。乗り換えが1回はある。



イタリア観光省と全国市町村協会(ANCI)が後援する団体「イタリアで最も美しい村協会(I Borghi più belli d’Italia)」が認定する村のひとつ。
また、「イタリア旅行クラブ(Touring Club Italiano)」による認定「オレンジフラッグ(Bandiere Arancioni)(歴史的景観・サーヴィス・環境保全などが審査対象)も受けている。観光地としてのレヴェルが高い街。
観光の中心である旧市街(Borgo Medievale di Dozza)は城壁に囲まれ、テーマパークのようになっている。

2003年に設立されたドッツァ芸術都市財団(Fondazione Dozza Città d’Arte)が、街の観光振興の向上を担っていて、とても頑張っているよう。

  • 2年に1度開催される壁画のコンテスト(Biennale d’Arte Contemporanea del Muro Dipinto)
    ドッツァでは1960年代から有名画家を招き、建物の外壁を彩ってきた伝統があり、街全体が野外美術館のような状態である。
  • ファンタスティカ(FANTASTIKA)
    2014年から、2年に1度開催されているファンタジーアートの祭典。
    2017年に城塞の主塔に設置された、巨大ドラゴン(名前はフィルスタン Fyrstan)のインスタレーションがシンボル。これはドッツァに伝わるドラゴン伝説が基になっている。
  • トールキン研究協会(La Tana del Drago)
    ドラゴン繋がりで、トールキン(「指輪物語」「ホビット」の作者)の研究協会を設立。
    AIST(イタリア・トールキン研究協会(Associazione Italiana Studi Tolkieniani)の本拠地となっている。

これらが、ドッツァを「中世ファンタジー・アートの街」として、位置付けている。
また、

  • 記念建造物であり博物館、展示会場でもある城塞
    城塞はスフォルツァからマルヴェッツィ(Malvezzi)、カンペッジ(Campeggi)、マラヴォルタ(Malavolta)家の歴史博物館であり、ファンタジーアートの展示会場にも使用されている。
  • エミリア・ロマーニャ州ワインセラー(Enoteca Regionale Emilia Romagna)
    城塞の地下にあり、サンジョベーゼを始めとする地元産のワインが人気を博している。

つまり、
「中世の城塞都市 × アート× ファンタジー × 食」という複合的な観光戦略がうまく機能し、街おこしに成功している。


ドッツァとその周辺は、ローマ時代には農村地帯として利用されていたと考えられている。よって、正式な市としての誕生時期は定かではない。
10〜11世紀頃、集落が形成され、防衛のための小さな砦が存在していた。
ドッツァ Dozza」の語源は「水の落ち口・水路 doccia」に由来し、丘の中腹に給水設備があったことに関係するとされる。

11〜13世紀頃、ボローニャ司教領 の支配下に入る。
12〜13世紀頃、周囲のボローニャ、イモラ、ラヴェンナなどがロマーニャの有力者たちの争いの舞台となり、ドッツァも影響を受ける。城塞の原型が築かれ、防衛集落として重要性が高まる。

14世紀後半〜15世紀、ドッツァの支配者は何度も変転する。
1412年、カステル・デル・リオ(Castel del Rio)のアリドージ(Alidosi)家の封土となる。
がアドリージ家はすぐにリアーリオ(Riario)家へ譲渡した。
1494年から1499年までの5年間、ジローラモ・リアーリオ(Girolamo Riario)亡き後、妻カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforza)はこの封土を保持した。

カテリーナにより、街の防備はより強化される。城塞も再整備され、砲術に対応するための改修が行われた、街を取り囲む防衛壁が作られた。

1500年、チェーザレの支配下に入る。
イモラが開城した時、近辺のバニャーノやトッシニャーノなど、小規模城塞は次々と降伏した。しかしドッツァだけは例外で、カテリーナ・スフォルツァを支持し抵抗した。
しかし、チェーザレの圧倒的戦力に敵うわけはなく、すぐに鎮圧され、他のスフォルツァ支配下の諸都市に倣うことになった。

