チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

2009-06-02-シニガリア、ペーザロ、リミニ

旅行日記 2009-06-02 シニガリア、ペーザロ、リミニ

「ドラえもん」と「小公女セーラ」で始まる朝・・・。
ちょうど起きる時間と、支度する時間に、放送されているのです・・・。
毎日見てるよ・・・。
意地悪ラビニアが好き。


さあ、今日も元気に出発です。
目指すはシニガリア!
(シニガリアは、綴りが「SENIGALLIA」なので、セニガリアが正しいのかと思いますが、惣領版「チェーザレ」の何巻か(今わかんない)の巻末コラムで「シニガリア」となっていたので、シニガリア、としました。発音は「シニガリア」に近いように聞こえます。)


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マジョーネの反乱
(チェーザレの勢いを恐れた、弱小領主である傭兵隊長たちが、マジョーネに集まって反乱をたくらんだ。けっこーいい所まで行くんだけど、統率がとれずに自滅していく。)
を起こした傭兵隊長たち4人
(ヴィテロッツォ・ヴィテッリ、オリヴェロット・ダ・フェルモ、パオロ・オルシーニ、フランチェスコ・オルシーニ
を、仲直りすると見せかけて捕縛、処刑した所です。
(2人のオルシーニの処刑は後日)

その劇的な背信が行われたのは、「ベルナルディーノ館」としているものが多数ですが、一部(中田耕ニ「ルクレツィア・ボルジア」とか・・・)では「シニガリアの城塞」となっています。
事実はどっちだ。

まあでも、ベルナルディーノ館は、いくら地図を見ても存在しないので、シニガリアの城塞へGO!


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  • ロッカ・ローヴェレスカ
    シニガリアの城塞の名前、こんなんでした。
    開いてます、入れます。
    よかった〜。
    (イモラ以来、入れないかもという恐怖感が・・・)

パンフの説明を読んだら・・・・・・
ここ、デッラ・ローヴェレ家の城塞じゃん!!!!

ローヴェレスカ、ってそういうことか、ローヴェレ家の、ってことだ。
知らんかった、まじで〜
シニガリアの城塞.jpg
チェーザレゆかりっつーより、ローヴェレゆかりの方が、地元の認識のよう。ふん。

シクストゥス4世(ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(教皇ユリウス2世)の伯父)が教皇となった時、甥のジョヴァンニをシニガリアの領主にした、ということのようです。
このジョヴァンニは、ジュリアーノの弟です。
へ〜え。

反乱を起こされ窮地に立っていたチェーザレが、弟の所有だった城塞で、すべてをひっくり返したとあっては、ジュリアーノ、くやしかったろうね〜!!
くふふふふふ。
笑いがでるね!


中はイモラの城塞(ロッカ・スフォルツェスカ)よりも、見られる所(入れる所)が多かったように思います。
しかし、イモラにはあったブックショップのようなものがないです。
写真集とか欲しいのに〜。
(でも、シーズンオフだから置いてないだけかも。
いろんな所で感じたことだけど、観光客がまだ少ないから、街全体のやる気が低い気がします。ハイシーズンの旅行は高くつくけど、それなりのメリットはありそうです。)


城塞の前の広場が「公爵広場 PIAZZA DI DUCA」となっていて、
「公爵!?ヴァレンティーノ!?チェーザレ!?」
と期待したのに、違いました。
ウルビーノ公爵フランチェスコ・マリーアのようです。
ちっ。
(フランチェスコ・マリーアは、上記のジョヴァンニの息子で、ウルビーノ公グイドバルド・モンテフェルトロの養子となります。)


城塞と同じ敷地内に、古い3階建ての家があって、
「もしかしてここが、ベルナルディーノ館じゃないの??」
と思って、ドキドキしましたが、裏に周ってみると、観光案内所となっていました。・・・・・・。


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シニガリアに入る時に、チェーザレ軍が通ったとされるミーザ河を見て、シニガリア終了。
なぜか、小さい子どもたちの多い街でした。ベビーカーだらけ。
イモラとフェラーラは自転車だらけだったけど。


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思ったより早く見終わって、12時27分の電車でペーザロへ。
そうしたら!
この電車、特急?だったらしく(2駅先のペーザロに停まるのに)、検札に来た車掌さんに、追加で13.50ユーロも払わされた!

ショック〜。

普通に行けば、2.50ユーロの所ですよ。
それに16ユーロも払った私・・・。
あーあ。

同じ席に座ってた女性3人(家族っぽかった。娘、母、祖母)が、
「いいじゃない、私たちの予約の席、ひとつ開いてたんだし、私たちは全然かまわないわ。彼女、外国人でしょ、知らなかったのよ」
みたいなことを、すっごい言ってくれてたけど、車掌はオニでした。


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ペーザロ。
ルクレツィアの最初の結婚相手、ジョヴァンニ・スフォルツァの所領地です。
シャルル8世がイタリアに侵攻してきた時、ルクレツィアはアドリアーナ・ミラ、ジュリア・ファルネーゼとともに、ここに避難してきました。


  • ドゥカーレ宮殿
    ドゥカーレというくらいだから、ここがジョヴァンニの居城でもあったのかと思ったら、時代が新しすぎました。
    しかも見学などはできないようです。守衛?が
    「エヴリタイム、ノー、ソーリー」
    と言っていました。


  • ロッカ・コンスタンツァ
    ここが、ルクレツィアたちが滞在したところです。
    ペーザロを所有した時、チェーザレも来ています。
    レオナルド・ダ・ヴィンチも、図書館を訪問したとか・・・。
    ロッカ・コンスタンツァ.jpg
    斜めから見た城塞。
    正面は木が茂っていて見にくいのです・・・。

ここ、すんごい変なところでした!
チケット売り場とか、ないんです。
で、工事中みたいな柵とか網がいっぱいあるんです。
修復中?と思ったんだけど、橋を渡って、中庭に普通に入れます。
で、建物の入り口ドアが開いている。
ロッカ・コンスタンツァ入り口.jpg
怪しい入り口。汚い。咳こみそう。

なのに、誰もいない。
ドアの前にユニセフの募金のパンフや資料類の机があるけど、無人。

入っていいの・・・?

