チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

ボーモン

ボーモン家 (Beaumont)

ボーモンの名はフランス、ノルマンディー地方ボーモン・ル・ロジェに由来する。
初代ボーモン・ル・ロジェの伯爵はエヴルー伯ルイ・デヴルーであった。
14世紀末、彼が兄のナヴァーラ王の側近としてスペインに渡ってから、ナヴァーラ系ボーモンとなった。

15、16世紀のナヴァーラ王国の歴史に深く関わる。特に1441年から始まるアラゴン王ファン(ホアン)2世とその息子ヴィアナ公カルロスとの王位継承権争いには、ボーモンテセスと呼ばれる一大軍事派閥を率いてヴィアナ公を支持した。

1464年、ボーモン家はアラゴン王ファン2世と和解し、スペイン支持の立場を固めていく。次代のスペイン王フェルナンド2世を後ろ盾とし、フランスの同盟国であるナヴァーラ王国と敵対する。
この抗争が、後にチェーザレの戦死するヴィアナでの戦いにつながっている




ルイ・ド・ボーモン(Luis III de Beaumont)

(1450年 - 1508年11月16日)
4代目ボーモン伯(IV conde de Beaumont)で、2代目レリン伯(II conde de Lerín)で、初代ウェスカル侯爵(I marqués de Huéscar)。
ルイ2世・ド・ボーモン(1412年 - 1464年)とファナ(ジャンヌ)・ド・ナヴァーラ(1386年 - 1413年)の息子。

1441年から始まったファン2世とヴィアナ公カルロスの継承権争いは、ナヴァーラ貴族をも巻きこむ抗争へとつながってゆくが、ボーモンテセス(Beaumonteses)と呼ばれる一大派閥を率いるボーモン家は、カルロス側を支持する。
しかしルイ・ド・ボーモンは1464年、14歳で父の跡を継ぐと、すぐにファン2世と和解し同盟する。
1468年、ルイはファン2世の庶出の娘レオノーラ(Leonor de Aragón)と結婚。確固としたスペイン王家支持派となり、フランスと同盟したナヴァーラ王国と敵対する。
1494年、ナヴァーラ王ジャン・ダルブレは、ボーモン家とその係累すべての財産を没収する旨を宣言し、紛争が始まる。
1500年、和平交渉が行われ、ボーモン家はそれまでの財産の所有を認められる。

1507年、再びナヴァーラ王との諍いが生じる。ルイ・ド・ボーモンは、スペイン王フェルナンド2世を後ろ盾としてナヴァーラ王国に侵攻する。
ナヴァーラ王ジャン・ダルブレは、ナヴァーラに亡命中であった義弟チェーザレ・ボルジアを軍の総司令官に任命し、ヴィアナの戦線をゆだねる。
同年3月11日深夜、嵐の中でボーモンの軍はチェーザレ率いるナヴァーラ軍と激突する。
12日未明、チェーザレを孤立させたボーモンの3人の部下(ガルシア・デ・アグレダ(Garcés de Ágreda)、ペドロ・デ・アーロ(Pedro de Allo)、もう1人は不明)は、チェーザレを死に至らしめた。
しかし同年、ルイ・ド・ボーモンはジャン・ダルブレに撃退され、ナヴァーラから放逐された。

翌年1508年10月、ルイは自領レリンをナヴァーラ王ジャン・ダルブレに奪われ、アラゴンに逃走。11月死去した。
アラゴン州、ヴェルエラの修道院(monasterio de Veruela)に埋葬された。




ルイ・デヴルー(Luis I de Evreux)

(1341年 - 1376年)
初代ボーモン伯。
ナヴァーラ女王ファナ2世(1311年 - 1349年)とフェリペ3世(フィリップ・デヴルー)の3男。フランス、ノルマンディー地方ボーモン・ル・ロジェ(Beaumont-le-Roger)の伯爵だった。
しかしこの地方は1378年にフランス王シャルル5世により奪取され、ルイ・デヴルーはナヴァーラ王を継承していた兄カルロス2世を頼り、スペインに居を移す。主に軍事面でのサポーターとして、ルイ・デヴルーはカルロス2世に重用された。




ボーモン家(Casa de Beaumont)

ルイ・デヴルー
(Luis I de Evreux)
1341-1376初代ボーモン・ル・ロジェ・ナヴァーラ系伯爵
カルロス1世・ド・ボーモン
(Carlos I de Beaumont)
1361-14322代目ボーモン
ルイ2世・ド・ボーモン
(Luis II de Beaumont)
?-14643代目ボーモン伯、初代レリン伯
ルイ3世・ド・ボーモン
(Luis III de Beaumont)
1450-15084代目ボーモン伯、2代目レリン伯、初代ウェスカル侯爵
1507年、チェーザレと交戦。
ルイ4世・ド・ボーモン
(Luis IV de Beaumont)
?-15305代目ボーモン伯、3代目レリン伯、2代目ウェスカル侯爵、初代ファルセス侯爵
ルイ5世・ド・ボーモン
(Luis V de Beaumont)
?-15656代目ボーモン伯、4代目レリン伯、初代ウェスカル公爵、
2代目ファルセス侯爵
ブリアンダ・ド・ボーモン
(Brianda de Beaumont)
1530-15807代目ボーモン伯、5代目レリン伯、2代目ウェスカル公爵、3代目ファルセス侯爵
アントニオ・アルヴァレス・ド・トレド・イ・ド・ボーモン
(Antonio Álvarez de Toledo y de Beaumont)
1568-16398代目ボーモン伯、6代目レリン伯、3代目ウェスカル公爵、5代目アルバ・デ・トルメス公爵






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