チェーザレの没落後、教皇庁領ロマーニャの再編で教皇領の地方拠点 となり、城塞は行政・司法の中心となる。
街は最初に、ボローニャのマルヴェッツィ家(Malvezzi)、
後に、ミラノ生まれの枢機卿ロレンツォ・カンペッジ(Lorenzo Campeggi)、
に与えられた。
彼は城塞を貴族の館風に改装した。
大広間にはマルヴェッツィ家やカンペッジ家の肖像画や、一族の紋章を描いたタペストリーが残っている。

1728年、後継の断絶により、領主はマルヴェッツィ・カンペッジ家(MalvezziCampeggi)となる。

1798年、ナポレオン時代に封建領は廃止されたが、城は1960年まで一家の手中にとどまった。

1859年、ドッツァ市はボローニャの管轄区へと編入される。

20世紀、上記のような壁画祭(Muro Dipinto)が始まり、著名画家が街中に壁画を描く芸術実験がスタート。
ドッツァは野外美術館の村として、イタリア国内で知られるようになる。

21世紀、歴史観光とファンタジー文化を融合させ、ドラゴンの眠る中世の街として人気を博している。




  • ドッツァ城塞 - ロッカ・スフォルツェスカとも
  • 中世の村 - 出入口の門
  • 聖母マリア被昇天教会 -
  • トルーキン研究センター -
  • ミモザ公園 - 地図の➖を2回クリックすると東の方に出てきます。


ドッツァ城塞(Rocca di Dozza)

スフォルツァ城塞(Rocca Sforzesca)と呼ばれることもあるよう。
※ イモラ、フォルリ周辺にはスフォルツァの所有だった城塞が多く、同じ名前で呼ばれている城塞が複数あるので、混同に注意。
イモラの城塞スフォルツァ城塞だし。

13世紀半頃、教皇派の街ボローニャから追放された皇帝派の人々が、拠点とすべく築いたのではないか、と推測されている城塞。
よって、初めは領地を守るための砦(要塞)であった。

やがて防備を備えた邸宅(城塞)へと改築され、その後は領主の邸宅として使用できるように改築された。この増改築は4段階に区別されている。

  • 増改築の4段階
    (右の対応図は、全て地上階部分の図。)
ドッツァ、城塞

中世(1300–1480)
全体はほぼ四角形で、方形の張り出し部分(塔?)が3ヵ所設けられていた。現在の主塔にあたる部分も主塔としての役割を担ってはいたが、方形だった。
入口は現在の場所ではなく主塔の北側にあり、跳ね橋から中庭に至るようになっていた。
城壁上部には、監視と防御、攻撃のための歩廊(cammino di ronda)があった。
当時は地上2階建てだった。


ドッツァ、城塞

ルネサンス期(1480–1554)
リアーリオスフォルツァ家の下で、強化される。
火器の使用に対抗するため、張り出し部分(塔?)が円形に改められ、城壁は高くされ、堀が作られた。
防御のための多角形の前方構築物(avancorpo)(稜堡的なもの)も作られた。
入口は現在の位置へずらされ、跳ね橋と固定橋からなる二重構造が設けられた。
主塔には、2つの出入口があり、跳ね橋を通じて外から直接に出入りすることができた。
1554年頃まで、塔と歩廊には現在見られるような屋根はなかった。
チェーザレ支配下にあった時の城塞は、このかたち。
つまり、現在の城塞に残っているチェーザレ時代のものは、2つの塔と城壁、堀。
中庭や内部の部屋など見どころは多く、ルネサンス時代のものもあるが、ほとんど全部チェーザレ以降のもの。残念。


ドッツァ、城塞

後期ルネサンス期(1565–1594)
1565年、城塞を領主の居館として整えるための本質的改造が始められる。
カンペッジ伯(Conti Campeggi)により、1階と2階は大幅に改築され、現在見られる吹き抜けの中庭と柱廊、玄関通路、階段が形成された。
2階は居住空間として使われるだけでなく、儀礼の場ともなった。
一方、主塔は単なる防衛の砦という性格を失い、2階部分は居住空間に転用され、1階と地下は牢獄として利用された。


ドッツァ、城塞

18世紀(1795)
カンペッジ家とマルヴェッツィ家という2つの家系の興亡にともない、さらなる改造と拡張が加えられる。
17世紀、トンマーゾ・カンペッジは2階の大広間を拡張している。
1795年の詳細な記述によると、この時点で城塞はすでに現在見られる姿とほぼ同じになっていたよう。