が、足元もすごく不安定な、すのこみたいなので、できている。工事の途中みたいにしか見えない。
砂ぼこりで真っ黒だし。

しかし!
開いてんだもん、入るさ!
不安定なすのこ、踏み抜きそうだけど、ヨーロッパ人用すのこだ、私の体重ならOKっしょ!

どうせ途中で行き止まりだと思っていたら。
どんどん奥まで入れます。
でも誰もいない。
ほこりだらけ。
なのに、新進芸術家の絵?みたいのが展示してある!!
なんなの、ここ〜!?
内部展示.jpg
他にも何部屋かに展示物が。
絵だけでなく、陶器とかもあった。それらは博物館の品のようだった。

すごく謎だったけど、行けるところは全部歩いてみました。写真もいっぱい撮りました。
変なの。超不思議。
ロッカ・コンスタンツァ内部.jpg
暗くて足元悪くて、廃墟のよう。

いきなり深い穴があったりする。一応金網はあるけど・・・
コンスタンツァ.jpg


外に出たら、ユニセフ募金のおばちゃんがいたけど、特になーんにも言われなかった。
私の後から入ってきてた、2人組の男性にはなんか言ってたけど、文句や注意のようではなかった。
????
やる気ないだけ?
でも無料なん?


ルクレツィアのペーザロ滞在中、
「神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世のために立てられた館」
で避暑した、らしいんだけど、ペーザロの地図を探すと、Villa Imperialeというのがある。

ここじゃないの!?
観光案内所に行ってみると、なんと!!

明日から、その皇帝館へのツアーが催されるではないですか!
すごい!
案内所の人に、
「これって、フリードリヒ3世の家?」
と聞いてみると、なんかよくわかんなかったけど、ドイツの皇帝の家ってことは間違いないよう。じゃあ、コレやん!
やった〜!!


明日は早朝、ウルビーノへ行き、大急ぎでペーザロへ戻って、16時からこのツアーに行ってきます!
バス停ルクレツィア.jpg
ウルビーノ行きのバスの時間を見てたら、バス停の名に「ルクレツィア」が!
ペーザロ〜フォッソンブローネの間にありました。
フォッソンブローネは、ホアン(シレンツィオ)・ボルジアが亡くなった所。なんか関係あるのかしら??
(ないと思う。)(意外と冷静。)

気分よく、14世紀建立の教会を見に行こうとする。
かなり路地を入っていく。人が・・・いない。
前に、ヘヴィメタみたいな格好の男が現れる。
私に気づいて、何度も後ろをふり返って見てる。
周りに誰か・・・人っ子ひとり、いない!

ここここ、怖い!

被害妄想かもしんないけど、突然すごく不安になって、Uターンしちゃった。
教会・・・見たかったけど。メインのドゥオーモ見たから、もういいや。
ペーザロのドゥオーモ.jpg
ルクレツィアの時代にはもうあった、ペーザロのドゥオーモ
ここに通ってたかもね!


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16時42分の電車でリミニへ戻る。
むちゃくちゃ込んでた。ヴァカンスなのか、みんなでかいスーツケースを持ってる。だからよけい込む。
リミニから乗る人がまた多くて、私が降りてから大変なことになってそうだった。

移動中、この旅ではじめて、i pod で音聴いた。
(普段から、あまり外で音を聴く習慣がないのです。)
1曲目のGreeeenの「キセキ」で、なぜかなんでか、泣きそうになった。
なんでだろ??
弱ってる??
(でも私はもともと、音楽や映画や本では、すぐ感動して泣く方です。絵画系には鈍いけど。「最後の晩餐」とかさ・・・)
アドリア海.jpg
アドリア海。ペーザロ街中から、すぐです。
チェーザレはここからチェゼーナに運河を建設しようと、ダ・ヴィンチに設計を依頼していました。


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時間があったので、リミニの市民博物館へ。

  • 市民博物館
    ローマ時代の遺跡から、17世紀の絵画まで展示されています。
    閉館間近だったので、15世紀周辺の絵画のみ、鑑賞。
    そうしたら、ここにもマラテスタ家ゆかりのものが、たくさん置いてありました。

係員のお兄さんが、すごく親切で、しかも英語が達者で(達者すぎて難しかった・・・。カタコトの人の方がゆっくり、簡単に話してくれるんでわかりやすい。)、マラテスタのことをいろいろ教えてくれました。
スタッフオンリーの部屋のパソコンまで開いてくれて。
「ファノにもマラテスタの城塞がたくさんあるんだ。ほら、これを見て、これも、これも。この城塞はドメニコ・マラテスタ所有で・・・(延々とつづく)」

熱いぜ、兄さん!
無料のパンフレットも8冊くれた・・・。
合わせると5センチくらいの厚さなんだけど・・・。
こんなにマラテスタ通になって、どうすんだ!!
チェゼーナのマラテスタ図書館のおじいちゃんといい、マラテスタ家ゆかりの所で働く人々は、マラテスタ好き?

こういう感じの、ボルジア家好きの人に会いたいよ!!


明日はいつもより早起きせんとね!
ウルビーノ&皇帝館、欲張っていくぜ。

今日歩いた歩数:22391歩







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