チェーザレ・ボルジアについて、とりとめのないけれど愛に満ちた探究心を発揮するサイトです。

ダラゴーナ

アラゴーナ家(Aragona)

アルフォンソ5世(1世)

フェルディナンド1世(フェランテ)

アルフォンソ2世

アルフォンソ・ダラゴーナ(ビシュリエ公)




サンチャ・ダラゴーナ(Sancha d'Aragona)

(1478年~1506年)
スィクラーチェ公ホフレ・ボルジアの妻。
ガエタ(ナポリの北方)生まれ。
ナポリ王アルフォンソ2世の庶出の娘。母はトロージア・ガッゼラ。
同じ父母を持つ弟アルフォンソ・ダラゴーナは、ルクレツィア・ボルジアの2番目の夫。
黒髪の官能的な美人だったらしい。

1492年、オノラート・カエターニと婚約。が、この話は消滅。1494年、チェーザレの末の弟ホフレ・ボルジアと結婚する。
(ナポリ王アルフォンソ2世は、ナポリを狙うフランス王シャルル8世と教皇アレクサンデル6世の同盟を懸念、教皇を味方につけるために、姻戚関係を作ろうと考える。
かくして、アルフォンソ2世の庶出の娘サンチャと、アレクサンデルの息子ホフレの結婚と相成った。)

奔放で放埓だったサンチャは、4つ年下で大人しく地味なホフレと馬が合わなかったらしく、この夫婦に親密さは全く感じられない。
1496年、2人はローマへ移るが、すぐにサンチャはホフレの2人の兄チェーザレとホアンと関係したと言われる。
ルクレツィアとは友情を育んだよう。
1499年、サンチャの弟アルフォンソ・ダラゴーナが、そのルクレツィアの2番目の夫となる。

1500年、新たにフランス王となったルイ12世と同盟したボルジアは、ナポリとの関係が邪魔になる。
アルフォンソ・ダラゴーナは暗殺され、サンチャはローマから遠ざけられる。
1501年、ルクレツィアは3番目にして最後の夫となるアルフォンソ・デステに嫁ぐ。
このことがきっかけとなったのか、ローマに戻っていたサンチャはイッポーリト・デステと関係を結ぶ。

1502年10月末、サンチャは不要で危険な人物としてカステル・サンタンジェロに軟禁される。
1503年2月、イッポーリトがフェラーラに戻ったことによって、2人の関係は終わる。

1503年、釈放され、プロスペロ・コロンナと愛人関係に。2人でコロンナ城塞で過ごした後、10月、ナポリへ赴く。

1504年2月、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバと愛人関係に。

弟アルフォンソとルクレツィアの息子ロドリーゴを預かり育てる。サンチャの死後はイザベッラ・ダラゴーナスフォルツァが引き継いだ。

1506年、ナポリで病死。サンチャの死後、ホフレはマリア・デ・ミラ・ダラゴーナと再婚した。




ロドリーゴ・ダラゴーナ(Rodrigo d'Aragona)

(1499年11月1日~1512年)
ローマ生まれ。
ルクレツィア・ボルジアと彼女の2番目の夫アルフォンソ・ダラゴーナの唯一の息子。

バーリで死去。








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