チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

リアーリオ

リアーリオ家 (Riario)

サヴォーナ地方出身の一族。
パオロ・リアーリオがシクストゥス4世の妹ビアンカと結婚したことによって、枢機卿や領主を多く輩出し繁栄する。


ラファエーレ・リアーリオ(Raffaele Riario)

(1461年5月3日 - 1521年7月9日)
サヴォーナ生まれ。アントニオ・サンソーニとヴィオランテ・リアーリオの息子。
シクストゥス4世は母ヴィオランテの伯父であり、ラファエーレにとっては大伯父。
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(ユリウス2世)は母ヴィオランテの叔父の息子にあたり、ラファエーレにとってはいとこおじという続柄になる。

ピサ大学で学ぶ。
シクストゥス4世のネポティズモ(親族登用主義)の恩恵に授かり、16歳で枢機卿に。ピサをはじめとする、多くの教区を手にする。

1478年、パッツィ家の陰謀に巻きこまれ、メディチ派のフィレンツェ市民に捕らえられるが、数週間後には釈放される。

1492年、インノケンチウス8世死後のコンクラーヴェで、カメルレンゴを務め、ロドリーゴ・ボルジアに1票を投じる。協力の褒賞としてスペイン、カルタヘナの司教区を手にしている。
アレクサンデル6世の下で、外交官、評議員として勤め、ユリウス2世の時代となっても、オスティア、ヴェレトリの司教区を手にし、出世を続けている。

1517年シエナの枢機卿アルフォンソ・ペトゥルッチらによるレオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)暗殺計画に巻きこまれる。
5月29日、陰謀の一味として捕らえられカステル・サンタンジェロに投獄される。
枢機卿会議によって、彼の地位や役職は全て剥奪されることに決定されるが、7月17日、彼は教皇に直訴、30万ドゥカーティの支払いとリアーリオ邸を明け渡すことによって、枢機卿の地位を死守する。
レオ10世は彼を抱き寄せて和解したという。
実際、ラファエーレは、この陰謀を知ってはいたが関与はしていなかったよう。
ちなみにこの事件の裁判員3人のうちの1人は、チェーザレの家庭教師であったフランチェスコ・レモリーネスであった。

60歳の時にナポリで死去。
芸術(特に彫刻)の愛好家であり、ミケランジェロの才能をいち早く認め、ローマにルネッサンスをもたらした立役者のひとりでもあった。


ジローラモ・リアーリオ(Girolamo Riario )

(1443〜1488)


ピエトロ・リアーリオ(Pietro Riario)

(1445〜1474)
サヴォーナ生まれ。パオロ・リアーリオとシクストゥス4世の妹ビアンカ・デッラ・ローヴェレの息子。
1471年、シクストゥスのネポティズモにより、枢機卿に。外国政策を受け持つ。






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