城塞正面(東)から。
ドッツァ、城塞


城塞裏(西)から。
ドッツァ、城塞


現在は、地上3階、地下1階から成っている。
ほとんどの場所が公開されていて、内部の解説も充実している。

  • 1階
ドッツァ、城塞

前庭から跳ね橋を見たところ。↓ドッツァ、城塞

↓ 柱廊のある中庭。
ドッツァ、城塞

↓ キッチンとパントリー。
ドッツァ、城塞


  • 2階
ドッツァ、城塞

武器の間。 ↓ドッツァ、城塞

① ロレンツォ伯の部屋
ドッツァ、城塞
ロレンツォは、1529 年、教皇クレメンス7世からドッツァ伯領を封土された、カンペッジ家の最初の封建領主。

② 主塔の間
ドッツァ、城塞
装飾は16世紀初頭から17世紀末にかけての、カンペッジ家によるもので、寝室として利用されていた部屋。
だが、1300年代に作られた最初の砦時代から、存在していた部屋。外から見た塔は円形であるのに、中の部屋は方形であることから、最初に作られた方形の塔を円塔に改造したことがわかる。
カーテンの奥部分や窓の開口部は、分厚いルネサンス期の壁体を削って造り出されたもの。

③ 大広間
ドッツァ、城塞


  • 3階
ドッツァ、城塞

展示室。↓
ドッツァ、城塞

← 小塔。 主塔側から見た歩廊。 →
ドッツァ、城塞 ドッツァ、城塞
小塔は、「ボローニャ人の塔(Torrione dei Bolognesi)」とも呼ばれる。これは単にボローニャの方向を向いているから。
1494年、カテリーナ・スフォルツァにより城塞の防御力を強化するために建てられた。

カテリーナはさらに、深い堀を作り、城壁をより高くし、火器に対抗するために主塔を円形へ作り変えた。
(上記の増改築の4段階「ルネサンス期(1480–1554)」参照。)
この改築を手がけたのは、フォルリのラヴァルディーノ城塞改築したのジョルジョ・マルケージ。彼はイモラ、ペーザロ、バニャーラの城塞建築にも関わっている。どうりで全部似ている。

塔も歩廊も、当時は屋根がなかった。
下部にある円形の開口部は、火縄銃用の銃眼(archibugiere)。
床面には城壁下に到達した敵を攻撃するための投下孔(Piombatoia)があった。
(現在は埋められているが、残っている。↓ の写真に見える。)
ドッツァ、城塞
右の出入口は、2階への階段。
左の出入口は、主塔へ続く歩廊。

1499年、イモラが開城し、近辺の小さな城塞も次々に降伏する。
しかし、城代ガブリエーレ・ディ・ピカ・ドリオーロ(Gabriele di Pica d'Oriolo)が守るドッツァだけは、カテリーナ・スフォルツァを支持し、抵抗した。
フランス軍を従えたチェーザレに対抗できるわけがなく、あっという間に制圧されてしまうが、唯々諾々と服さなかったドッツァ、かっこいい。



← 主塔への入口。 主塔に眠るドラゴン「フィルスタン」。→
ドッツァ、城塞 ドッツァ、城塞


  • 4階
ドッツァ、城塞

↓ 主塔。ドッツァ、城塞
右側にあるのが、塔のもともとの部分。
リアーリオスフォルツァからチェーザレの時代、内部は武器庫として使われていた。

ドッツァ、城塞

武器庫の上は台所だった。かまどの跡が残っている。 
しかしここが台所であった記録は1554年のもので、チェーザレ時代にはどうだったのかは、はっきりしていない。

↓ 主塔から見える小塔と中庭。
ドッツァ、城塞


  • 地下階
ドッツァ、城塞

↓ 堀と貯水槽。
ドッツァ、城塞

ドッツァ、城塞

→ 主塔の地下牢獄。
と呼ばれているが、牢獄として使われていたのは16世紀後半から18世紀まで。
チェーザレの時代には、戦闘の際の主塔として重要な防衛塔だった。
当時は地下1階地上2階で、内部の階段で行き来でき、長期の包囲戦の際に避難できるよう、貯水槽もあった。

