チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

チェゼーナCesena

チェゼーナ Cesena

チェゼーナ駅

鉄道で、ボローニャから1時間前後。
(ボローニャまで、
ミラノから約1時間20分〜1時間50分。
フィレンツェから約1時間。
ローマから約2時間半。)

駅から街の中心であるリベルタ広場まで、徒歩で15分ほど。
駅前にはバス停があります。
「citta centorale 市街地」に行きたいと言えば、リベルタ広場まで行くバスを教えてくれるはずです。
(バスの運転手さんには、ほとんど英語は通じませんでした。簡単なイタリア語を覚えて行った方がいいと思います。)
街は小さく徒歩でまわれますが、城塞までの道などは、かなり丘になっています。

14世紀後半から15世紀後半まで、マラテスタ家の支配下にあった街。マラテスタ図書館や城塞は、その頃に建築された。
1465年、マラテスタ・ノヴェッロが死去すると、街は教皇の直轄地となるが、小領主たちの勢力争いは続いていた。
1500年、チェーザレの情報操作に乗せられた領主たちは、主権を放棄、チェーザレを統治者として受け入れる。
1502年、チェーザレはレオナルド・ダ・ヴィンチにこの街のインフラ整備を依頼する。
彼らはポルト・チェゼナティコとチェゼーナを結ぶ、運河の建設などを計画していた。
イモラを新首都と定めるまで、チェーザレの公国の首都的役割を担っていた地。
1502年7月、フェラーラへ向かうルクレツィアも、ここに滞在している。レミーロ・デ・ロルカが迎えた。


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  • 大聖堂 -
  • マラテスタ図書館 -
  • ポポロ広場 -
  • マラテスタの城塞 -
  • -

※写真にマウスを置くと、多少の説明が出ます。

大聖堂(Cattedrale di San Giovanni Battista)

教会ファサード。 教会裏手、リベルタ広場側から。
14〜15世紀にかけて建築された教会。
ファサードはロマネスク様式、内部はゴシック様式。鐘楼は後につけ加えられた。
建設当時とほとんど変わらぬ姿で存在している。




マラテスタ図書館(Biblioteca Malatestiana)

改修中の図書館外観。 マラテスタ図書室。円柱が10本ずつ2列に並んでいる。

※ ↑ クリックすると拡大します。

1452年、チェゼーナの支配者であったドメニコ・マラテスタ・ノヴェッロによって建築された図書館。
9世紀から15世紀の、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語で書かれた340の写本を所蔵している。

右上の写真の机の中。 図書室内の壁の落書き。1470年のものとわかる。
図書館内部は、建築当時そのままの状態で保存されている。
壁の落書きも、当時のもの。

1494年の写本

建物内には、ケースに収められた写本や、聖職者の衣装、チェゼーナとマラテスタ家の歴史資料などが展示されている。

  • 開館時間
    月曜 - 土曜=9:00 - 18:45
    日曜・祝日=9:00 - 12:45

閉館
12月25日、1月1日




ポポロ広場(Piazza del Popolo)

広場中央から、ツェッフィリーノ通り(Via Zaffirino)側を見たアングル。 細長く、広い広場です。市場が開かれたりしているよう。

1500年のクリスマスを、チェーザレが兵士や民衆とともに、楽しく過ごした広場。
チェーザレの気さくで、分け隔てのない態度は、チェゼーナの人々に感銘を与え、彼は絶大な人気を博した、らしい。

その約2年後の12月26日、チェーザレの腹心の1人であったレミーロ・デ・ロルカの、惨殺死体が、この広場に飾られる。
彼の処刑の理由は、
マジョーネの反乱」の手引きを行っていた、
ルクレツィアをフェラーラに送る際に不祥事を起こした、
などと噂されるが、マキァヴェッリは「君主論」にて、独自の見解を述べている。
すなわち、
「荒廃しきっていたロマーニャ地方を取り締まり、当地に秩序を回復するには、レミーロ・デ・ロルカのような、厳格で残酷な人物の力が必要であった。
しかし秩序と平和がもたらされた時、それまでの圧制は、チェーザレによるものではなく、配下のロルカの性格によるものであったということを、民衆に知らしめる必要があった。
かくしてロルカは処刑され、民衆は戦慄しながらも、満足を覚えた。」




マラテスタの城塞(Rocca Malatestiana)

