カエターニ
カエターニ家 (Caetani)
カエターニ家はボルジア家と強く苦い因縁を持っていた。中世を通じて彼らはローマ周辺やナポリ王国の領地において封建的権力の座を保持していた。
その力は15世紀末のボルジア支配の時代にもなお続いていた。この大いに尊敬される古い一族は、ローマの宗教政治においても馴染み深い存在であった。ベネデット・カエターニはボニファティウス8世となり、1294年から1303年にかけて教皇として君臨した。しかしそれでも、アレクサンデル6世が、教皇庁に不利をもたらしてナポリ派を支持した罪で彼らの土地を没収するのを止めることはできなかった。
カエターニ家の領地は1499年11月に没収され、その後ただちにルクレツィア・ボルジアに8万ドゥカートで売却された。セルモンタ公の称号は、彼女がアルフォンソ・デステとの間にもうけた息子に与えられた。この侮辱はあからさまな縁故主義の味を帯びたものであったが、さらにひどかったのは、サンタンジェロ城での投獄中にジャコモ・カエターニが死亡したことであった。その死の状況に不審な点はなかったが、ボルジア家が関わる場合には常にそうであったように、暗殺の噂が囁かれた。カエターニ家の領地はユリウス2世の教皇在位中に回復されたが、ボルジアの刻印がすぐに忘れ去られることはなかった。
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