ヴォールトのある方形の部屋が、もともとの塔のかたち。そこから窓までの厚みが、カテリーナ・スフォルツァが付け加えたところ。

城塞裏(南西)の広場。
城壁はチェーザレ時代のものなので、眺めながらベンチでまったりするのに良い。
ドッツァ、城塞

  • 開館時間
    10月27日〜3月29日
    月曜~金曜
    10:00–13:00 / 14:00–17:00
    土曜
    10:00–13:00 / 14:00–18:00
    日祝日
    10:00–18:00

3月30日〜10月25日
月曜~土曜
10:00–13:00 / 14:00–19:00
日祝日
10:00–19:00

休館日
12月24日の午後、12月25日、12月31日、1月1日の午前

  • 入場料
    7.5ユーロ




ワインショップ(Enoteca Regionale Emilia Romagna)

ドッツァ、城塞内のワインショップ

城塞地下にあるエミリア・ロマーニャ地方のワインを扱うショップ。1000以上の銘柄が揃えられている。
入口は城塞チケット売場の先にあるが、ここへの入場は無料。
12ユーロで3種類のワインを試飲できるよう。(2025年現在)
ワインの価格は、1本10〜20ユーロほどがメイン。




中世の村(Borgo Medievale di Dozza)

城壁で囲まれた、ドッツァの歴史観光地区。近年は壁画の街としても名を馳せている。

↓ 村への入口の門。城壁の前堡(Rivellino 城壁を守る防御施設)につながっている。
この前堡は15世紀のもので、門の奥に見える小要塞(Rocchetta)は13世紀のもの。どちらもチェーザレの時代には存在していた。
ドッツァ、中世の村

画像の説明

← ゾッティ広場(piazza Zotti)前の通り。
鐘楼は聖母マリア被昇天教会のもの。

時計の掲げられた門は18世紀のもので、アルフォンソ・フラスネディ(Alfonso Frasnedi)による「雲と虹のある風景 Paesaggio con nuvole e arcobaleno」(2000年)が描かれている。

その右側に少しみえているのは、カリン・アンダーソン(Karin Anderson)の「フランツ、新しい市民 Franz, a new citizen」(2011年)。

画像の説明 画像の説明



聖母マリア被昇天教区教会(Chiesa dell'Assunzione di Maria Vergine)

聖マリア被昇天首席司祭教会(Chiesa prepositurale dell’Assunzione di Maria Vergine)
聖マリア被昇天イン・ピシーナ首席司祭教会(Chiesa prepositurale di Santa Maria Assunta in Piscina)とも。

12世紀に、古いロマネスク様式の教会の跡に建てられた教会。チェーザレの時代には存在していた。

1480年、ジローラモ・リアーリオ(Girolamo Riario)とその妻カテリーナ・スフォルツァ(Caterina Sforzaによって改築された。1490年に完成。
1939年、ポッジャーリ(Poggiali)の設計によって全面的に修復されている。

画像の説明 画像の説明

ファサードは化粧レンガ(煉瓦を露出させた仕上げ)で構成され、簡素な外観をしている。
鐘楼もレンガ造りで、14世紀にさかのぼるもの。

内部はルネサンス様式で、樽型ヴォールトに覆われた単一身廊。

マルコ・パルメッツァーノ(Marco Palmezzano)
(「シクストゥス4世甥たち」を描いたメロッツォ・ダ・フォルリ(Melozzo da Forlì)の弟子)
が1492年に描いた祭壇画「洗礼者聖ヨハネと聖マルゲリータに挟まれた聖母子」(Madonna col Bambino fra i Santi Giovanni Battista e Margherita)、
ロンゴバルド時代に属する独創的な彫刻ルネット、
16世紀の洗礼盤
などを収蔵している。




ドラゴンの巣穴 - トルーキン研究センター(La Tana del Drago - Centro Studi Tolkieniani)

ドッツァ、小要塞に隣接するトルーキン研究センター

中世の村の入口の門から見える13世紀の小要塞(Rocchetta)に隣接する建物内に入っている。

「ホビットの冒険」や「指輪物語」の作者であり、ファンタジー文学の父とされるジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンの研究センター。
イタリア・トールキン研究協会(Associazione Italiana Studi Tolkieniani)との協力により、独自の観光・文化拠点として、ドッツァの名所となっている。