ポポロ広場から、城塞へ向かう入り口。 城塞入り口。
ポポロ広場から、城塞へ続くトンネル(左上の写真)を通って、ノヴェッロ・マラテスタ通り(Via Novello Malatesta)の勾配を上って行くと城塞の入り口(右上の写真)へ着く。

城塞入り口を入ったところ。

城塞の建つ丘は、地形的に街を守る軍備の要であり、ローマ時代から城塞が作られていた。
1000年頃、サヴィオ河(城塞の西側を南北に走る河)の氾濫による土砂崩れで、古い時代の城塞は破壊されてしまう。が、やがて同じ場所に再建される。
フリードリッヒ1世(バルバロッサ)が滞在していたため、その城塞(Rocca Vecchia)は「Imperatore」(皇帝の意味)とも呼ばれていた。

1357年、チェゼーナは、その地を教皇領に組み込もうとするスペイン人枢機卿アルボルノスの軍に攻撃される。
この時勇敢に立ち向かった、フォルリの支配者フランチェスコ2世・オルデラフィの妻、チーア・オルデラフィにちなんで、城塞入り口前の通りは「Via Cia degli Ordelaffi」と、彼女の名が冠されている。

1377年、再び教皇軍はチェゼーナを攻撃する。
枢機卿ロベルト・ダ・ジネーブラ(後の対立教皇クレメンス7世)率いるブレトーニの軍(フランス、ブルターニュ地方の人々から成る軍)は、城塞だけでなく、チェゼーナの街に火を放ち、略奪。城は破壊されてしまう。(ブレトーニの略奪(Sacco dei Brettoni)。)

1380年、新領主となったガレオット・マラテスタは、新たな城塞の建築に着手する。
工事は、続く領主、アンドレア・マラテスタ、カルロ・マラテスタ、ドメニコ・マラテスタ・ノヴェッロと受け継がれる。が、1465年、ノヴェッロの死後、チェゼーナは教皇領となり、1480年、教皇シクストゥス4世の下で城塞は完成する。

軍事建築物として、とても貴重であり、城塞の多いロマーニャ地方の中でも、最も優美な堂々たる城塞であるとされる。
(イモラのロッカ・スフォルツェスカより大きく、フォルリのロッカ・ラヴァルディーノより小さい。)

城壁内には「torre Femmina」(女性塔)、「torre Maschio」(男性塔)と呼ばれる2つの塔がある。
女性塔にはマラテスタ家の陶器の展示があり、
男性同には農耕の歴史的資料館となっている。農具から武具、日常雑貨などが多く展示され、17世紀の農民の暮らしの再現などがなされていて、興味深い。

城塞内の部屋の扉。「チェーザレ」4巻に登場したコンパッソに似てますね!城塞内から城壁部分へ下りる階段。

1500年、チェゼーナはチェーザレ・ボルジアの手に落ちる。彼はこの地を彼の公国の中心に据え、さまざまな改革を施す。
1502年、城塞の強化のためにレオナルド・ダ・ヴィンチを派遣している。

城塞内中庭。 城壁の上。

城塞俯瞰図。東を上部にして描かれている。城塞右手後方が入り口のある部分
  • 開館時間
    なぜか資料によって異なります。
    どれが正しいのかわかりません・・・。ごめん。
  • 火曜~土曜=9:00 - 12:00 / 16:00 - 19:00
    日曜・祝日=10:00 - 13:00 / 16:00 - 19:00
    月曜休館
  • 祝祭日のみ!
    14:00 - 17:00
    それ以外は、15人以上の団体による予約のみ。
  • 3月~11月
    9:00 - 12:00 / 15:00 - 19:00
    12月1日から2月29日までは閉館。
  • 9月16日~6月30日
    火曜~日曜=15:00 - 18:00
    7月1日~9月15日
    火曜~日曜=16.00 - 19.00
    月曜、11月~2月休館
  • 観光事務局の電話番号
    010-39-547-356327
    (010は国際電話識別番号
    39は国番号
    547は市外局番)
    (マイラインに登録していない場合、010の前に通信各社の番号が必要です。
    (例えばKDDIの001番))

※ 私が行ったのは5月30日土曜、17時くらいで、入ることができました。
先に入場していた一家(5人くらいの家族)に交じって、片言の英語ガイドつきでまわりました。







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