ドッツァ、トルーキン研究センター ドッツァ、トルーキン研究センター

トールキン研究に関する既存資料を整理し、研究者やファンタジー文学の分野において知識を深めようとする若者たちが利用できるようになっている。
また、ファンタジーというジャンルに結びついた、ドッツァの文化遺産の価値を高める目的も掲げ、コレクション展示会や芸術的イベントの開催も行っている。

→ 公式サイト




ミモザ公園 (Parco Comunale della Mimosa)

中世の村の手前にある公園。向かいには無料のドッグランもある。
ドッツァ、ミモザ公園




ドッツァのドラゴン伝説(La Leggenda del Drago di Dozza)

ドッツァ、ドラゴンの壁画

ドッツァにはドラゴンが住んでいるという伝説がある。
この伝説が最初に記されたのは17世紀前半で、イモラ出身の司祭ニコロ・ガンベリーニ(Nicolò Gamberini)によるものである。

(したがって、チェーザレの時代にはこの伝説はまだ存在していない。存在してたらチェーザレ、興味持ちそうだったのに、残念。
しかし記述がなかっただけで、伝説自体はあったかもしれない。)

ボローニャ出身のオリヴェタノ会修道士ピエル・ロレンツォ・ガラッシ(Pier Lorenzo Galassi)、そしてフェッリ修道院院長(abate Ferri)も、この伝説に言及している。


ドッツァの竜フィルスタン

1062年頃、ドッツァの近辺ブバーノ(Bubano)で、巨大な爬虫類が目撃されるようになった。
その爬虫類は、家畜を殺して食うだけでなく、その瘴気で水源を汚染する怪物的な生き物…ドラゴンだった。
農民たちはドラゴンを恐れ、イモラの騎士カッシアーノ・オロボーニ(Cassiano Oroboni)に、討伐を依頼した。彼はかつてイモラ軍を率い、フィレンツェと戦った経歴を持つ人物であった。

カッシアーノは兵士を率い、ドラゴンの生息地であるブバーノの湿地帯に赴いた。そしてドラゴンが巣穴の薮から出てくるのを待った。
ドラゴンは、前触れもなく突然姿を現した。
巨大な爬虫類に怯えつつも、兵士たちは弩(クロスボウ)で攻撃した。が、その生き物の鱗はまるで鋼鉄であるかのように矢弾を跳ね返した。兵士たちは撤退するしかなかった。

この謎めいた生き物がどのような運命を辿ったのかは、諸説あり、はっきりとはされていない。
が、聖バジリオ(San Basilio)がエジプトから持ち帰ったとされる聖遺物「聖母の聖なるヴェール sacro velo della Vergine」の力によって竜を打ち倒した、という結末がよく知られているよう。
この聖なるヴェールは、現在イモラの教区博物館(Museo Diocesano)に保存されている。

2016年に、ドッツァ城塞の主塔にドラゴンが設置されてからは、兵に追われたドラゴンはドッツァ城内に逃れ、それ以来ここに眠っているとされている。このドラゴン、フィルスタン (Fyrstan)は2年ごとに2日間だけ目覚めるとされており、それはファンタジーアートの祭典ファンタスティカ(FANTASTIKA)の開催時である。

しかし、水を差すようなこと言うけど、ブバーノってドッツァから20キロ弱ほど離れていて、馬で飛ばしても1時間はかかる場所にある。
そんなに近くではない他所の街なのに、自分とこの伝説にしちゃって…ブバーノの人はどう思ってんだ。
ちなみに、ドッツァ市の紋章にも、ブバーノの属しているコムーネ、モルダーノ市(Mordano)の紋章にも、ドラゴン…のような生物が描かれている。が、これはどちらもグリフィンではないかと思う。変なの!

ドッツァ市の紋章 モルダーノ市の紋章 →
Wikipedia、Stemma del Comune di Dozza、Disegnatore: Massimo Ghirardi per Araldica Civica Wikipedia、Stemma del Comune di  Mordano、Disegnato da Massimo Ghirardi







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